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048生徒連続突き落とし事件04

「あちゃーっ!」


 純架も奇声を張って立ち向かう。黒ずくめの跳び蹴りをしゃがんでやり過ごすと、立ち上がるのときびすを返すのと裏拳(うらけん)を放つのとを同時にこなした。しかし黒ずくめはその一撃をかわすと、腰をためつつ正拳突きを繰り出してきた。純架はその剛拳をはたいて軌道をずらし、(ふところ)に侵入する。足を引っ掛けて体勢を崩させ、潰すように押し倒した。


 馬乗りになった純架はゲンコツを(かか)げ、奇襲してきた相手を威嚇(いかく)する。


「ま、参ったよ、お兄ちゃん」


 どうやら女らしいその声を発し、襲撃者は降参した。純架は立ち上がって離れる。


「まだまだ甘いね、(あい)君」


「また負けちゃった」


 愛はヘルメットを脱いで一息ついた。俺は瞠目(どうもく)した。幼い彼女は兄とよく似た美少女だったのだ。丸い瞳は黒目がちで、お茶目な鼻、ませた唇にまだあどけなさが残る。髪は黒いセミロングで、手足は細く胸もない。


「……ん?」


 そこにいるのにようやく気がついた、とばかり、愛の視線が俺の面上を撫で回す。彼女は両手を組み合わせ、うっとりとした声音で言った。


「素敵……!」


 愛が俺を賛嘆(さんたん)する。俺は彼女の目に真剣な恋情の発露を見い出し、ややうろたえた。愛が自分の服装の乱れを手早く直しつつ、俺に色目を使う。


「ねえ、小生は桐木愛。あなたは何て名前なの? 教えてくださる?」


「俺は朱雀楼路。純架の仲間だよ」


「ろうじ、ろうじ! 素敵な名前ね!」


 愛ははしゃいでいる。俺は尋ねた。


「それにしても、今の騒ぎは何だったんだ? それにその姿。空手でもやってるのか?」


 愛は顔を紅潮させた。


「小生は自分で編み出した拳法『戦塵拳(せんじんけん)』の初代マスターなの。お兄ちゃんに練習相手を頼んだら『いつでもかかってきたまえ』と了承されたんで、文字通りいつでも挑んできたわ。食事時でも就寝時でもね。でも400戦して未だに勝てないの」


「そのヘルメットは?」


「怪我して小生の顔に傷跡がついたら大変だっていうんで、お兄ちゃんからかぶるよう命じられてるの」


 俺は肩が重くなった。どうもこの兄妹、理解できそうにない。


 純架が愛に命じた。


「じゃ、今回の『負けた罰』はお茶くみだよ、愛君」


「はぁい。ねえ楼路さん、何がいい? コーラ? 牛乳? アイスコーヒー?」


 俺は目を細めた。


「じゃコーラで」


「分っかりました!」


 愛は鼻歌を歌いながら上機嫌で階下へ下りていった。その足音が遠ざかったとき、俺は背中に痛みを感じた。


「何だ?」


 背後を振り向けば、純架のお袋が扉の陰からこちらに小型エアガンを向けていた。今気づいたが、金髪でうら若かった。純架が俺をたしなめる。


「駄目だよ、『ヒット』って言わなきゃ。BB弾が当たったんだからさ。ゾンビじゃないんだから」


 なんで俺が怒られるの?


「はいはい、ヒットヒット」


 純架のお袋は満足そうにうなずくと、扉の向こうに消えた。俺は疲労困憊(ひろうこんぱい)だった。


「それにしても若いな、お前のお袋さん。何歳だ?」


「今年34だよ」


 俺はひっくり返りそうになった。


「おいおい、18歳でお前を産んだのかよ!」


「そうだよ。ちなみに父さんは当時23歳だった。若くして結ばれたんだね」


 サンダル好きの父、サバゲー達者な母、奇声を上げて襲ってくる妹。そして奇行愛好者の純架。まともな人間が一人もいない。


「さ、色々手間は食ったが、僕の部屋に入ってくれたまえ、楼路君」


 ドアには『猪木対アリ』と書かれた名札がかけられている。なんで『純架』じゃないんだ?


