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051生徒連続突き落とし事件07

 最初こそ与えられた任務に緊張していた俺だが、15分も経つとすっかり飽きていた。通行する人間は5分前を最後にぱったり途絶(とだ)えている。小声なら別に喋っていても良かろうと自分を許し、英二にかねての疑念をぶつけてみた。


「なあ三宮、お前元はどこの学校にいて、どうして転校してきたんだ?」


「何だ、その質問は。俺に興味があるのか?」


「いや、何となく」


 怒られるかと思ったが、英二も無言の行に退屈していたようだ。俺と同じく低い声で答えた。


「元は東京の私立煙ヶ峰(けむりがみね)高校に通っていた。進学校だった。だが父から『もっと空気の清浄な場所で学ぶべきだ。お前が勉学にしっかりした姿勢を抱いていれば、どこの高校でもよかろう』との意見をいただいてな。それで全国各地の高校を調査し、今回この渋山台高校へ転校してきたというわけだ」


 なんかすごい一家だな。


「いつも豪華な弁当を食べてるようだけど、あれいくらするんだ?」


「しもじもの者が買えない値段だ。健康には人一倍気を使えと教えられている」


「三宮って金持ちなのか?」


「祖父が(おこ)した造船業が成功し、賢明な父が更に会社を大きくした。莫大な財産があるとだけ言っておこう」


「友達はいるのか?」


 この何気ない問いに、英二は押し黙った。ややあって口を開く。


「まだ転校したばかりだからな」


 いないってことか。


「前の学校では?」


「何名かいたぞ」


 本当か?


「俺を英二様と呼び、金を払うと喜んで付き合ってくれたな」


 それ、友達じゃないような気がするが……


 その後、張り込みは空振りに終わった。午後6時、実に3時間近くの苦労は水の泡と消えた。


 もし英二が犯人だとしたら、成果なしは当たり前となる。俺は心中ひそかにこの背の低い同級生への疑いを濃くした。もっとも、真犯人が成算のないと知れている張り込みに一生懸命になるかどうかは、また別の問題だったが……




 翌週放課後もまた、俺たち『探偵同好会』は英二と結城のコンビと共に張り込みをした。今度は俺と日向、結城の3人で2階に陣取る。3階は純架、奈緒、英二が監視していることだろう。


 やっぱり暇になったので、俺は結城に話しかけた。


「菅野さんって三宮のメイドなのか?」


 結城は銀縁眼鏡の中央を押し上げた。


「はい。英二様の召し使いです」


 何のちゅうちょもなく言い放つ。


「私は三宮財閥に雇われた高校生です。といっても私の代からではなく、祖母からしてすでにそうでした。私たち菅野家は代々三宮家に仕え、その身の回りのお世話を仰せつかってきたのです」


