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068夏祭りの偶像事件01

   (三)『夏祭りの偶像(ぐうぞう)』事件




 俺は悶々(もんもん)と寝返りを打っていた。別に睡眠を欲してベッドに転がってるわけじゃない。ある一つの問題に結論が出ないから、こうして全身を投げ出して脳内の討論に耳を傾けているのだ。


 その問題とはこうだ。


「飯田奈緒を夏祭りに誘うべきか否か?」


 重大な悩みである。少なくとも夏休みの宿題などよりはるかに高次の難題だった。


 俺は同じ『探偵同好会』に所属する奈緒が大好きだった。この前の『118の鍵』事件ではずいぶん気性の激しいところを垣間(かいま)見たけど、それでも心は揺らがなかった。彼女とデートし、甘酸っぱい恋を満喫できる日を、想像の地平ではなく今のうつし世で実現させたい。


 だが、どうやって?


 俺は壁にかけられたカレンダーを見やる。明後日の日曜日に赤い丸印がつけられていた。そう、その日こそは、渋山台市の夏祭り当日なのだ。しかも午後8時からは名物の花火大会まである。夏休みの思い出作りとして、またカップルのデートスポットとして申し分ないどころかお釣りが来るぐらいだった。


 俺はスマホを手に取った。彼女の携帯番号は『探偵同好会』メンバーとして抜け目なく聞き出してある。指先一本で彼女と通話できるのだ。


「ああ、ちくしょう」


 俺はまたスマホを投げ出した。もし断られたらどうしよう? あるいは「もう別の友達と予定入れちゃった」とか? これだけ祭りの日が近かったらそれもありうる。もたもたぐずぐずして結論を先延ばししてきた自分が恨めしかった。


 俺と奈緒の関係はこのまま平行線を辿るのだろうか……? 悔しさに唇を噛み締めた。


 と、そのときだった。


 スマホが振動し、着信音を奏で始めたのだ。


 俺はどうせ純架だろうと思いつつ、スマホを手に取った。画面に視線を合わせる。


『飯田奈緒』


 画面にはそう表示されていた。俺は思わず上体を起こし、食い入るようにその四文字を見つめた。奈緒からの着信だ。いったい何だろう? まさか……!


 俺は震える指で通話ボタンを押した。スマホを耳に押し当てる。


「はいもしもし、朱雀ですが」


「朱雀君?」


 奈緒の可愛い声が聞こえてきて、俺は背筋を伸ばした。そして出来る限り平静を装って彼女に応じた。


「飯田さん? こんな夜遅くにどうしたんだ?」


 あくまで恋心を気取られぬように。まあ、『探偵同好会』で俺の奈緒に対する恋慕を知らないのは、奈緒ただ一人である。他の人間には話したり気取られたりで知悉(ちしつ)されているのだが。


「あのね朱雀君、明後日の夜はあいてる?」


 俺は生唾を飲み込んだ。明後日といえば夏祭り当日だ。俺は内心のたかぶりを抑えるのに必死だった。


 出来るだけさりげなく。


「ああ、あいてるよ。何かあるの?」


 声が震えて破綻(はたん)しないよう慎重に抑制する。奈緒が明るい声を出した。


「良かった。あのね、一緒に夏祭りに行けたら……」


「行く!」


 俺はほとんど猛然と返事を口走っていた。奈緒が息を呑んでいる。


「答えるの早過ぎだよ朱雀君。……でも良かった。行けるのね」


「俺も暇を持て余しててさ。こっちから飯田さんを誘おうか悩んでたんだ」


 奈緒の声が明るくなった。


「なんだ、そうだったんだ。じゃあ一緒に行こう。待ち合わせ場所と時間は後でメールするね」


「おう」


 俺は余りの至福に目頭さえ熱くなっていた。奈緒と夏祭りに行ける! 降って湧いた僥倖(ぎょうこう)に、俺はスマホの通話を終えると、狂喜乱舞して部屋中を踊りまわった。開いていたドアからお袋が顔をのぞかせ、「ついに狂ったの?」と心配そうに尋ねてくるほどだった。




 そして夏祭りの日。俺は入念かつ執拗(しつよう)に身だしなみを整えた後、午後6時20分に渋山台駅前広場に到着した。待ち合わせまであと10分。心は膨らんだ風船のように、今にも天に昇っていってしまいそうだった。


