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070夏祭りの偶像事件03

 結局約半年ほどで、純架の親父は落胆して息子の芸能界入りをあきらめたという。桐木家にとって大きな挫折(ざせつ)だった。


 だが全くの徒労に終わったわけではない。芸能最大手・ゼニーズ事務所のオーディションで、同学年の本城隆明と知り合ったのだ。彼は見事採用され、純架は「突然放屁で空中を飛ぶ」という奇行で落とされたが、接点はできた。


 以後純架は、芸能界のステップを駆け上がる本城と年に数回手紙やメールでやり取りした。純架にとっては、本城が自分の「初めての友達」になってくれるという期待感があったのだが、彼から優しい言葉をかけられたり、一緒に遊びに行こうと誘ってくれたりすることはなかった。


 その本城が、今日ついに、純架を夏祭りに同行したいと言ってきてくれたのだ。


 純架は新品の灰色の浴衣に袖を通し、うきうきと待ち合わせをした。そしてマネージャーの車で来た本城と落ち合い、『ウルトラさん』のお面をつけた彼と一緒に夏祭りに繰り出したという。だが余りの人混みと、純架より速すぎる本城の足とで、早々にはぐれてしまったらしい。


 あいにくスマホは繋がりにくい状態が続き、連絡も取れない。純架は仕方なく、それ以後、祭りを楽しみながら本城を捜していたという。




 花火の閃光で明滅する視界をよそに、日向は口を尖らせた。


「なんで桐木さん、本城さんの友達だって教えてくださらなかったんですか? 私が本城さんのファンだってこと、ご存知だったでしょうに」


 純架は日向が首からぶら下げているデジタルカメラを指差し、「キャメラ、キャメラ」とのたまった。


 確かにアッコさんはそう呼ぶ。


「僕らは友達じゃないよ。よくて知り合いさ」


「向こうは、本城さんは友達だと思ってますよ」


 純架の頬を自嘲(じちょう)の影が滑り落ちる。


「さっき本城君と少し会話したけど、彼は僕を護衛として使ってみたかったようなんだ。友達だなんてこれっぽっちも思っていなさそうだよ。まあ僕も期待してなかったからがっかりはしなかったけどね」


「そんな……」


 純架は俺たちを人だかりの中から少し空いている道端に誘導した。


「さて、花火が始まって明るくなった。これなら『ウルトラさん』の仮面をつけてる本城君も捜しやすいってものだね。せっかく出会ったんだ、君たちも人捜しに協力してくれたまえ」


 俺は疑念を(てい)した。


「それはいいけど、この夏祭りの人出の中で本城を見つけるなんて無理だろ。雲を掴むような話だ」


「そうでもないさ」


 純架は推測を語りだした。


「多分本城君も僕を捜しながら祭りを楽しんでいると思う。もし本城隆明だとばれたら、サインや写真をせがむ客たちに囲まれて身動きが取れなくなってしまうからね。だからお面は付けたまま、あくまで『ウルトラさん』のお面の少年として行動しているはずさ。……僕はそう睨んで、花火にうっかり見とれるまでは真面目に捜していたんだ」


 夜空には大輪の花が次々咲き乱れている。


「ただ花火が上がり始めて、彼はこう考えたはずさ。『お面の穴越しに見るなんて味気ない』とね。そこで彼はお面を外して堂々と花火を満喫できるような、人気のない場所に移動したに決まってる。しかもその最後尾、観客の誰もが視線を向けないようなポジションにね。というわけで……」


 純架は俺たちを眺め渡した。


「僕と飯田さん、辰野さんと楼路君の二手に分かれて、静かな、でも花火が見られる、本城君好みの場所を片っ端から当たってみよう。境内(けいだい)や駐車場とかが怪しいかな」


 なるほど。俺と日向、奈緒はうなずき、再び『仮面サイダー』と化した純架の指示通りに手分けして動き出した。




 せっかくの花火をゆったり観賞できないのは残念だが、こんなのもまた俺ららしくていい。ただ純架よ、せっかくなら気を使って、俺と奈緒を組ませてほしかったよ。


 俺と日向は境内を捜索した。日向は血走った目をあちらこちらにやり、本城隆明の姿を渇望している。本城の大ファンである彼女は、偶然手にした繋がりに運命的なものを感じているらしい。その両手はデジタルカメラを壊す勢いで握り締めていた。


