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009折れたチョーク事件02

 そのとき知った顔が歩いてきた。毒々しい声が聴覚に攻め込んでくる。


「あ、お前!」


 血の涙を演出して畑中先生を追い詰めた、二年生二人組――三つ編みの山岸先輩ときつい目の海藤先輩だった。


 純架が丁寧にお辞儀をする。


「これはこれはご機嫌うるわしゅう」


「へっ、何がご機嫌だ」


 海藤先輩は純架の美貌など屁とも思わず、まるでハリネズミと化したかのようにトゲをぎらつかせる。


「あたしは屈辱を忘れないからね。いつか必ず仕返ししてやる。覚えとくんだな」


 純架は適当にあしらった。


「くだらないことはすぐ忘れる主義ですので」


「何だと」


 小心者の山岸先輩が海藤先輩を抑える。


「もういいよ、行こうよ千春ちゃん」


「ふん……」


 海藤先輩は散々純架を睨みつけてから、肩をいからせのしのしと立ち去っていった。


 俺は思った。


「チョークを折ってるのって、ひょっとしてあいつらじゃないの?」


 純架は取り合わず、鞄からまた『デビルマン』DVDを引っ張り出した。


「人類の偉大なる業績、叡智(えいち)の結集、それがこの映画さ。観ておいて損はないよ」


「時間の無駄だ」


 俺たちはのんびり休憩を楽しんだ。




 翌木曜日は曇り空で、二時間目の体育は雨の不安にさらされながらのものとなった。俺は仲のよい岩井と組んでストレッチを行なった。純架は先生と組んでいる。純架の友達はまだ俺以外一人もいないらしかった。


 散々サッカーをしていた俺たちだったが、雨滴が校庭を濡らし始めたので、岩崎先生は早めに授業を切り上げた。女子は体育館でバスケットらしいので戻ってくるまでもう少し時間がかかるだろう。


「まずチョークを見に行こう、楼路君」


 純架は男子更衣室へ歩いていく野郎どもから離れ、俺の腕を引っ張ると、1年3組を目指した。


「おい何だよ、気になるなら一人で行けばいいだろうが」


 俺は不満たらたらだったが、純架のいつになく真面目な表情に口をつぐんだ。やっぱり昨日の朝の恨みを忘れてはいないらしかった。


 薄暗い教室に辿り着く。当たり前だが誰もいない。純架は蛍光灯を点けると、早速黒板の粉受けに飛びつくように近づいた。


「やあ、やっぱり折られてるね」


 純架は実に不愉快そうにつぶやいた。俺も確かめてみると、なるほど、長くて白いチョーク――宮古先生が使ったものだ――が無残にも折られて真っ二つになっていた


「一時間前に宮古先生が数学Aを教えてたときには折れてなかったよな」


「うん。どうやら犯人は、宮古先生の使用したチョークを狙って折っているようだね。教室に誰もいないとき――早朝か放課後か、はたまた今回のように体育で全員が出払っているとき――を利用してね。そしてそれを、宮古先生が朝か夕方のホームルームで発見して激怒する。これが今までの流れだよ」


「犯人はなんでそんな真似をするんだ? 宮古先生に恨みでもあるのか? 手段もずいぶん姑息(こそく)だし」


「そうだね、それは……」


 純架がふと声を低める。


「おかしいな。チョークの表面には合成樹脂の被膜が付いていて、指が汚れるのを防ぐ役割があるんだけど……」


「何だ? 被膜がこそぎ落とされてるとかか?」


「いや違う。その逆だよ。1時間目の数学Aの時間、あれだけ宮古先生がこのチョークを使って黒板に筆記したっていうのに、その跡がないんだ。削り落とされたはずの被膜が復活しているんだよ」


 純架は首を傾げた。


「どういうことだろう? いや待て、この折れ口は……」


 二つになったチョークの折れ目をこつこつと突き合わせる。しばらく試すと、チョークを粉受けに置いて、黒板下の床をくまなく調査した。俺は純架が何をやっているのかさっぱり分からない。


