081無人島の攻防事件04
「どけって言ってるだろうが!」
男がサラの頬を、これはさすがに手加減して引っぱたく。それでもサラにとっては痛打だったらしく、横転して泥水に倒れ伏した。俺は怒りを押さえきれない。
「てめえ、こんな子供を叩くなんて……!」
「うるせえな。今黙らせてやる」
男は拳銃の先端をこちらに向けた。
「さあ、今度こそ死にやがれ!」
ただで死ぬものか。俺がやぶれかぶれで動こうとしたそのとき、奇声が雨の幕を突き破ってきた。
「あちょーっ!」
飛び蹴りが男をなぎ倒す。その姿に、俺は狂喜乱舞した。
「純架! 生きてたのか!」
そう、中年に飛びかかった少年は、その見目麗しい相貌からすぐ相棒――桐木純架だと知れた。彼もまた、この陸地に這い上がって助かっていたのだ。
純架は男に襲い掛かり、その拳銃を奪おうと手首をひねり上げた。だが男は不意打ちの衝撃から我を取り戻すと、頑強な抵抗を開始した。純架のあごに足をかけて引きはがそうとし、半ば成功する。
俺はただ黙って傍観しているだけではなかった。足の怪我で立ち上がることはかなわなかったが、それでも膝立ちで素早くにじり寄り、男の動きを封じようと押さえ込みにかかる。
「畜生、このガキどもが!」
直後、轟音が雨のカーテンを引き裂いた。男が拳銃の引き金を引いたのだ。だが方向は明後日で、発射された弾丸は誰にも認知されることなく虚空へ消えた。
純架も俺も男も泥まみれになりながら、息を切らして格闘すること2分。とうとう男から拳銃を強奪した純架は、その先端を元の持ち主に突きつけた。
「動いたら撃つ!」
男は形勢逆転にあきらめたのか、荒い息をついて座ったままだ。純架は命じた。
「両手をあげろ。ひざまずけ。抵抗したら承知しないからね」
男は大人しく従った。純架が俺にうながす。
「楼路君、身体検査して」
俺は迅速に男を調べ上げた。予備の弾薬とサバイバルナイフが出てくる。リュックにはトランシーバー、ロープ付き手錠、懐中電灯……。スマホもあった。
「警察にかかるかい?」
俺は画面のアンテナを見る。
「駄目だ、圏外だ」
「まあそうだろうね。楼路君、男を拘束して」
俺は男の両腕を背後に取り、その手首を手錠で固めた。
「やれやれ、これで一安心か」
「どこが一安心だい、楼路君。足の銃創を見せたまえ」
そういえば俺は撃たれたんだった。意識が足の負傷に集中すると、それまで都合よく忘れていた激痛がよみがえる。
「いててて……」
「痛むかい、楼路君。今手当てする」
といってもこんな森の中じゃ応急手当てもできやしない。貫通せずとどまった弾丸を、まさか手作業で摘出するわけにもいかないだろうし。
純架は手近の葉っぱを数枚もぎ取ると、それを俺の患部に重ねて当てた。そして手錠から外したロープをナイフで二つに切断、一方を包帯代わりに巻きつける。もう一方は心臓に近い側を縛りあげた。深甚な痛みに、俺は歯を食いしばって耐えた。
純架はため息をついた。
「とにかく病院に連れて行ってまともな治療を受けないと。それにはこの森を脱出しなきゃね」
サラは事態の変転に目を白黒させている。俺たちと男との喧嘩に声も出ないようだった。もっとも声はもともと出せないのだが。
純架は俺から状況をひとしきり聞き出すと、あごをつまんで考えた。
「ふうん、サラ君ねえ。僕が目覚めたときにはそんな出会いもなかったな」
俺は純架に、どうして急にここへ現れたのかと尋ねた。
「簡単だよ。楼路君とは違う砂浜に打ち上げられた僕は、情報が欲しくて森をさ迷い、誰かと出会うのを待った。そしたら大人の人間の足跡を発見してね。ついていったら君が今まさに殺されようとしていた、というわけさ。間一髪、間に合ってよかったよ」
