055生徒連続突き落とし事件11
俺はペンを走らせると、次の奈緒に場を譲った。彼女もまた、美又先輩の名前に愕然としていた。残りの三人も同様だ。
純架は美又先輩を俺たちに会わせようとしている。では美又先輩が犯人なのだろうか? 彼女は第四の被害者ではなかったのか?
適温に保たれた病院の中は快適だ。患者の邪魔にならないように気をつけながら廊下を歩く。先ほどナースステーションで指示された部屋へ到着した。表札は『美又慶様』『古谷美鈴様』『小山内藍様』『佐藤有香様』と並んでいる。四人部屋だ。
純架は美又先輩の名を呼んだ。すぐいらえがあった。
「来たか、桐木」
美又先輩は病衣姿で、曲げた右腕を三角巾と胸の固定バンドで固めている。純架に微笑を傾けたが、連れが5名もいるのを見て眉間にしわを寄せた。
「おいおい、何人立ち合わせる気だよ」
「どうせ公けになるなら何人いても構わないでしょう」
「まあそうだがな。よし、ここじゃ私語は厳禁だ。談話室へ行こう」
俺たちは美又先輩に続いた。談話室はだだっ広く、机と椅子が整然と配置されていた。食堂としても使うらしい。窓から光が降り注ぎ、幾人かの患者が隅の方で会話を楽しんでいる。ポットと紙カップが置いてあり、どうやら紅茶やコーヒーが飲めるようであった。
俺たちは席に座った。美又先輩一人がそうしなかった。
「じゃ、あたしはあいつを呼んでくる」
「お願いします」
純架は頭を下げた。美又先輩が談話室を出ていく。あれ? どういうことだ? 俺は純架に問いかけた。
「美又先輩が真犯人じゃないのかよ」
「誰もそんなこと言ってないよ。今に分かる」
純架は髪の毛を指で梳く。俺たちは無言で美又先輩の帰着を待ち続けた。
そして、彼女は戻ってきた。男性の患者を伴っている。
それは第六の被害者――2年2組、黒沢敏勝先輩だった。
「これは何の真似だ?」
黒沢先輩は俺たちを一渡り眺めて苦情を申し立てた。
黒沢先輩は一言で言えば剛毅だ。たくましい体は服からはち切れんばかりで、太い眉と奥深い両目が鷹を思わせる。鋭い鷲鼻だった。俺は鋼の巨塔を仰ぎ見る感じを受けた。手首をギブスで固めている。
純架が身を起こした。
「どうも、黒沢先輩。その骨折は痛かったでしょうけど、畑中先生、我が友辰野さん、天音さん、綾本先輩の受けた無差別な暴力に比べれば軽いとさえいえるでしょう」
「何が言いたい?」
「あなたがこの一連の事件の真犯人だということですよ」
俺たちは凍りつく。
黒沢先輩は堂々としていた。臆病者ではないのだろう。
「大した言いがかりだな。そう、確かお前は――『探偵同好会』の桐木だな」
「おや、僕のことをご存知で」
「『渋山台高校生徒新聞』でお前らの記事を読んだだけさ」
黒沢先輩は椅子にどかりと腰を下ろした。
「面白そうだな。では俺が真犯人だという論拠を示してもらおうか」
「分かりました」
純架も美又先輩も着席する。純架がゆっくり喋りだした。
「この『生徒連続突き落とし』事件、被害者はでたらめに選出されたようで、まずそれが僕を悩ませました。女であるという以外、彼女らには何の共通項もない。つまり無差別です。なぜ犯人はこんな真似を――失敗したら立場がなくなるような危険な真似を繰り返すのか、僕にはどうしても分かりませんでした」
黒沢先輩は茶飲み話でもしているかのように泰然自若としている。純架は推理を紡ぎ出していった。
「さて、3人目の天音さん転落後、僕ら『探偵同好会』は本腰を入れて監視を始めました。3階と2階の廊下を張り込み、階段へ向かう人間をチェックしたのです。これは鉄壁で、アリの子一匹見逃さぬよう配慮されていました。階段内で上下移動でもしない限り、犯人は女性を突き落とすことはできないはずだったんです。ところが……」
黒沢先輩はうなずいた。
「美又が突き落とされた。そうだったな?」
美又先輩を見やる。彼女はうつむいているばかりだ。
純架は咳払いをした。
「そう、4人目の犠牲者は出てしまった。それで三宮君は考えました。『犯人は屋上に潜んでいた』とね」
英二が機嫌悪そうに口を尖らせた。
「悪かったな」