 なんちゅう家庭だ。


「でも三宮英二の相手って疲れるだろ」


「といいますと?」


「あんな気の強いちび、さすがに持て余すだろってことさ」


 次の瞬間、俺は左頬に強烈な張り手をもらっていた。鋭い痛みの波紋と共に乾いた衝撃音が廊下に反響する。


「何すんだよ!」


 俺は頬を押さえて結城に抗議した。結城は憤怒(ふんぬ)の塊と化して俺をにらみつける。


「英二様の誹謗中傷(ひぼうちゅうしょう)は断じて許しません!」


 そして廊下に正対すると、もう何も言わずに任務を再開した。俺は彼女の背中に非難の視線を向けるしか出来なかった。


「大丈夫ですか?」


 日向がいたわりの声をかけてくれる。俺は首肯(しゅこう)すると、改めて張り込みを再開した。


 しかし今日も突き落とし魔の犯行はなかった。あるいは俺たちの監視に気づいて、危険を(おか)さず(ひか)えているのかもしれない。




「最近帰ってくるのが遅くない?」


 俺が帰宅すると、開口一番お袋がとがめてきた。


「心配しちゃうじゃない」


 俺は率直(そっちょく)に謝った。


「悪りい、友達と遊んでたから」


 突き落とし魔を張り込みしてた、とは、どうにも言いようがなかった。


「最近は物騒な世の中なんだから、早く帰ってきてよね」


 俺とお袋、どちらも危険ということか。


「分かったよ。今日の晩飯の当番は俺だっけ? なら急いで作らないとな」


 俺は自室に戻って、鞄を置いて普段着に着替えた。キッチンに入ると、調理器具を取り出しつつエプロンを巻く。


「そういえば賢から荷物が届いてたよ、楼路(あて)に」


「兄貴が? 何だろう」


「誕生日プレゼントじゃない? 楼路の誕生日、7月9日でしょ?」


 ああ、そういえばそうだった。俺は調理を後回しに、早速その小包を受け取って封を開けた。


「これは……!」


 それは俺のお気に入りブランドのシューズだった。1万円は下るまい。俺は歓喜に小躍りしそうになった。


「すげえ! さすが兄貴!」


「大事に使いなさいよ、楼路」


『ハッピーバースデー』のカードと共に手紙と写真も入っていた。俺は感激しながら目を通す。親父も兄貴も東京で元気に暮らしている。夏休みになったら遊びに来い、東京の観光案内を引き受けてやる。お袋は元気か、ちゃんと太らず健康か? お互い頑張ろう――といった内容だった。


 読み聞かせると、お袋は懐かしそうな目つきで笑った。


「私別に太ってないよね、楼路」


 俺は論評を避け、シューズの紐を結んで室内を歩き回った。雲を踏んでいる気分だった。




 翌日、純架は俺たちに最初に言い渡した。


「もうすぐ期末テストだし、張り込みは今日までにしよう。僕らは『探偵同好会』だけど、その前に渋山台高校1年生だ。できることは限度がある」


 俺の体内で不満が踊る。


「そんなことしたら三宮に負けるぞ」


 純架は気にしていない。


「犯人捕獲は彼らに任そう。もちろん僕らも捜査は続行するけど、張り込みの方はとりあえずもう終わりにしよう」


 かくして最後の監視が始まった。俺は奈緒、英二と共に3階廊下を見張っていた。純架、日向、結城は下の階だ。


「ほう、張り込みをやめるのか」


 英二は馬鹿にしたように鼻で笑った。


「ならもう90パーセント以上の確率で俺の勝ちだな。現行犯で押さえられる機会をみすみす手放すなんて、気が狂ったとしか思えん」


 完全に勝ち誇っている。何も言い返せず、俺は貝のように口をつぐんだ。


 時間は無為(むい)に過ぎていった。7月の暑気(しょき)をまともに受けて、俺たちは何度も汗をぬぐった。


 奈緒が俺の肩を叩いた。


「トイレ行ってくるね」


「ああ」


 奈緒は廊下の階段前を通り過ぎ、トイレへと歩いていった。


 後にはテレビドラマの刑事さながらの野郎二人が残された。英二が廊下を見つめながら問いかけてくる。


「なあ、お前あの女が好きなのか?」


 いきなりずばりと指摘されて、俺は全身を硬直させた。


「な、何言ってんだよ」


「おや、図星(ずぼし)か。分かりやすいなお前」


 英二はこちらに悪魔めいた笑顔を見せた。


「飯田に対するお前の目つきとか所作とか、全てが『僕はこの女が好きです』と額縁(がくぶち)付きで飾ってあるぞ。単純過ぎて笑えてくるな」


 俺は嫌な汗が全身からにじみ出てくるのを抑え切れない。


「悪かったな」


 俺はこんな奴にからかわれることに不快感をにじませた。


「おい、飯田さんに言うなよ」


 英二は手を振った。


「安心しろ、俺は興味ないんだ。……それにしても何も起きないな」


 ホームルームが終わってから1時間ほど経過している。辺りは無生物の支配する空間だった。


 と、そのとき。


「きゃあっ!」


 稲妻のような女の悲鳴が空間を切り裂き、俺たちの聴覚を襲撃した。そして岩石が転げ落ちるような轟音がそれに続く。


「落ちたな!」


 英二が弾丸のように飛び出した。俺も後を追う。廊下を自己ベストのタイムで走破すると、階段の見える位置に身を躍らせた。誰もいない。さっきの音は下の階からだ。二段抜かしで駆け下りて2階に向かう。


 「それ」が視界に飛び込んできたとき、俺は自分たちの詰めの甘さを呪った。


 先に辿り着いた純架、結城が一人の女生徒を介抱していた。彼女は腕を押さえて苦痛にうめき、こめかみから血を流した痛々しい姿で横たわっている。日向は見えないが、恐らく先生を呼びに行ったのだろう。


「純架、この人は……」


「突き落とされたんだ」


 唇を噛み締める。


「なのに僕らは犯人を捕らえることができなかった。大失態だ!」

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