 一分一秒が緩慢(かんまん)に、しかし急激に過ぎ去っていく。


「朱雀君!」


 来た! 俺は余裕あるところを見せようと、あくまでゆっくりと声のした方を振り向いた。


「やあ、飯田さん……」


 俺は目をしばたたいた。そこに立っていたのは奈緒一人だけではなかったのだ。


「こんばんは、朱雀さん」


 カメラ少女、辰野日向が、奈緒の後ろからにっこり微笑んでいた。


「辰野さん……」


 なんてこった。二人きりのデートだと思っていたのに……


 奈緒は白地に水色の模様の浴衣、同じく日向は江戸時代の町娘のような黄色の浴衣だった。


「それ、可愛いね。二人ともよく似合ってる」


 俺は落胆を隠しながら二人の格好をほめた。奈緒がくすりと笑う。


「ありがとう。朱雀君も格好いいよ」


 値千金(あたいせんきん)のほめ言葉だ。それを聞けただけでも今日来た甲斐(かい)はあったと、自分をなぐさめる。


「じゃあ行こうか、飯田さん、辰野さん」


 俺たちは参道に向かった。人でごった返す中、屋台と提灯がずらりと並んで周囲を明るく照らし出している。盆踊りの曲が喧騒(けんそう)に抵抗するかのように大音量で流されていた。空は快晴で雲一つない。孤独な月が熟年の誇りをひけらかしていた。


 奈緒がうちわの露天の前で立ち止まった。


「ねえ、暑いしうちわを買おうよ。ちょっと高いけどね」


「そうだな」


 俺は通行人にぶつからないよう配慮しながら店の前に立った。波の絵が描かれた涼しそうな一枚を気に入って購入する。日向は富士山が描写されたものを手にした。奈緒はまだどれに小遣いを投資するか悩んでいる。


 そのとき、日向が俺に耳打ちした。


「安心してください、朱雀さん。そのうち邪魔者は消えます。花火は二人っきりで楽しんでくださいね」


 日向は俺に気を使ったらしい。だが俺はやせ我慢した。


「別に心を砕かんでもいい。皆で花火を見よう。その方が楽しいから」


「そうですか?」


 奈緒が店主に金を払い、こちらへ正面を向けた。純白のうちわだった。


「お待たせ! じゃあ先に進もうよ」


 その後、俺たちは縁日をゆっくり楽しんだ。奈緒はあんず(あめ)を美味しそうに頬張ったり、水風船を手の平で叩きまくったりと、とにかく上機嫌だった。心の底からはしゃいでいる奈緒を見るのは俺にとっても喜びだ。(なご)やかな雰囲気の中、打ち上げ花火の時間は刻一刻と迫ってきていた。


「え?」


 日向が突然立ち止まった。俺と奈緒が足を止める。


「どうしたの、日向ちゃん」


「今、確かに……」


 彼女が食い入るように見つめているのは、近くで何やら雑談に花を咲かせている女性客三名だった。彼女らの声が聴覚に浸透してくる。


「ホントに?」


「本当よ。あのアイドルの本城隆明(ほんじょう・たかあき)君が、この祭りに来ているらしいんだって」


 本城隆明。その名前には俺も聞き覚えがあった。ゼニーズ事務所所属の高校生アイドルだ。樹氷のような繊細(せんさい)な美の優男で、化粧の成果でまつ毛が豊富だ。高い鼻、薄い唇と、造形は将来性の輝きに満ちている。最近出したサードシングルCDが週間チャート5位にランクインするなど、活動は順調だ。末恐ろしい天才児、というのが世間一般の見方だった。


 その押しも押されもせぬ本城隆明が、この夏祭りに来訪している――?


「あの、すみません!」


 日向が女性客に近づいて頭を下げた。


「本城さんの話が耳に入って……。ぶしつけですが、その噂は本当ですか? 今、本城さんはどこにいらっしゃるんですか?」


 そういえば彼女は本城のファンを公言していたっけ。ファンクラブにも入っていて、一年前に近所で開かれたコンサートにも足を運んだというから筋金(すじがね)入りだ。その日向にとってみれば、女性客の会話は聞き捨てならないのも当然だった。


 女性客は笑顔で対応してくれた。


「ファンの子なの? ……あくまで噂よ、噂」


 やや小太りの女性が補強する。


「友達から速報が入ってね。本城君に似通った背丈の男の子が、『仮面サイダー』のお面をつけて一人で歩いてたっていうのよ」


 日向は疑問を口にした。


「お面をつけててどうして本城さんだと分かったんですか?」


「それがね、声がそっくりだったんだって。間違いようもない本城君の声色で、屋台の店主と話していたらしいのよ。それでお面はかぶりっ放しでしょう? 正体を隠すあたり、いかにも怪しいって、仲間内で盛り上がってさ。それで私たちにも知らせてきたのよ。見かけたらうちわにサインもらってって頼まれちゃった」


 日向は丁重に礼を述べた。


「どうもありがとうございました。私も『仮面サイダー』のお面の子を捜してみます」


 日向は満面の笑みでこちらに駆け寄ってきた。意気揚々(いきようよう)と腕まくりをする。


「楽しくなってきました! 絶対に本城さんを見つけましょう、奈緒さん、朱雀さん!」


 こうして夏祭りは『本城さんを捜せ』大会と化してしまった。やれやれ。

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