 人々はそれぞれ見つけたスペースに腰を下ろし、うちわで喉元をあおぎつつ真夏の一大イベントに興趣(きょうしゅ)を得ていた。彼ら彼女らの邪魔にならないよう、慎重に体を運びつつ目当ての人物を血まなこで捜す。親子連れ、カップル、親友同士。色々な客が思い思いに眼福を享受(きょうじゅ)している。本城隆明は一人だろうから、見つけるのは案外たやすいのではないだろうか。そんな希望的観測が胸をよぎった。


 そして、それは現実のものとなった。奥の奥、灯篭(とうろう)を背にして地べたに座り、片足を立てている一人の少年。『ウルトラさん』のお面を両手でもてあそび、咲いては散る花火を眺めている彼こそは――


「本城君!」


 日向が感激のあまり卒倒しそうになった。俺の肩にすがりつき、どうにか転倒を回避する。


 そう、本城隆明は、大ブレイク中の新進気鋭の高校生アイドルは、人目をはばかったその場所に存在していたのだ。


「しゃ、写真を……」


 日向がカメラを向けようとするのを、俺は手首を押さえて制止した。


「駄目だ、辰野さん。それは失礼だ。後で許可をもらって撮ろう」


「う、うん……」


 日向は夜目にも分かる真っ赤な顔で、もはや本城しか見ていなかった。俺は彼女と並んで本城に近づいた。


 さすがに数メートルの距離となると、彼もこちらに気付いたようだ。いかにも不機嫌な顔である。俺は周囲に聞かれないよう、しかし花火の爆音にかき消されないよう、慎重に調整した声量で尋ねた。


「……本城隆明さん、ですよね?」


「ちっ」


 明白で聞き間違えようのない、鋭い舌打ちだった。日向の笑顔が固まる。本城を天使か何かだと錯覚していた彼女にとって、それは現実の非情さを突きつけるものだった。


 本城は頭をかいた。


「参ったな、ここでも見つかるか。……何だい、サインか? 写真か?」


 それは後でもらうとして、まずは用件を果たさねば。


「俺たちは桐木純架の友人です」


 本城は虚を突かれたように目を丸くした。


「えっ? ああ、そうなんだ。君ら、俺を捜しに来たんだな――純架の指図で」


 察しがいい。アイドルとは顔がいいだけでなく、頭の回転も速いのか。


「そうです」


「あいつ今どこにいる?」


 日向が気を取り直して答える。


「私たちとはまた別に、本城さんを捜しています」


 本城は手の平を額に当て、笑った。それは紛れもない嘲笑だった。


「そうか。まるで使えねえ奴だな」


 まあ、純架の行動はそう言われても反論できないものではある。散々遊んで、花火まで楽しんでたし。


 だが……。俺は言い放った。


「そんな言い方はないでしょう。あいつはあいつなりに護衛の義務を果たそうとしてたんです」


 日向も気分を害したのか、やや強い口調で指摘した。


「ご立腹なのは分かります。でも本城さんもあまり本気で桐木さんを捜していたわけではないようですね」


 本城のそばに水風船と焼きそばの空パック、ラムネの空き瓶が転がっている。本城はにやりと笑った。


「アイドルやってると自由はないからな。こんなときぐらい目一杯遊ばないと。桐木を呼んだのだって、あいつの美貌や声を目くらましに使いたかっただけだし。気がついたらいなくなってて、本当に役立たずだと思ったね、俺は」


 俺は嫌悪を隠せなかった。なるほど、純架が言っていたように、本城は純架を友達とはみなしていないらしい。その本心が言葉の端々ににじんでいる。


 俺が更に文句を言おうとした、そのときだった。


「やあ、本城君、楼路君、辰野さん。ここにいたんだね」


 純架と奈緒が現れた。うちわで胸元に風を送りながら、こちらに小走りで駆け寄ってくる。


「どこに行ってたんだ、桐木。せっかく俺の護衛役という大役を任せてやったのに……」


 地面に唾を吐き捨てないのが不思議なほど、本城は顔を歪めた。


「0点だな。がっかりしたよ」


 純架は苦笑した。


「ごめんごめん」


 本城が立ち上がる。尻をはたいて(ほこり)を落とした。


「興ざめだな。桐木もその友人も、俺のサインや写真が欲しいんだろ? 今応じてやるから早くしろ」

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