069夏祭りの偶像事件02
辰野日向は『探偵同好会』会員であり、『渋山台高校新聞部』所属でもある。それらの活動によって事件に対する嗅覚はおのずと鍛えられていたのだろうか。彼女は物怖じせず、黒縁眼鏡に光源を乱反射させて聞き込みを行なった。全ては麗しのアイドル少年への熱意である。今の彼女ほど、俺はこれまでの人生で真剣になったことがあるだろうか。そう顧みたくなるぐらい、日向は情熱を燃やして次々と「『仮面サイダー』のお面の子」を尋ねて回った。
「ああ、そのお面の少年ならうちで金魚すくいしていったよ」
屋台の老店主が証言し、日向は身を乗り出した。
「今はどこへ?」
「俺から見て右の方へ歩いていったよ。いや、しかしすくうの上手かったな。ポイさばきが鮮やかだの何の。6号で9匹も取りやがった」
ふむ、本城は金魚すくいが達者らしい。どうでもいい情報ではあったが、日向は喜んでうなずいていた。
「追いかけましょう!」
俺たちは「やってかないのかい」との店主の声を背中に浴びながら、言われた方向へ歩を進めた。
次に当たりがあったのは射的屋だった。階段状のセットに小さな玩具が所狭しと並べられ、子供がおもちゃの鉄砲の狙いを定めている。
「ああ、『仮面サイダー』の少年かい? 俺んところで少しやっていったよ」
ねじり鉢巻で髭の濃い中年親父は、的を倒せなかった子供から鉄砲を受け取った。
「でかい王将の駒を倒して持っていったぜ。なかなかの腕前だったな。階段への流れに埋没していったけど、知り合いかい?」
「ありがとうございました」
本城の追跡はまだまだ続く。俺たちは祭りを楽しむこともついつい忘れて、いつしか猟犬の感覚に胸底をたぎらせていた。こんな出来事もたまに起きるなら面白い。
「ああ、その子なら綿飴を食べながら階段を下りていったよ」
有力な情報は、通路脇でしゃがんで焼きそばを食べている婦人たちから得られた。日向の声が上ずる。
「『仮面サイダー』のお面を外していたんですか?」
「いや、完全には外していなかったわ。何というかこう、あごの部分をつまんで持ち上げていたの」
「その方は本城隆明さんでしたか? あの、ゼニーズ事務所のアイドルの!」
婦人たちはびっくりしていた。
「あの子、アイドルだったの? 私は本城君って人が誰だか分からないけど、その子が大層美形だったことだけは覚えているわ」
日向は俺たちに笑顔を向けた。
「これはいよいよ本当らしいですね」
婦人たちに改めて質問する。
「彼はどちらに行きましたか?」
「河岸へ向かったわ。そろそろ花火大会でしょう? いい場所で見たいんじゃないかしら」
「ありがとうございました。行きましょう、朱雀さん、奈緒さん! 本城さんは近いですよ」
ブルドーザーのような勢いでもって、日向は河岸へばく進していった。俺たちも遅れじとついていく。常日頃脇役に徹していた日向の、よそでは見られぬリーダーシップである。俺と奈緒は顔を見合わせて苦笑いした。
河岸は立錐の余地もなかった。朝早くから陣地を確保したのだろう、土手にブルーシートを敷いて座り、特等席で観覧する人も多かった。どこかのテレビ局の取材も入っていて、カメラ機材の砲列が今や遅しとそのときを待ち構えている。
そしてとうとう、盛大な光の芸術が破裂音と共に夜空に展開した。
「始まった!」
「大きいなあ」
「凄いわ!」
歓声がわっと沸き起こった。渋山台市が総力をもって催す花火大会が、散々焦らせた上でその幕を開けたのだ。漆黒の空間に拡大しては散っていく照明が、その残光で観客たちの姿を浮き上がらせた。
「これで捜しやすくなりましたね!」
日向は花火など眼中にない。本城捜し一辺倒である。昼のように明るくなった河岸で、彼女の目線が四方八方に飛んだ。鬼気迫る表情だ。しかし、何といってもこの人だかりである。本城を見つけ出すのは困難に思われた。
「あっ、あれは!」
ところが運が良かったのか出会いの女神に愛されたのか、日向はあっという間に『仮面サイダー』のお面を見つけたのだった。その少年は綿飴を手に、お面をつけたまま花火見物としゃれ込んでいた。随伴はいないらしく、ただひたすら空中に描かれる伝統芸能に見入っている。灰色の浴衣が涼しげだった。
日向は俺たちを連れてそのお面の少年に近づいた。10秒ほどためらった後、意を決したように声をかける。
「あの、あの!」
少年が気付き、彼女にお面を向けた。日向は緊張で硬直した声をどうにか言語化する。
「……本城隆明さん、ですよね?」
『仮面サイダー』の少年はやおらお面を押し上げた。中から現れた、その顔は……!
