062バーベキュー事件04
俺は純架ともつれ合いながら坂を滑り落ちた。
「木の陰に隠れて、楼路君!」
俺はバランスを整えるのに苦労しながら、ねじ曲がった木を襲撃者との間に入れ込んだ。純架も同じ木に身を隠す。ボウガンの男が先端をこちらに向けながら言語化した殺意を投げかけてきた。
「何隠れやがってんだ、殺すぞオラァ!」
どうせ殺す気満々だろ、と俺は心の中で悪態をついた。今まで16年生きてきたが、リアルに命を狙われるなど初めての経験だ。喉をからからに干上がらせ、心臓をバクバク言わせながら、俺は周辺に武器になりそうなものがないかと見回した。そのとき、自分のポケットに重みがあることに気がつく。河で拾った丸石だ。
純架がそれを見てにやりと笑った。
「さて楼路君、こんな危機の場合、君だったらどうするね? ネズミのように隠れて震えるかね?」
「冗談。反撃するさ」
純架が不敵で不遜な微笑をひらめかせる。
「僕が連中の気を引く。君はその隙をうかがいたまえ」
純架は「Y! M! C! A!」と人文字を作った。
準備体操なのか?
「いくよ」
純架が木陰から飛び出し、少し離れた別の幹へ突っ走った。ボウガン男がそちらへ狙いを定める。俺は大きく振りかぶると、注意のそれた頭上の敵へ、弾丸代わりの小石を投げつけた。それは俺と純架、二人分の命を背負って飛翔した。
「ぎゃあっ!」
石つぶては狙いあやまたず、ボウガン男の鼻っ柱を砂糖の塔のように粉砕した。手から離れた射撃武器が意思を持ったかのようにこちらへ転がり落ちてくる。俺はすかさず手中に収めると、純架と共に崖を這い上がった。
「ひいっ」
俺のボウガンの切っ先に、運転手の男が腰を抜かしておののく。もう一方の男は鼻を押さえてのた打ち回っていた。形勢逆転だ。俺はボウガンの照準をピタリと合わせて生殺与奪の権利に酔いしれた。
男はどちらも目出し帽を被っているが、低い声と剥き出しの肌艶からして30代か40代辺りだろうと推測された。
すっかり泥だらけになった純架が、埃をはたき落としながら尋ねる。
「君たちは何者だ? 誰に頼まれたんだ?」
襲撃者二人は顔を見合わせた。俺は怒声を吹き付ける。
「言わなきゃこのボウガンが黙ってないぞ」
冷静に考えれば、ボウガンにつがえられた矢はたった一本であり、連射は出来ない。その気になれば、男たちの一方が犠牲となって、俺たちに襲い掛かることも出来ただろう。だが彼らにそのような度胸はないようだった。
すっかり肝を冷やした二人は慌てて喋りだした。
「……俺たちは素人だ。俺もこいつも、新聞の三行広告で高い報酬目当てに応募しただけなんだ」
唇を舌で舐める。
「電話で呼び出された俺たちは、薄暗い古ぼけたビルの一室に呼ばれた。そこには能面みたいな男が気障なスーツで待ち構えていた」
男が唾を飲み下す。
「奴は俺らにボウガンを渡し、扱い方を簡単に解説した。そしてこの山に来る、一番背の低いガキを射つよう言ったんだ。昨日のことだった。報酬は300万という話だった」
だからボウガンの矢はあんなに下手糞だったのか。
「そのバイクは君たちのものか?」
「いや、男に使うよう押し付けられた。多分ナンバープレートは偽造だと思う」
「どうして僕らが河でバーベキューすると分かったんだ?」
「男に言われただけだ。俺たちは何も知らねえよ」
「君たちは全部で何人だ?」
「四人だ。二人河に残って車を監視してる」
純架は驚くべきことを言った。
「いや、五人だね。君たちに裏切られた沢渡さんも含めてね」
男たちは目をしばたたいた。俺もびっくりする。
「沢渡さんがこいつらの仲間? なんでそう思うんだ?」
純架は長く息を吐いた。
