086プロローグ
(プロローグ)
木造製旧校舎、その3階の元1年5組。そこにはうら若い少女が待ち構えていた。
「白石まどか……?」
桐木純架は目をしばたたいた。手の中でこの部屋の鍵が鳴る。純架は超絶的な美貌の男子で、俺たち『探偵同好会』の創始者であり会長だ。ヘルメットを被ったような黒髪で、眉から下の相貌を露出している。その端麗な顔は紺のブレザーとよく調和した。そしてまいったことに、彼は心の底から奇行を愛する変人なのだった。
「鍵もないのにどうやって僕ら『探偵同好会』の神聖なる部室に入ったんだい。そもそも、今の1年に5組なんてないし。君はいったい……」
「幽霊や」
まどかはこともなげに言った。
「訳あってこの部屋に地縛霊として住みついとる。久しぶりの客でちょっと舞い上がっとるんや。堪忍してや」
からからと屈託なく笑う。
まどかは茶色のポニーテールで、つぶらな瞳は燃えるように赤い。鼻が小さく控えめな代わりに、口は大きかった。八重歯が見える。制服は飯田奈緒たちと変わらなかった。
奈緒はその整った顔を青くした。
「ちょっと怖いんですけど」
ボーイッシュな黒い短髪が見るものに清涼感を与える。ウサギのような大きい茶色の瞳に、小振りな鼻、魅惑的な唇だ。変わったことに、左右の耳が丸まっている。
「馬鹿も休み休み言え」
三宮英二はいら立ちを隠さない。純架に匹敵する美貌と小さい背丈、及びその洞察力から、「神童」と呼ぶにふさわしい。一般の女子からすると格好いいというより可愛い、と映るのだろう。茶色の髪は癖っ毛で手入れが大変そうだ。瞳は穢れを知らぬ純朴さで、鼻は生意気そうに尖っている。
彼は小さい体をずかずかと運び、まどかの腕を掴もうとした。
「幽霊なんているわけ……」
だが英二の手は虚空を握った。まどかの体は立体映像のように、そこにあるのに実体がなかったのだ。
「なっ……!」
英二がおびえた声を発して二歩、三歩と後ずさる。彼が幽霊に弱いことは、夏の肝試しで証明されていた。
まどかはくすっと笑う。
「な、幽霊やろ? 君たち、この教室をこれから使うんやろ。長いこと誰も来んかったんで退屈してたんや。これからよろしゅうな」
俺は純架に尋ねた。
「おい、どうする」
純架は英二と入れ替わるように前進し、まどかの体を手で払った。しかしやはり、その手はまどかの体を通過する。何度か試し、純架はあごをつまんだ。
「なるほど、白石さんはどうやら本当に幽霊らしい。これはもう間違いないね」
「せやろ?」
「しかもこの教室に地縛霊として住み着いている」
「そや」
「それは困ったね。ここは『探偵同好会』の部室なんだ。ここには基本、会員しか入室できないんだよ」
まどかが初めて笑みを消した。
「ほうほう、それで?」
「君も『探偵同好会』に入ってもらわなくちゃね」
俺はあっけに取られた。
「おい純架、正気か?」
純架は取り出した鉛筆を煙草のように吸った。
気取り屋の小学生か。
「白石さんは幽霊だ。そこはもう認めるしかないよ。たとえ非現実的だとしてもね。そして彼女は地縛霊だという。白石さん、この教室から外へ出ることはできるの?」
「無理や。何度も試したんやけど、その度に全身の感覚が鈍る――死にかけるんや。まあ幽霊が死にかけるってのもおかしな話やけどな」
純架はうなずいた。
「ならしょうがない。白石さんには『探偵同好会』に加入してもらって、僕らと共に活動してもらおう。一人のけ者にするのは可哀想だし、僕らの話が筒抜けなのも気分悪いしね」
まどかは笑顔をひらめかせた。
「何やおもろいやっちゃな、君。『探偵同好会』か。えらい楽しそうやな。わくわくしてきよったで」
奈緒は泣き出しそうな顔をしている。英二も気絶寸前の体をどうにか菅野結城に支えられていた。
結城は英二のメイドで、ご主人様に絶対的服従を誓っている酔狂な美人だ。『探偵同好会』中もっとも理知的で、張りのある胸やくびれた腰など、体型も理想的だ。銀縁眼鏡を光らせている。
俺は盛大に溜め息を吐いた。松葉杖を握る手に力がこもる。全く、この幽霊も幽霊なら、会長である純架も純架だった。
まどかがにこやかな笑みでこちらに近づいてきた。その両足は宙に浮いている。
「ねえ君、怪我しとるんか?」
俺のギプスをしげしげと観察する。俺は亡霊の接近に恐れおののいた。
「ちょっと撃たれてな」
「銃で?」
「あ、ああ」
「映画みたいやな」
まどかは俺の目の前でしゃがみ込み、ギプスに手をかざした。
「あたしが治してあげる。治れ……治れ……」
純架が怪訝な顔をした。
「何をやってるんだい、白石さん」
「何って、治しとるんやないか」
「『痛いの痛いの飛んでけ』じゃあるまいし、それで治癒したら苦労は……」
俺は固定されている右足がうずくのを感じた。
「熱いっ! あちち……」
まどかは一心不乱にぶつぶつ呟いている。
「これでこの教室に紛れ込んできたネズミを治したことがあるんや。どうやらあたし、幽霊になってから治療の能力を獲得したらしくてな。人間に用いるのは初めてやけど、どうやら効果はあるみたいやな」
奈緒がおっかなびっくり俺に問いかけた。
「どうなの、朱雀君」
俺は右足を軽く振ってみた。痛みはない。
「完治したかどうかは知らないけど、具合はよくなったみたいだ」
「本当?」
まどかが立ち上がった。
「あんた朱雀言うんか? 今度医者に行ったときが楽しみやな。お医者さん、あまりの回復具合にきっと驚くと思うで」




