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059バーベキュー事件01

   (一)『バーベキュー』事件




 渋山台市内から車で一時間。辺りは夏の陽光に輝く緑の空間となり、間隙(かんげき)をぬった草いきれが鼻腔(びこう)(こころよ)くくすぐる。英二のボディガードでもある運転手の黒服は、気分良さそうにハンドルを握り、都会の喧騒(けんそう)から離れた解放感に口笛でも吹きそうだった。


 俺たち『探偵同好会』6名は、今日は代々谷(よよたに)山でバーベキューとしゃれ込む予定だった。新入会員で三宮英二(さんのみや・えいじ)のメイドでもある菅野結城(すがの・ゆうき)は、いったん計画が決まると、全員の都合の良い日を聞き出してあざやかに段取りを決めた。日取りが夏休みの序盤に定まると、結城は英二の――信じられないぐらい金持ちの跡取りの――執事やボディガードたちと協議し、全ての準備を(とどこお)りなく済ませたらしい。この高級ワゴン車に食材以外の諸々(もろもろ)の道具が積まれていないのは、今朝夜明け前、先乗りした取り巻きたちが現地でセッティングを終えたかららしかった。


 俺、朱雀楼路(すざく・ろうじ)は浮き浮きと、弾む心を気楽に眺めやっていた。バーベキューなんて初めての体験だ。今から楽しみで仕方がない。


「嬉しそうだな、朱雀」


 三列のシートの中央、俺の隣に座る英二がどこかつまらなさそうに言った。茶色の癖毛の髪が頭を覆い、鼻は鋭い矢のような精神に似つかわしく尖っている。美形なのだが、また純架とは異なる部類に属する。小柄な体格から小学生めいて見えた。


「バーベキューなんて庶民の娯楽だ。俺は子供の頃に済ませているが、別段面白くもなんともないぞ」


 英二は辛辣(しんらつ)なことを口走る。俺は反駁(はんばく)した。


「大自然の中でめしを焼いて食う。それだけでも普段とは違う解放感にあふれてるじゃねえか。地球が織り成す悠久(ゆうきゅう)(いとな)みの中に放り込まれると、人間は誰しも自分の小ささに気付いて殊勝(しゅしょう)になるってもんだ……なんちゃって」


「誰が小さいって?」


 小柄な英二が言葉尻をとらえて目をむいた。うわ、めんどくせ。


「誰もそんなこと言ってないだろ。過剰(かじょう)反応し過ぎだ。落ち着けって」


 英二は俺を指差した。


「いいか朱雀。俺は高校三年間で、必ずお前の身長を抜いてやるからな。今はともかく、将来は俺がお前を見下ろすんだ。分かったな」


「へいへい」


 俺は適当に返し、にらみつけてくる英二から後ろへ視線を転じた。ワゴンの最後尾は『探偵同好会』3名の女子が仲良く並んでいる。


 そのうちの一人、結城が読書の手を休めて、心持ち前傾姿勢で黒服に話しかけた。


「それにしても英二様の行楽(こうらく)に、ボディガードの黒服があなた一名とは少なすぎませんか?」


 英二が鷹揚(おうよう)に手を振った。


「俺が一人でいいと言ったんだ。どうせ誰も来ないんだし、『探偵同好会』の和気藹々(わきあいあい)を邪魔しなくてもいいと思ってな。それに山の(ふもと)に別働隊を控えてある。特に問題はなかろう」


 結城は頭を下げたが、それでも不満げだ。


 その結城の隣は、俺の恋焦がれる人、飯田奈緒(いいだ・なお)だ。ボーイッシュな黒髪が見るものを魅了する。大きな茶色の瞳にまとまった鼻、輝く唇が愛おしい。耳が丸まっているのも特徴だ。


 彼女は座席の中央で、隣の辰野日向(たつの・ひなた)と談笑していた。


「日向ちゃん、やっぱり撮るんだ」


 日向は奈緒と同じくショートカットで、黒縁眼鏡を常備していた。花が咲いたような奈緒の美貌と比べ、こちらはつつましやかな、控えめな美少女だ。首から提げているのはトレードマークの紅色のデジタルカメラ。彼女は新聞部と掛け持ちで『探偵同好会』に入会しているのだ。