「沢渡さんはボウガンの矢に撃たれたとき言ったんだよね。『は、話が……!』と。これは恐らく、『話が違う』と続けたかったんだと思う。沢渡さんが仲間だとすれば、能面の男が僕らのスケジュールを知っていたとしても不思議じゃない。三宮君の『護衛は一人でいい』的な発言も渡りに船だったんだろう。恐らく沢渡さんは能面の男に雇われて、今日の手引きをまかされたんだ。まさか自分も消されようとするとは思いもよらずにね」
純架は見るものを竦ませるような冷たい目で二人を見下ろした。
「矢に塗られた毒は致死性なのかい?」
鼻血が止まらない男は、犬のように首を振った。
「いや、痺れはするがそれほどのものではないと聞かされた。黒服は耐え切れるだろう。だが抵抗の弱いガキは危険だろうがな」
純架は突然靴紐を解き始めた。慣れた手つきで紐を取り除く。そうしながら二人に命令した。
「うつ伏せになって手を後ろに回すんだ。ボウガンに撃たれたくなかったら早くしろ」
男たちは周章して急いで言われたとおりにした。純架が彼らの背中にまたがり、靴紐でそれぞれの手首を縛り上げる。そしてゆるい崖下へ一人ずつ突き落とした。彼らは斜面をごろごろ転がり、木に当たって停止した。
「これで良し、と。バイク借りるよ。さあ楼路君、乗って」
純架は靴を投げ捨てると、バイクにまたがりエンジンを吹かせた。俺は仰天した。
「純架、お前バイクの免許持ってたのか?」
純架は苦笑した。
「あるわけないよ。ただ今は非常事態だ。事故らないことを祈ろう」
俺はボウガンを手にしたまま後部座席に乗った。
「運転中に奇行をやらかさないでくれよ。命に関わる」
「馬鹿だね楼路君、奇行は命懸けだからこそ最高に楽しいんじゃないか」
「おいおい……」
純架はバイクを発進させた。
何度も転倒しそうになりながら、純架は俺を乗せたバイクを器用に操りきって、麓まで辿り着いた。時間にして約10分。両足で走っていたのではこの数倍も時間がかかってしまっただろう。連中の追撃は俺たちにとって好都合に働いたのだ。
「どうしましたか、桐木様、朱雀様」
泥まみれの俺と純架は、黒塗りの高級車から出てきた黒服の男たちに激しく誰何された。俺たちを知っているということは、英二のボディガードたちで間違いない。俺と純架は事の次第を語り聞かせた。黒服たちの顔がみるみる緊張をはらんでいく。
「高山、警察と救急車を呼べ。海藤、福井、俺と一緒に山を登るぞ!」
話し終わると、黒服たちは一斉に動き始めた。純架と俺は車に乗り込む。今来た道を今度は再び帰っていくのだ。黒服の一人が怪訝な顔をした。
「お二人も行かれるのですか?」
「三宮君は友達ですから」
純架はそれだけ言った。また黒服もそれで黙認した。
帰りは速かった。卓越したドライビング・テクニックを披露した福井とかいう黒服は、10分かからず俺たちを河の側まで連れて行ったのだ。
「ワゴン車だ!」
出発したときと寸分たがわぬ位置に無事な車の姿を発見して、俺はほっとした。ますます勢力を増したセミの鳴き声が岩に染み入っている。黒服たちは危険も顧みず車から飛び降り、ワゴン車に殺到した。
「英二様! ご無事ですか?」
ドアが次々開く。頼もしい援軍の到着に安堵してか、日向は泣き出していた。奈緒や結城が外に出てくる。失神しているらしい沢渡さんも運び出された。しかし――。
「結城殿、英二様は?」
肝心要の英二がいない。車内から忽然と消えてしまっている。黒服たちがざわめきたった。
結城が夢遊病者のようにゆっくり頭を振った。
「英二様は『犯人をおびき寄せて捕まえる。連中の狙いは俺だからな。結城、後を頼む』とおっしゃって、一人車外に出ました。5分前のことです。私は必死に忍耐されるよう懇願したのですが、英二様はスタンガンで私を打ち、もうろうとした私を置いて一人出ていったのです」
俺は舌打ちした。あの馬鹿、格好つけやがって。純架が血相を変える。
「大変だ。捜さなきゃ!」
とはいえ、まだ二人いるボウガン野郎の危険性もある。結局増援黒服軍団は三名が残り、残る四名で手分けして捜索することになった。