「桐木さん!」
日向が腰を抜かさんばかりに喫驚した。俺と奈緒もあっけにとられる。本城隆明だと思って追跡していたその人物は、誰あろう、『探偵同好会』会長の桐木純架だったのだ。
「おや、どうしたんだい、君たち。花火鑑賞かい?」
「き、桐木さん? なんで桐木さんが? 本城隆明さんじゃなかったんですか?」
純架は綿飴を舐めた。
「僕をアイドルと勘違いしたのかい? 光栄というべきかな」
俺は混乱して意味不明な問いを投げかけた。
「お前、こんなところで何してるんだよ!」
純架は首を傾けた。
「何って、花火を見てるんだよ」
奈緒が抗議の視線で純架を焼いた。
「声が本城君に似てるってどういうことよ。全然違うじゃない」
「ああ、それかい?」
純架が『仮面サイダー』のお面を再度装着した。すると、
「どうだい? 本城君みたいに聞こえるだろう?」
その声はまさしく少年アイドル・本城隆明その人の声だった。日向が半べそで感嘆した。
「似てます。そっくりです!」
どうやらお面で声がこもると、本城のような音声になるらしい。俺は大の字に寝転がりたい気分になった。
「馬鹿馬鹿しい……!」
俺も日向も奈緒も、あまりにもくだらない結末に匙を投げる。純架にしてみれば、勝手に期待され勝手に失望され、まあ迷惑な話ではあるが。
「それにしてもちょうど良かった」
純架がお面を頭頂部にずらした。
「『探偵同好会』として君たちに協力してほしい事案があってね。それも大至急の用件なんだ」
俺は鼻で笑った。
「どうせ焼きそば買って来いとか、そんなしょうもないことだろ」
「違う違う。人捜しだよ。僕は彼とこの祭りに来て、無念なことにはぐれてしまったんだ」
日向がすっかり気の抜けた声を出す。
「彼? 一体誰のことですか?」
純架は意外な名前を口にした。
「もちろん本城隆明君のことだよ」
俺と奈緒、そして日向は、まじまじと純架を見つめた。
純架は中学時代から、その類まれなルックスで周囲の耳目を集めた。サンダルフェチである彼の父は、将来の一攫千金を夢見て、純架を芸能事務所に入れようとしたという。
「お前も奇行などにうつつを抜かしてないで、誰かのために働く喜びを覚えなさい」
父の私欲が透けて見えるのが嫌だったが、純架は「友達ができるかも」と、芸能界入りを真剣にこころざした。彼が奇行を乱発し、周囲に誰も寄り付かないのは、つい最近始まったことではなかったのだ。
純架は芸能各社の門を叩いた。オーディションを受けるためだ。だが殿様かつらと白塗りの顔で面接におもむいたり、1時間遅刻して言い訳しなかったり、ブッシュ大統領の声真似でマイケル・ジャクソンの歌を歌ったりと、その奇行は尽きることなき間欠泉のようだったらしい。選考委員は皆失望して彼を落選させた。