「今日は新聞部関係なく、純粋に自分のために色々思い出を残したいと思ってます。いい写真が撮れたら後で差し上げますね」


「うん、お願い」


「それにしてもいい天気ですね。三宮さん、今日の場所は行ったことあるんですか?」


 英二がだるそうに振り向く。


「いや、ない。昔俺の両親が使ったことはあるそうだが……。おい沢渡(さわたり)


 運転しながら黒服が答える。この人沢渡さんっていうのか。


「何でございましょうか英二様」


「お前はそのとき一緒だったか?」


「はい、三宮様を先導する栄誉をたまわりました」


 いつの間にか車はゆるやかな崖道を走っていた。森林の背丈が下がり、梢の隙間から空がのぞけている。英二はあくびをした。今日は朝早く集まったのだ。


「少し眠るか。結城、着いたら起こしてくれ」


「かしこまりました」


 英二は両目を閉じて椅子にもたれかかった。程なく(すこ)やかな寝息を立て始める。寝顔だけ見ると、傲岸不遜(ごうがんふそん)な常態はあとかたもなく消えている。俺はやれやれとため息を吐いた。


「楼路君、君も一杯いくかい?」


 しばらくして話しかけてきたのは、助手席に座る『探偵同好会』会長、桐木純架(きりき・じゅんか)だった。


 知らぬものがいれば、『動き出した彫像』のような純架に感銘を受けたことだろう。眉目秀麗(びもくしゅうれい)な彼は、その容姿のみでいかなる芸術家からも降参の()を上げさせることが可能だった。純架はその端麗な顔で周囲を明るく照らし出し、何人も触れえぬ神々(こうごう)しさを身にまとっているのだ。


 その黒い髪は中世ヨーロッパの貴族のようで、耳と額を隠している。しかしどのような髪型であれ、名匠の賢作のような純架に似合わぬというものはなかっただろう。


 純架は水筒の蓋をコップ代わりに、椅子の隙間からそれを俺に差し出した。中にはなみなみと緑色の得体の知れない液体が注がれている。


「おい、何だこりゃ」


「何って、分からないかい? アボカド玉ねぎジュースだよ」


「飲めるか!」


 そう、純架は『探偵同好会』会長であり、美の象徴的存在でもある。だが困ったことに、彼は大の奇行好きなのだ。誰かを笑わせるためではなく、ただ自己満足と愉悦(ゆえつ)を求め、発作的に奇行をやらかす。それが彼、桐木純架だった。それゆえ男からも女からももてずにいる。


 純架は仕方なしに中身に口つけた。


「熱っ」


 沸騰(ふっとう)させた意味が分からん。


「しかし沢渡さん、その格好暑くないんですか?」


 運転手の沢渡さんは、黒いスーツに同色のサングラスと、ボディガード然とした格好だ。ワゴン車の中は冷房が効いているからいいとして、到着して食材の運び出しとなったら焼死できるのではないだろうか。


「仕事ですから」


 無口な沢渡さんはそう応じたのみだった。純架はアボカド玉ねぎジュースをすする。


「三宮君は財閥の跡取りとか。やっぱり沢渡さんは命に代えても三宮君を守るんですか?」


「仕事ですから」


 同じ答えが返ってきた。護衛とはこういうものなのか?


 純架は問答を打ち切ると、脈絡なく北原白秋作詞、山田耕作作曲の童謡『待ちぼうけ』を口ずさんだ。


 いつの時代の人間だ?



 車は舗装されていない悪路の端で停車した。沢渡さんがエンジンに休憩を与える。


「ここからは歩いて河原に向かいます。なに、3分もありません」


 結城が前の座席の英二を揺り起こした。


「英二様、着きましたよ」


 結城は銀縁眼鏡を輝かせた。灰色の思慮深そうな瞳が慈愛に満ちる。英二はおもむろに目を開けた。すぐ眠りの女神のくびきから脱する。


「よし、行こう」


 ドアを開けて車から降りると、情け容赦ない日の光が早速俺たちに敵意を示した。俺は早くもじっとりと発汗する。


「暑っ……」


 皆同じ言葉をもらしながら、ダンボール三箱分の食材を手分けして持ち出した。英二は貴賓(きひん)を気取っているのか、荷物を結城と沢渡さんに任せて手ぶらで歩き出した。


 空気の美味い森の中、そこだけは人工的な木組みの階段を下りていく。河のせせらぎと野鳥の鳴き声が鼓膜をくすぐった。

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