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076廃校の恐怖事件05

 生徒用の幅のある階段が見えてきた。複数のライトが縦横を照射する中、純架は大声を張り上げた。


「相良さん! 大丈夫か! 餃子(ぎょうざ)特盛り400円!」


 関係ないことを口走りながら、階段を下りていくと……


「相良さん!」


 純架が真っ青になった。相良綾香が階段の中腹で斜めに倒れていたのだ。その目は固く閉ざされている。


「相良!」


 久川が綾香を抱き起こし、その頬を軽く叩いた。彼女の眉がうごめく。その反応は生命がまだ内包されていることを教えてくれた。


「しっかりしろ、相良。俺だ、久川だ。分かるか?」


 しばらく揺さぶっていると、綾香のまぶたがゆっくりと持ち上がった。夢うつつのような視線で久川の顔を走査する。


「ひ……さかわ、君……」


 ようやく完全に覚醒(かくせい)したらしい。綾香は何度かまばたきすると、久川の腕から身を起こした。


「あれ? 何で皆んないるの? 肝試しは?」


「もう中止だ中止。それより相良、どうして気を失ってたんだ?」


「えっと……」


 白装束で長髪の綾香は、額に指先を当ててしばらく考え込んだ。


「確か……」


 その瞬間、猫の鳴き声が階段下から立ち昇った。甘えるような、優しい声音である。


 綾香はのけぞって怖がった。


「猫! そうよ、黒猫がいきなりやってきたのよ!」


 久川を突き飛ばし、踊り場へ四つん這いで這い上がる。純架が彼女の無様な姿に失笑した。


「そうか、相良さんは猫アレルギーなんだね」


 俺たちの後ろに隠れて、綾香は純架の言を肯定した。


「そうなの。昔から猫だけは駄目で……。それが今回は真っ暗な中に突然現れてきたんだもの。失神してもしょうがないわ」


 純架は黒猫を抱き上げた。猫は暴れるでもなく無邪気に人間にしがみつく。


「これで一つ謎は解けたね。さっきの女の悲鳴、あれは相良さんが黒猫に驚いて気を失った際に上げたものなんだ」


 俺は猫の頭を撫でてやった。


「それにしてもこの黒猫、一体どこからやってきたんだ?」


「さあ。でも猫は夜目が利くからね。足音もほとんど立てないし、仕掛け人たちに気付かれずに奥深くへ侵入できたとしても不思議じゃない。……戻ろうか、皆」


 純架は猫を放すと再び1-Bへ向かった。綾香も久川の肩を借りてよろめくように歩き出す。


 待っていた生徒たちはこぞって首尾を聞き出そうとした。その対応を俺に任せつつ、純架は沈黙して思考の航路を邁進(まいしん)する。やがて口を開いた。


「1-Cは矢原君が担当か」


 矢原宗雄。かつて『今朝の吸殻』事件で俺たち『探偵同好会』をはめようとした男だ。狐のような吊り上がった目をしており、頬がこけて鼻は上向きだ。いつも肌色が悪い。


 純架は矢原に尋ねた。


「1-Bのボヤについて何か知ってるかい?」


 矢原は冷笑した。


「僕が知るわけないだろう」


 純架は当然ながら、その言を信じなかった。


「楼路君が言うには、人魂が出たのは1-Bだった。英二君、それで間違いないね?」


 英二は首肯した。


「ああ、1-Bだった。あの青い炎に包まれた球体は、確かにこの教室で浮遊していた」


 純架はふっと息を吐いた。


「やっぱりさっきのボヤは、人魂が出て、カーテンの残骸に燃え移ったと見るのが自然だね。


 久川が否定する。


「もう一度言うが、誰も人魂なんて仕掛けてない。やっぱりこの校舎は呪われているんだ」


 純架は未だおびえている二人のクラスメイトに確認した。


「しかし藤沢君、小平君。君たちは1-Bで人魂を見ていないんだよね?」


 二人は異口同音(いくどうおん)に肯定した。


「1-Cでフラッシュを焚かれてびっくりしたけど……1-Bの教室はそもそも通過してない」


「廊下に赤いコーンは置かれていなかったのかい?」


「コーン? いや、1-Bの廊下にはそんなものはなかった」


「つまり……」


 純架が皮肉を(たた)えた笑みをひらめかせた。


「廊下に置かれていたコーンに行く手を阻まれ、1-Bの教室に入り、そこで人魂を見たのは『探偵同好会』の会員だけってことだね。楼路君、英二君、1-Cでフラッシュを浴びたかい?」


