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078無人島の攻防事件01

   (五)『無人島の攻防』事件




 夏も終わりの8月終盤。うだるような日々が続き、地上は熱の天蓋(てんがい)(おお)われてしまったような酷暑で満たされていた。


 とにかく何をしても汗をかく。歩いていても寝転んでいても、ゆでだこにされているような感覚が発汗をうながした。クーラーの効いた室内などならともかく、これで外でも歩こうものなら、来ている服は水浸しになること請け合いだ。


 というわけで……。


「海だっ!」


 奈緒がオフショルダーの赤い水着で砂浜を駆ける。その背中を手でひさしを作って眺めながら、俺は口笛を吹いた。


「素晴らしいなあ、夏って……」


 俺たち『探偵同好会』は、尻すぼみに終わったプール行のしくじりを挽回(ばんかい)すべく、今度は海にやってきたのだった。天気は快晴で、体感温度34度の熱気は海水浴をより魅力あるレジャーとして引き立てている。


 俺たちは英二の用意した二台の車でこの砂浜にやってきた。着替えは車内で行ない、外に出たときにはもう水着姿なのだ。俺と純架、英二は片方のワゴンで。奈緒と日向、結城はもう一方のワゴンでそれぞれ私服を脱ぎ捨て、今日この日を楽しもうと、いそいそと外へと飛び出した。


「お前ら、あんまりはしゃぎ過ぎて(おぼ)れたりするなよ」


 英二が俺と純架にぴしりと注意を与える。純架は振り向き、親指を立ててみせた。剥き出しの白い歯が光を放つ。


「了解!」


 その後、手首を返してサムダウンの形にしたところで、英二が純架の頭をグーで殴った。


 何やってんだ。


 山へバーベキューに(おもむ)いたときと同様、英二が選択したこの海岸はひと気が少なく、ほぼ貸切状態だった。白い砂浜に降り立った俺たちは、女性陣が海水の掛け合いをして喜んでいる光景を微笑ましく見守った。日向は花柄の、結城は黒色のビキニだ。目の保養になって嬉しい。