一方、純架は男に対しては軽蔑の視線を浴びせた。
「さて、君、色々話してもらおうか。いい加減なことを言ったら撃つよ。まず、ここはどこだ?」
純架は押し黙る男の肩を拳銃でつついた。急かされた男は渋々口を開く。
「ここは『鎖挽島』という名の孤島だ。いわゆる無人島だ」
陸地じゃなかったのか。
「君は誰だ?」
男は鼻で笑った。
「教えるわけがないだろう」
「笑うんじゃない」
純架は常になく厳しかった。俺を負傷させたこの男に、同情の余地などないかのようだ。
「教えられないほどやましいのか。……じゃあ質問を変えよう。君はこのサラって子に用があるのか?」
「そうだ。お前らなどどうでもいい」
純架は知恵を絞るように少し沈黙した。雨の勢いが弱まってくる。やがて断定した。
「君はこのサラって子を誘拐したんだ。そしてこの鎖挽島に監禁した。だがサラ君は君の隙をついて脱出し、助けを求めて森をさ迷った。そして着いた浜辺で失神している楼路君に出会ったんだ。違うかい?」
俺は純架の推理に脱帽した。なるほど、辻褄は合う。
男は憎々しげに純架をにらみつけるばかりだ。この場合、沈黙は雄弁な回答だった。どうやら図星らしい。
純架は男の背後に回ると、銃把で後頭部を殴りつけた。男が気を失って倒れる。溺死しないようにその頭を木の根元に預けると、純架はようやく笑った。
「辛いだろうけど、頑張って帰ろう、楼路君。サラ君」
俺は純架の判断の意味を探った。
「どうしてこの男に道案内させなかったんだ?」
「トランシーバーがあるってことは、連絡のつく距離に仲間がいるってことさ。何人いるのか知らないけどね。彼らに見つかったらまずい」
純架は未練がましく小雨を降らせる天を仰いだ。
「どうやってこの島から逃げ出すか考えないと。海を泳ぐわけにはいかないね。僕個人としても、サラ君を抱えて荒波を越えるのは至難の業だし、楼路君はこの怪我だ」
確かに。今の俺が海に浸かったならたやすく溺れるだろう。
「犯人一味の船を強奪する必要があるけど、僕も楼路君も船舶は操縦できないからね。どこかにボートでもあればいいんだけど……」
雨がほとんど止んだ。
「何にしてもここを離れよう。楼路君を撃ったのと、僕を撃とうとして失敗したのの2回、銃声が森を揺るがしている。男の仲間が様子を見に来るのは確実だ」
「トランシーバーは?」
「うんともすんとも言わない。用心して向こうが連絡を断ったのか、それともこのおじさんの定期連絡がないことを非常事態と捉えているのか……。ともあれ持って行こう。拳銃もね」
純架は男の拳銃を水着に突っ込んだ。そして俺の腕を担いで抱え上げ、サラを連れてその場を立ち退いた。
「いくら拳銃があるからって、人は撃ちたくない。このまま何事もなく脱出したいね」
俺はふくらはぎの痛みに耐えながら気力で笑った。
「おいおい、撃ったこともないくせに自信ありげだな」
「一応母さんの手解きでモデルガンを使ったことはあるんだ。BB弾だったけどね」
「役に立つのか、その経験」
俺は足を引きずりながら、純架の支えでどうにかこうにか森を前進した。いつしか空は晴れて、傾き出した太陽が王者の貫禄を見せる。この森で夜を迎えるなんて想像もしたくない。俺は心配そうにこちらをうかがうサラの頭を撫で、逃避行を続けた。
気になることがあった。足跡だ。日光を浴びて再び乾き始めた地面に、俺たちの足跡はくっきり残ってしまっている。今度は俺と純架、サラの三人分だ。追跡者にとってこれは絶妙の道しるべとなるだろう。俺が足手まといになっているうちに、静かに距離を詰められているかもしれない。