 俺は英二とハモった。


「いいや」


 純架は面白そうに言った。


「矢原君、悪いけど君の担当していた1-Cを調べさせてもらうよ。異論はないね?」


「それは……」


 矢原は明らかにうろたえていた。精神を失調した狼の目をしている。それに構わず、純架はすでに歩き出していた。


 1-Cの教室に入ると早速室内を調べ回る。黒板、教壇、ロッカー、そしてベランダ。


「この学校のベランダは隣と通じているんだね。おや、これは何だ?」


 純架が何かを拾い上げた。懐中電灯の光に浮かび上がったそれは、長い針金のついたテニスボールらしきものの残骸だった。


「ぐっ……」


 矢原が俺の背後で異様な声を発する。純架は推測の銃弾を矢原に向かって撃ち込んだ。


「そうか、分かったぞ。このテニスボールにアルコールを染み込ませて、針金――あらかじめカーテンのリールに引っ掛けておいた――に取り付けた。そしてベランダに隠れ、『探偵同好会』会員が来るのを待つ。哀れな犠牲者が到着したら、ライターで点火。針金のもう一端を掴んで操縦し、まるで宙を遊泳しているように見せかけたんだ。それが人魂の正体ってわけだね」


 矢原は唇を噛み締め、周囲からの冷たい視線に耐えている。純架は続けた。


「全ては『探偵同好会』への憎悪なんだろう。他の生徒には見せず、あくまで同好会員に目撃させることを狙いとした。だからご丁寧(ていねい)なことに、廊下のコーンを置き換えて、僕らを1-Bに誘導したわけだ。楼路君ペア、英二君ペアはそれでうまくいった。でも僕を待ち構えていた段階で、手違いでカーテンに火がついてしまった。そのため矢原君はうろたえ、あわてて人魂の正体を回収して、ベランダ伝いに1-Cへ戻ったんだ。どうだい、矢原君」


 矢原は土下座することでその推理を認めた。


「ごめんなさい! 『探偵同好会』が憎くて……ついやってしまいました!」


『今朝の吸殻』事件以降、この男は反省もせず、また俺たちにちょっかいを出してきたというわけか。俺は呆れながら問いただした。


「異様な音もお前の仕業か?」


滅相(めっそう)もない! 天地神明(てんちしんめい)に誓って、人魂だけしかしていません」


 こいつの誓いは当てにならない、と俺は思ったが、純架はそれ以上追及しなかった。


「これで悲鳴、人魂と分かったね。次は破裂音だ。どこら辺から聞こえたんだっけ、久川君?」


 久川は記憶巣と格闘した。


「破裂音は1階からだったな、確か。女のうめき声は分からない」


 純架は3-Dでラジカセを操っていた長山に疑いの目を向けた。


「試みに聞くが、破裂音は君じゃないのかい、長山君?」


 長山は濡れ衣だ、とばかりに首を振った。


「まさか。俺はガラスが割れる音しか再生してないぜ」


 純架は違うことを尋ねた。


「仕掛け人の皆は、破裂音が聞こえた際、何か変わったことに気付かなかったかい?」


「というと?」


「たとえば光が発生したとか、火薬の匂いがしたとか」


 英二があごをつまんだ。


「爆竹か? あの破裂音は爆竹だと、そう言いたいんだな、純架?」


「そうさ」


 純架は英二にお願いした。


「英二君、ちょっと1階の校舎脇を探索してもらえないかな。全部じゃない。2階の1-Aの下、3-Aの外辺りだ。菅野さんや黒服さんたちにも協力してもらってね。雨はちょうど上がっているようだし……。いいかい?」


「会長権限か。よかろう。行くぞ、結城、西条(さいじょう)


 英二は徒党を引き連れて職員階段へ去っていった。それを見届けると、純架は腰に手を当てた。


「じゃあ女のうめき声の方を考えよう。今は誰でも簡単にクリアな音が出せる。こいつによってね」


 純架はスマホを取り出した。


「仕掛け人でスマホを持つ者は全員だ。この中の一人でもうなり声を出せないものはいない。皆が疑わしいんだ、厄介なことにね。しかも肝心の音声はすでに証拠隠滅されている蓋然性(がいぜんせい)が高い」


 ただし、と純架は言った。


「それでも真相らしきものを手繰(たぐ)り寄せることは出来る。久川君」


「何だ」


「今回の肝試し、最後の棺桶の脅かしを考え付いたのは誰だい?」


 久川は少し黙考した。


「ええと、所塚だ。ダンボールの棺桶を作ってその中に隠れ、近づいてきた子羊たちを仰天させてやろう、って計画したんだ」


「そして実際に棺桶内のゾンビ役をやったのも所塚君だったんだね」


「ああ、所塚が志願したんだ」


 所塚が不満そうに眉を寄せた。


「桐木君、何が言いたいんだ?」

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