 俺は恐る恐る中に足を踏み入れた。


「これは……!」


 かつて純架が宣言していたように、新聞部発行『渋山台高校生徒新聞』6月号、『探偵同好会』の特集記事の拡大コピーが、天井といわず壁といわず、いたる所に()りまわされていた。本当にやってたのか。


「どうだい、素晴らしい眺めだろう? (いや)し効果があるよね」


 まあ、自分の部屋をどうデザインしようが、それは本人の勝手ではあるが……。本当に嬉しかったんだな、あの記事が。


 とりあえずコピーの氾濫(はんらん)を除けば、純架の部屋はいたって質素だった。というより質素過ぎた。茶色い学習机とパイプがむき出しのベッド。『(さきがけ)! 男塾』や『ゴルゴ13』といった渋い漫画の詰まった本棚。小さな、幾何学(きかがく)模様の描かれたゴミ箱。衣服のかけられたクローゼット。スマホの充電器。以上だ。


「何だよ、ゲーム機ねえのかよ」


「テレビがないからね」


 本当だ。テレビがない。こいつは何を情報源として生きているんだ?


(いろど)りがないな」


 俺はベッドに腰掛け、そのバネのなさに呆れた。安物だ。


「こんな囚人か修道者の住処(すみか)みたいな部屋で、よく我慢できるよな」


「とりあえずエアコンはあるからね。過ごす上で快適なら、僕はいくらでも退屈の相手ができるんだ」


 そこでドアがノックされた。


「お兄ちゃん、コーラ持ってきたよ」


「入りたまえ」


 グレーのノースリーブでチェックのスカートを穿()いた愛が、コップの載った盆を大事そうに抱えて入室してきた。さっきの胴着姿から一転、女の子らしい装いだ。


「はい、楼路さん、コーラとおつまみよ」


「ありがとうな」


 愛は頬を染めてトレイを置くと、その場に正座して動こうとしない。純架が眉をひそめた。


「こら愛君。退出しなさい」


 愛は()ねたように口を(とが)らせた。


「だって、楼路さんとお話したいもの。ねえ楼路さん?」


 俺に向ける目は一種異様な期待の光をもって迫ってくる。俺は受け止める気も自信もなく目をそらした。


「ごめん、俺たちは大事な話があるから」


 もちろん嘘であるが、この際卑怯(ひきょう)とは思わなかった。愛はがっくりうなだれた。


「分かりました。……楼路さん、またね」


 肩を落として部屋を出て行く。可憐なその後ろ姿がドアの向こうに消えると、コーラの炭酸が泡立つ音がやけに耳についた。


 純架は灰色のカーペットにあぐらをかき、深皿に載せられたピーナツをつまんで口の中に放り込んだ。


「父さんが会社なのが残念だが、これが我が桐木家一家さ。素晴らしいだろう?」


 どこがだよ。


 俺はベッドから下りると、純架同様座り込み、コーラを飲んだ。


「まあ、素晴らしいかどうかはともかく、賑やかなのはいいことだ。俺もつい最近までは、ギクシャクしていたとはいえ、家族四人で平穏に暮らしていたからな。今じゃ俺とお袋の二人きりさ」


「そういえば君の両親は離婚したんだっけね。お気の毒に……」


「お前も気をつけとけよ、純架」


 俺は柿の種を少々行儀悪く頬張った。


「平穏な日常ってのはいきなり崩れたりするもんだ。自分たちで台無しにするか、誰かに壊されるか、どっちかでな。俺たちの場合は前者だったけどな……」


 純架は重々しくうなずいた。


「そうだね、気をつけるよ」


 それから話題は他愛(たあい)ないものに移っていった。


 結局俺は純架と二時間ほど馬鹿話をした後、長居(ながい)を謝して隣の我が家へ帰った。純架の親父さんとは会えないままだった。




「ただいま、です」


 ほがらかに挨拶(あいさつ)したのは、検査の結果も問題なく、渋山台病院を無事退院した辰野日向だった。


「もう大丈夫なの、日向ちゃん」


 朝の喧騒(けんそう)の中、3組にわざわざ来てくれた日向に、奈緒が気遣わしげに応じる。日向は頭の包帯はそのままに、(あざ)の出来た腕や足を特に支障もなく動かした。


「はい、この通り、もうばっちりです! ご心配をおかけしました」


 眼鏡は転落の際に割れていて、今は黒縁ではなく金縁だった。デジタルカメラの方は頑丈だったのか、いつも通りの機種を首から紐で()げている。

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