「だが楼路君たちや三宮君たちが聞き込みをしても、犯行時、屋上には誰もいなかったことが判明しました。……僕はそうなるだろうな、と予想していました。どだい、屋上に潜んでいた犯人が、タイミングよく美又先輩を突き落とすなんてあまりにも非現実的過ぎます。僕はこう考えていました」
美又先輩を見つめる。
「犯人は3階廊下にも、2階廊下にも、屋上にもいなかった。なら話は簡単です。美又先輩は、自分で階段を転げ落ちたんです。自作自演、というわけですね。そう結論付けるのが自然です」
俺は美又先輩の痛々しい姿を眼球に映した。
「おいおい、美又先輩は上腕を骨折したんだぞ? あれが自傷行為だって言うのか?」
「そうさ、美又先輩はやり遂げたんだ。愛する黒沢先輩を救うために、ね」
純架の投下した爆弾は無言の乱気流を巻き起こした。美又先輩はテーブルの縁を苦しそうに見つめるばかりだ。黒沢先輩は何も大変なことは起きていないのだ、とばかり冷静沈着な物腰を崩さない。
純架は彼をひとにらみした。
「美又先輩は黒沢先輩が好きだった。だから自分は突き落とされたと先生方に証言し、『犯人は小柄な女』という虚偽の情報を訴えた。黒沢先輩を捜査の網から逃すために」
俺は口を挟んだ。
「どうしてそんなことが分かったんだ?」
「僕単独で2年2組の先輩たちに美又先輩の人となりや周辺事情を聞き込んだのさ。彼女が黒沢先輩を好きなことは公然の秘密だったよ。それが一方通行、片思いの類だったってこともね」
純架はポケットから何かを取り出し、机の上に置いた。純架愛用のICレコーダーだった。
「そうした情報を収集した上で、僕は先日、ここへ美又先輩を訪ねた。その際の会話がこれさ」
スイッチを押す。空気感の雑音が流れたかと思うと、美又先輩の声が聴こえてきた。
『何だ、何の真似だ、その機械は』
純架の声が答える。
『何、後でうやむやにされないための、「探偵同好会」ならではの録音行為です。形式的なことですのでお気になさらず』
舌打ちの音が発生した。
『それで、あたしに何か用か?』
『はい。なぜ階段から自分で落ちたんですか?』
美又先輩は半瞬の後噴き出した。しかしわざとらしい。どうも彼女に演技力はないように思える。
『骨折までしたあたしの転落が自作自演だっていうのか?』
『はい』
『証拠はあるのか?』
『いいえ。ただ、状況的に見てそれ以外の可能性はありません』
美又先輩は怒ってみせた。
『帰りな。話にならない』
純架は落ち着いている。
『そういうわけには参りません。……ただ美又先輩、あなたがどれだけ尽くしても、黒沢先輩はあなたになびきませんよ』
美又先輩はたじろいだように吐息した。そしてそれを隠すようにせせら笑った。
『何だ、急に焦点を変えたな』
『聞き込みの結果、あなたが黒沢先輩に懸想していることが知れました。そして同時に、黒沢先輩が別の高校の女性を愛していることも、ね。最近はともかく、ついこの前までは二人仲良くデートする姿が目撃されているようですね』
『…………』
深い沈黙を純架の刃が切り裂く。
『あなたはかなわぬ恋と分かっていながら、それでも彼のために何でも投げ出す覚悟ができていた』
『黙れ』
『あなたが大怪我を負うような自作自演を打った理由は色々考えられますが、大好きな黒沢先輩のためだと見るのが自然です』
純架は追及の手を緩めない。
『あなたは見てしまったんですね。放課後、黒沢先輩が女性を突き落とす場面を』
『黙れ!』
『だからあなたは、あたかも誰かに突き落とされたかのごとく、自作自演で転落し、骨まで折る重傷を負った。黒沢先輩をかばうために。悲しい恋ですね』
『…………!』
純架は何事か怒鳴ろうとする美又先輩の機先を制した。
『美又先輩、美又先輩! ……正直に話してください。黒沢先輩が犯人なのですね?』
純架の一刀に、ICレコーダーが故障したのかと思うぐらい、しばしの間柔弱な雑音が続いた。
やがて美又先輩のため息が流れた。
『……そうだ。あいつが二番目の被害者――1年の子を突き落としたんだ。あたしは上の中間踊り場からそれを目の当たりにし、あわてて身を隠した。黒沢はこちらに気づかず、急いでその場から駆け去った。あたしは動悸を鎮めるのに必死だった……』
涙声になる。
『そしてあたしは、あいつを潔白にするため、自分から階段を転げ落ちたんだ。「探偵同好会」が張り込みしているのを確認したうえで、な』




