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056生徒連続突き落とし事件12

「……というわけです、黒沢先輩」


 ICレコーダーの再生が終わると、純架はスイッチを切ってポケットにしまいこんだ。


「美又先輩、今の内容に間違いはないですね?」


「ああ」


 美又先輩は目尻に涙を溜めていた。


「黒沢が犯人だ」


 隣に座る黒沢先輩は窮地(きゅうち)に追い詰められたネズミ然とはしていなかった。鍛えられた上半身は微動だにしない。それを空しい虚勢と取るには、あまりにも傲然(ごうぜん)とし過ぎていた。


 純架はややいら立たしげに突きつけた。


「お認めになりますか、黒沢先輩?」


 黒沢先輩は個展の絵画を品定めするような声音だった。


「まあいいだろう。本当は逃げ切るつもりだったがな、こうまで追いかけられると褒美(ほうび)の一つも取らせたくなる」


 美又先輩とは好対照に言い放った。


「俺が犯人だ。少なくとも1人を転落させた突き落とし魔は、この俺だ」


 まるで悪びれないその態度に、俺は怒りがふつふつと湧き上がるのを感じた。純架が俺に目顔(めがお)で『落ち着け』と合図する。


「黒沢先輩、あなたは美又先輩が決死の転落を行なってあなただけに通じるメッセージを送ったというのに、突き落としをやめませんでした。それが五番目の被害者です。人目につきやすい昼休みに決行したあなたの胆力には感心しますが、そんな危険を冒してまで、いったいあなたはなぜ女性を連続で突き落としたんですか?」


「動機は調べてこなかったのか」


「……あるいは、他校の女生徒との交際がうまくいかなくなったから、ですか?」


「半分当たりだ」


 余裕たっぷりに腕を組む。その顔は笑ってはいなかった。


「俺には将来を誓い合った女がいた。(ぬえ)の島高校2年、聖夢子(ひじり・ゆめこ)だ。俺は彼女を心の底から愛していた」


 その瞳が遠い過去へさ迷い出る。


「だが一ヶ月前、その思いは一生出口を探して彷徨(ほうこう)することとなった。夢子が死んだのだ。交通事故でな。乗っていたバスに大型クレーンが倒れ掛かり、彼女は一瞬で押し潰された。苦痛を感じるいとまもなかっただろう」


 そういえばそんな事故がテレビで報じられていた気もする。あの被害者が黒沢先輩の彼女だったというのか。


「事故の一報を受けたとき、それを信じられず俺は病院へ向かった。遺体安置室で再会した夢子は――昨日まであんなに元気だった夢子は、もはや物言わぬ冷たいむくろと化してベッドに寝かせられていた。原型をほとんどとどめずにな。全ては終わって、俺は宝物を神様から取り上げられた事実に悄然(しょうぜん)とした。こんな悪夢、早く覚めてくれと心から願ったがね。現実は小揺るぎもしなかった」


 自嘲の笑みが瞬間、口端をかすめる。


「俺は自暴自棄になった。美又が俺に好意を抱いていることは知悉(ちしつ)していたが、そんなもの夢子と比べる価値さえない。俺はむしゃくしゃして、何もかもぶち壊してやろうと心に決めた。だから俺は――」


「渋山台高校の女性を突き落とした、と?」


 純架がなじるように言った。黒沢先輩は首肯した。


「夢子は俺との将来どころか命さえ奪われて、望まぬ死を強制された。この世が神ではなく悪魔に支配されていると信じるに足りる出来事だった。なら俺も悪魔の片棒を(かつ)いでやる。この学校の女たちも、夢子同様、『突然の危害』に遭えばいいと思ってな。だからまずは放課後、音楽教師の畑中を突き落としたんだ。俺は……」


 黒沢先輩は身震いした。


「俺は快哉(かいさい)を叫びたい気分だった。夢子の仇を討ったような気がして痛快だった。俺は一人では飽き足らず、次の犠牲の羊を求めた。いっそ転落がきっかけで死んで、あの世で夢子の随伴者(ずいはんしゃ)になればいいと思ったぐらいだ。だからそこの奴……」


 視線が日向に突き刺さる。日向はおびえて身を縮こまらせた。黒沢先輩は冷笑した。


「そこの奴を突き落としたんだ。三人目も同じ理由さ」


 あごを撫でる。


「美又が転落して『犯人は小柄な女だ』と証言したときは驚いたよ。だがそれも一瞬だった。俺の怒りはそれで動かされるぐらい軽いものではなかったからな。いや、そうであることを証明するために、更なる突き落としが必要だったとでも言おうか。だから俺は危険を顧みず、昼休みに五人目となる転落者を生産したのだ。放課後は先生方が監視して無理だったのでね……」