「じろじろ見るな、この変態が」


 英二が俺のすねを蹴る。痛い。


「何だよ、皆の――特に飯田さんの――水着姿に見とれてただけだろ。あんな格好で人前に出る彼女らが悪いんだ」


「独りよがりな理屈だな。その点見ろ、純架を。女たちにまるで興味がない。大したものだ」


 純架は入念なストレッチを行なっていた。肘を伸ばし、膝を曲げる。波打ち際ではしゃぐ女性陣には目もくれない。


 だがよくよく見れば、その手にした小型スマホで、こっそり彼女らを撮影していた。


 興味ありありじゃないか。


「おい純架、卑怯な真似はやめろ。堂々撮影許可を求めるんだ」


「え? 何のこと?」


 純架はとぼける。俺は中っ腹で追及した。


「そのスマホで撮ってただろ、飯田さんたちを」


「ああ、これかい? これは僕のわき毛の生え具合や腹筋の割れ方をチェックするために、事細かに自撮りしていただけだよ。見てみるかい?」


 インカメラを使ってたのか、まぎらわしい。


 俺たちは海に入ると、定番とも言うべき「プロレス技の掛け合い」を始めた。小柄で体重の少ない英二が主にやられ役を(にな)った。


「行くぞ、ブレーンバスターだ!」


 俺は英二を真後ろに抱え投げた。続いてバックドロップ、ジャーマンスープレックス。英二は散々投げられた後、腹が立ったのか、「俺にも投げさせろ」と純架に組み付いた。


「おっと」


 純架は反射的にブラディサンデーで英二を海中に叩きつけた。随分マイナーな技だ。知ってる俺も俺だが……


「畜生! お前らいい加減にしろ!」


 英二が怒り心頭に発して水面を叩き、水飛沫(みずしぶき)を跳ね上げさせる。俺と純架はゲラゲラ笑いながら逃げ回った。



 海で腹一杯に遊んでから、俺はビーチボールで楽しむ女たちを眺めつつ、砂浜に寝転がっていた。少し疲れたのだ。


 俺は太陽のきつい日差しを浴びながら、例えようもない幸福感で一杯だった。


「こんな気持ちのいい一日は初めてだ。奇跡みたいだな……」


 横に座っている純架がペットボトルのお茶を飲む。気楽そうに言った。


「やれやれ、君の考えるところの奇跡ってのはそんな安っぽいものなのかい」


 俺はにやりと笑った。


「いいんだよ、俺は安っぽい男なんだから」


 純架は苦笑した。


「自分で言ってちゃ世話ないね」


 英二が何やら腹案を秘めた顔で近づいてきた。


「なあ、純架、楼路。ボートに乗らないか?」


「ボート?」


 二人でハモる。英二はひそひそ話でもするかのように顔を寄せてきた。


「古いが頑丈な木製のボートがある。あれで沖に出ようと思うんだ。一緒に行かないか?」


 英二から誘ってくるとは珍しい。俺は上半身を起こした。


「沖に行って何するんだ? 釣りでもやるのか?」


「いや……それが……」


 これまた希少(きしょう)なことに、英二は顔を赤らめた。含羞(がんしゅう)の気配がある。


「結城や黒服のいない場所で話したいんだ。駄目か?」


 純架は残りのお茶を自分の頭にかけ、激しく首を振った。


 マラソンランナーを気取っているようだが、もちろん意味はない。


「いいよ。楼路君、君はどうだい?」


「じゃあ付き合うか」


 俺たちの快諾(かいだく)に英二は笑顔をひらめかせた。


「よし、なるべく黒服たちに(さと)られないように行くぞ」


 俺たちは英二を先頭に歩き出した。空はいつの間にか薄曇になっていたが、雨が降り出すまではいかない。黒々とした崖を回り込み、しばらく(いそ)を踏みしめて進むと、新たな浜辺が開けてくる。そこに一艘(いっそう)の茶色いボートが打ち捨てられていた。全長2メートルぐらいの小振りな体格だ。(かい)も取り付けられている。


 純架は早速調べてみた。


「少々古いけど、壊れてはいないようだ」


 英二が俺たちを()きたてる。


「ぐずぐずしていたら黒服たちが来てしまう。さっさと進水して漕ぎ出すぞ」


 俺たちは協力してボートを波打ち際に押し出した。


「英二様!」


 俺たちが来た道に結城と黒服三名の姿があった。ボートが水に浮かぶ。英二はひらりと飛び乗って大声を出した。


「すぐ戻る。追ってくるな!」


 俺と純架もボートに乗り込む。まずは純架がオールを担当し、結城たちの指先ぎりぎりで大海に滑り出した。


「英二様っ! お待ちくださいっ!」


 純架は結城の叫びも意に介さず水をかき分ける。彼女らの姿はどんどん小さくなり、やがて豆粒のようになって景色に埋没した。



 漕ぎ出して15分。周囲は遠くの島々の影と水平線のみとなった。岸から思ったより遠ざかってしまったが、英二はそれどころではないと、真剣な表情でうつむいている。


 純架がさっきの話の続きを求めた。


「お望み通り、周囲には誰もいなくなったよ。僕らに話って何だい?」


 英二は苦悩しているようだった。心中の葛藤(かっとう)をさらけ出し、面を上げたり下げたり忙しい。だがここまで来て話さないわけにもいかず、結局長期の闘争は一方が押し切った。


「実は、折り入って話がある」


 俺は鏡のような海水に片手を浸しながら耳を澄ませた。


「何だ?」


 英二は耳まで真っ赤になって、なぜか怒ったような()ねたような口調で切り出した。


「俺、好きな人ができたんだ」


 ほう、と純架が息をもらした。


「相手は誰だい?」


 英二の声はか細かった。


「……辰野日向だ」


 俺は結構衝撃を受けた。辰野日向?


「おい英二、お前菅野さんが好きなんじゃなかったのか?」


 英二は眠りから覚めたかのように俺を凝視(ぎょうし)した。


「何だそれは。なんで俺が結城と?」


「だって菅野さんはいつもお前の背後に控えてるじゃん。日常生活の諸々(もろもろ)を引き受けてるし」


 英二は馬鹿馬鹿しそうに手を振った。


「結城はメイドだ。俺とはあくまで主従の関係で、恋愛要素などない」


 きっぱりと突き放すような冷たい言葉だった。ううむ。英二はそこまで割り切っているが、結城の方はどうなのだろう?


 英二は俺の困惑など気付かずに話を戻した。


「辰野は俺のこと、どう思っているだろう?」


 純架は突如立ち上がり、持ってきていた小石3個でお手玉を始めた。


「辰野さんはあまり自己主張の激しい人じゃないからね。いつも控え目で……。英二君と辰野さんのカップリングなんていきなり過ぎて分からないよ」


 俺は引き継いだ。

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