「おい、どうした?」


「探してるんだよ。ちょっといいかい?」


 純架が俺の足元を見ようとする。俺はその場から離れた。


「何か分かったのか? この床に何かあるのか?」


 純架はしばらく見回した後、首を振った。


「何もないね」


 俺はため息を吐いた。


「おいおい、結局何の意味もなかったのか? 俺を付き合わせた意味がどこにある?」


 そのとき着替え終わった男たちが戻ってきた。狐目の矢原(やはら)が目を光らせる。


「お前ら、何で着替えずに教室へ? もしや……」


 黒板の粉受けを注視し、折れたチョークを発見する。矢原がけたたましく叫んだ。


「お前らか! お前らがチョークを折っていたんだな? そうだろう!」


 クラスメイトたちが一斉に俺と純架に目線を飛ばす。まずいことになった。


……と思いきや、岩井が矢原の頭をはたいた。


「何ふざけたこと言ってんだ、この野郎。朱雀がそんな真似するかよ」


 長山が同調する。


「そうだそうだ」


 持つべきものは友達だ。形勢不利となった矢原は、頭をさすりながら、純架にほこ先を向けた。


「ならそこの桐木がやったんだ」


 俺はきっぱり言った。


「純架は何もしてない。俺たちが来たときにはもうチョークは折れてたんだ」


「その通り!」


 純架は俺の肩に手を回し、もう一方の手で俺の頬をぴたぴた叩いた。


 なれなれしい。


 俺はうっとうしく奴の顔を押しのけた。


 その瞬間、気づいた。純架は自分がチョーク折りの犯人に見られるという不測の事態を避けるため、それなりに友達を作りつつあった俺を証人として用意したのだ。


 矢原がいまいましげに口を開く。


「ふん、そういえばお前らは『探偵同好会』とやらで遊んでいるらしいな。チョーク折りの犯人を見つけ出そうってわけか?」


 純架はひょっとこのように寄り目で口を尖らせた表情を作ると、ゴルゴ松本のように「命!」と叫びながらポージングした。もちろん何の意味もない。露骨に不快感を示す矢原に対し、純架はたっぷり一分は態勢を変えなかった。


 くだらんところで意地を見せるな。


「一応そのつもりだよ。まあ、『探偵同好会』なら取り扱う事件によって、色々な人間の機微(きび)悲哀(ひあい)をうかがい知ることができるからね。それが面白いのさ。今回の事件も、解決すればきっと人間という生き物の新たな一面が楽しめるはずだよ」


 その辺りで制服に着替えた女子たちが帰着した――


 夕方のホームルームで、宮古先生は「またまた白いチョークが折られた」ことに激怒していた。まあ体育の時間の終わりには既に俺たちが確認したとおりに折られていたわけだが。先生は「絶対犯人を見つけてやる」と鼻息荒く宣言し、教卓から新品のチョークを取り出した……




 ゴールデンウィークが近づき、俺は少し焦っていた。チョークが折ったの折られたのという事件などどうでもよい。あんなの純架が逆恨みしているだけだ。もちろん、何の興味もないと言ったら嘘になるが……


 この春の大型連休を前に、どうにかして飯田奈緒とお近づきになれないか。そのことだけで俺の狭い頭は一杯だったのだ。告白してうまく恋人同士になれば、大量の休暇を二人で過ごすことができる。そんなバラ色の素晴らしい未来を想像すると、俺は叫び出したい気持ちで胸が張り裂けそうだった。


 黄金週間前に、奈緒に告白する――俺は悲壮な決意を固めた。


 新しい週が始まる月曜日、俺は久しぶりの快晴に背中を押され、昼休みの食事時に座席を立った。


「どうしたんだい、楼路君」


 弁当箱に詰まったチャーハンを口に運びながら純架が問う。俺はそれに答えず、女子の友達と一緒にパンを食べている奈緒に近づいた。こちらの接近に気づき、奈緒たちがいっせいに俺を見上げる。


「朱雀君?」


 俺は奈緒の綺麗な顔を前に耳朶(じだ)が熱くなった。落ち着け、俺。何も今告白するわけではない。


「飯田さん。放課後、話があるんだけど」


 奈緒は目をしばたたいた。


「話?」


 俺は汗ばんだ手の平をズボンにこすりつけた。


「たいしたことじゃない。時間もらえるかな」


「うん、いいよ。放課後だね」


 友達の女子たちは俺と奈緒のやり取りに興味津々と目を輝かせていた。俺が純架の元に戻って座ると、彼女たちは小声で何やらささやきあっている。くそ、馬鹿にされてるのかな?


「うまくいくといいね、放課後の告白」


 純架は抑えた声でさらりと言ってのけた。俺は心臓を鷲掴(わしづか)みにされた気分だった。


「何だよ、何で告白だって断定するんだよ」


 純架はペットボトルのお茶を飲むと、腰を浮かし、俺の耳に口を寄せた。


「だってそうだろう。授業中、飯田さんの方ばかり見ているじゃないか、発情した子犬のように。あれで彼女に恋してないなんていったら嘘さ」


 この野郎、俺を盗み見ていたのか。


「まあせいぜい頑張りたまえ。応援するよ」


 純架はにやりと笑うと、再び着席して食事の続きに取り掛かった。

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