 いつの間にか黒沢先輩は全ての犯行を認めていた。途中で気が変わったものと思われる。(きょう)が乗るというレベルではなく、狂気の発露に快感を覚えているようだ。


 俺は喉の渇きを覚えた。こいつは異常だ。戦慄が氷の柱となって背中に忍ばされたみたいだった。


「そして更に強化された監視に、もはやこれ以上の羊は得られないと俺は考えた。犯人を捕まえられずに地団駄(じだんだ)を踏む先生どもを笑いながら、別れの意味もこめて、最後は自作自演で転げ落ちたのさ。突き落とし魔の最後の犠牲者を演じてね。まさか手首が折れるとは思わなかったよ。人間の体は頑丈じゃないな」


 黒沢先輩は周囲の静寂(せいじゃく)の中、一人笑っていた。


「何を自慢げに話している?」


 純架はこのとき、入学以来初であろう怒りを見せた。


「あなたの独りよがりのためにどれだけの女性が危害を加えられたか。どれだけの生徒がおびえ、先生方が(いきどお)り、保護者が不安を募らせたか。あなたの罪は万死に値する。天国で夢子さんがさぞ(なげ)いていることでしょう」


 黒沢先輩は獰猛(どうもう)な表情を形作った。


「夢子の名を気安く口にするな。身の程を知れ。お前などが論評していい存在ではない」


 純架は引き下がらなかった。


「あなたこそ最低の突き落とし魔のくせに、誇らしげに語らないでください。反省しないんですか?」


 黒沢先輩は断言した。


「反省などするものか。それは自分の行ないを否定することになる。俺は反省などしない」


「謝罪もなしですか」


「当然だ」


 純架は肩をすくめた。


「じゃ、警察と先生方、両方にこっぴどく叱られてください。その後退学、場合によっては少年院送致。犯した罪を(つぐな)ってください」


 黒沢先輩はさすがに鼻白(はなじろ)んだが、豪気にも声帯を震わせなかった。


 純架は立ち上がった。


「今日は色々セッティングしてくださってありがとうございました、美又先輩」


 美又先輩は手を振った。


「いいよ。あたしもすっきりしたかったから」


 純架は手で胸を押さえた。


「帰ろう、皆。以上がこの事件の全貌だよ」




 俺たちは帰りのバスに揺られていた。純架が俺たちに語る。


「黒沢先輩に同情できる点があるとすれば、それは聖さんを突然奪われたことだね。何の前触れもなくいきなり最愛の人を奪われるなんて、黒沢先輩の胸中は計り知れないほど乱れただろう」


 考え深げに語を繋ぐ。


「今回、多くの人がその日常を突然(おびや)かされた。人は毎日の生活を当たり前のように思って過ごしているけど、それがもろく壊れやすいものであることを、多くの人が等しく胸に抱いたんじゃないかな。今回の事件によってね」


 この前垣間(かいま)見た桐木家の日常が思い起こされる。俺の日常、皆の日常……。


「平穏な毎日は、永遠に続くように見えて、突発事態によってすぐに粉砕されてしまうものなんだ。だから僕らは、一日一日、『日常』を悔いなく生きていかねばならないんだと思うよ。黒沢先輩のように狂気に取り()かれたりしないでね」


 そこで「ぐう」と誰かの腹の音が鳴った。鳴らしたのは奈緒だ。彼女は赤面して言った。


「ねえ、お昼食べようよ。皆まだだし」


 純架は苦笑した。


「そうしようか、飯田さん」


 10分後、俺たちは涼しい店内で、ジャンクフードで()えを満たしていた。英二は「こんなもの……」と、アイスコーヒーを頼んだだけだった。


 そう、英二。俺は忘れていないぞ。


「三宮、お前言ってたよな。『もしお前らが勝ったら、いいだろう、「探偵同好会」に入会してやる』ってな」


 英二は万引きを見つかった子供のようにぎくりとした。純架がポテトを口に放り込みながら面白そうに尋ねる。


「覚悟は決まったかい、三宮君」


 結城が英二をかばった。


「英二様への強要には断固抗議します。この地上の誰とても、英二様を従わせることはできません」


 英二は結城の腕を叩いた。


「いいよ、結城。確かに勝負は俺の負けだ。正しい真相を、俺は見抜けなかったのだからな。完敗だよ」


 英二が純架に握手の手を差し伸べた。


「いいだろう、『探偵同好会』、入ってやろうじゃないか」


 純架はがっちり握り締めた。


「ようこそ、『探偵同好会』へ。……菅野さんは?」


 結城は吐息をついた。


「私は英二様の影。光あるところに影はあるもの。私も女子柔道部をやめ、『探偵同好会』へ入会させていただきます」


 純架は握り拳を打ち振るった。


「よし! これで6人、同好会として正式に設立だ!」


 そのままだと机の上に乗ってダンスでも踊りかねなかったので、俺は純架を取り押さえた。純架が抗議する。


「放せ、放せ! 我は太閤(たいこう)秀吉なるぞ!」


 いや違うし。

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