047生徒連続突き落とし事件03
純架が穏やかに質問する。
「肩はどうだい? 痛むかい?」
日向はうなずいた。
「一応痛み止めをもらったので、今はうずくだけです。とりあえず骨は折れていないし、頭の方も大事ないらしいので――安心してください。検査の結果次第ですが、数日で学校に戻ります」
俺は心から安堵した。そしてむかっ腹が立つのを我慢できなかった。
「突き落とし魔は見なかったんだっけ?」
「はい、面目ありません。私を発見して介抱してくれた二人も見なかったようで……。まんまとやられてしまいました」
「辰野さんのせいじゃないさ」
純架は何やら思案でもあるのか、急に押し黙って壁を見つめていた。俺は彼の肩を揺さぶった。はっとしてこちらを見やる。
「何だい、楼路君」
「何か考え事か?」
純架は首を振った。
「何でもないよ。……とにかく辰野さんが無事でよかった。ほっとしたよ」
その帰り、俺と純架は肩を並べて自宅を指して歩いていた。空は濃い紫色に染まりつつあり、今日も太陽と月が主役を交代する。
「楼路君、聞いてくれないか? 僕自身も馬鹿げた考えだと思っているんだけど……」
珍しく気弱な声だった。俺は続きをうながす。
「言ってみろよ」
「恐らく突き落とし魔の第一の被害者であろう畑中先生には、また明日聞き込みする気だけど、これで突き落としは二件目となった」
「ああ、そうだな。まだ確定はしてないけど。それで?」
「突き落としが始まったのは、うちのクラスに三宮君が来てからだ」
俺は驚愕を押し殺そうとして失敗した。
「おい純架、まさか三宮が犯人だとでもいうのか?」
「声が大きいよ、楼路君」
純架は続けた。
「二件目である今回の被害者の辰野さんを発見し、介抱したのが、三宮君と菅野さんだった。これは出来すぎだと思わないかい?」
俺はうなった。そうせざるを得ない。つまり英二は自分で日向を突き飛ばしておいて、何食わぬ顔で現場に戻ってきたということか?
「飛躍し過ぎだろ。その考えは俺は反対だ。証拠がないしな」
純架はむしろ賛成した。
「そうだね。今のはなかったことにしてくれたまえ、楼路君」
額に『肉』の字を貼り付けたまま、純架は微笑んだ。
早く消せ。
翌日昼、俺と純架は奈緒と共に音楽準備室を訪問していた。畑中先生に階段転落の真相をうかがうためだ。しかし畑中先生は強情だった。
「真相も何も、私は滑って転んだだけだから」
頑として聞き入れない。奈緒は激しく訴えた。
「嘘をつかないでください、先生。日向ちゃんが突き落とされた事件と関連がないと考える方が不自然です。誰かに突き落とされたんでしょう? 正直に述べてください」
畑中先生の瞳が逡巡に揺れたが、口をついたのは重ね重ねの否定だった。
「ごめんなさい。もうこれ以上話すことはないわ。私、昼食をとらなきゃいけないから」
暗に退出を求める。純架が奈緒の肩を軽く叩いた。
「引き下がろう、飯田さん。楼路君も。お邪魔しました、先生」
1年3組では英二が結城と共に弁当を使っていた。三段重ねの重箱だ。昨日の純架の意見が脳裏をよぎり、俺は自然、英二をにらみつけるような格好となった。否定はしたものの、やはり英二が犯人なのだろうか。その蓋然性はどれぐらいの高さだ?
英二が何気なく顔を上げ、俺と視線を交錯させた。途端にその表情が険しくなる。
「何だ、お前。俺に何か用か?」
俺は返事せず横を向き、自分の席に座った。さっき買ってきたパンを机の上に広げる。純架は俺の机に寄ると弁当の包みを開いた。俺たちは昼食を開始した。
焼きそばパンにかぶりつきながら喋りかける。
「そういえば純架の家に行ったことってないよな。その逆ばっかりだ」
「君がしょっちゅう誘うからじゃないか。何といっても楼路君はテレビゲーム好きだからね。僕に新作を遊ばせよう、遊ばせようとするし」
純架はピラフを口に運んだ。
「まあ僕の家なんて大したことはないよ。ごくごく普通の家庭だ」
奇行癖の強い純架が言う「普通の家庭」とはどんなものだろう? 俺は興味をそそられた。
「なあ、今日行ってもいいか?」
「構わないよ」
こうして俺は、初めて純架の家に足を踏み入れることになった。
夕方、俺は少し緊張して帰宅の途についた。純架は別に何でもなさそうに、暑さに満ちた街道をいまわしげに歩いている。やがて俺と純架のそれぞれの家が見えてきた。
「じゃ、来たまえ」
純架の後に続き、彼の邸宅――二階建ての一軒家だ――へ向かう。純架はポストから夕刊といくつかのチラシをまとめて抜き取ると、それを小脇に抱えてドアに向かった。
そのとき、純架が突然「ヒット!」と叫んだ。何だ?
「痛っ」
俺は自分の肩口に何か小さいつぶてのような物がぶつかってきたのに気づいた。地面に転がるそれは、黄土色のBB弾だった。
「安心して、楼路君。それはバイオBB弾で、数年で土に還る生成分解プラスチックでできているから。環境は保全されるよ」
いや、そこは今どうでもいいだろ。
「痛いんだけど……」
「0.6ミリで0.25グラムのものだからね。そら楼路君、当たったなら『ヒット』と言わなきゃ駄目だよ」
意味が分からない。
「どこのどいつが撃ってきたんだ?」
俺は左右を見渡した。不審者はいない。ふと気配を感じ、斜め上を見上げた。純架の家の窓からライフルを構えた人物が身を乗り出している。ゴーグルと迷彩服を着け、まるで戦場の一兵卒だった。衣服の上からでも分かるしなやかな肢体、膨らんだ胸からして女性なのだろう。
彼女は俺に姿を見られると、危険を察知したのか、急いで屋内に引っ込んでしまった。どうやら純架と俺に立て続けにBB弾を当てたのは彼女らしかった。
「誰、あれ」
純架はこともなげに言った。
「僕の母さんだよ」
「あれが?」
「そうさ。彼女はサバイバルゲーム、通称サバゲーのかつての大会覇者なんだ」
「大会覇者?」
「うん。今は大会自体やってないから、母さんは暇を持て余しているんだよ」
純架は鍵を取り出しドアを開錠した。俺は肩口を押さえる。普通、どこの誰だか分からない――まあ制服で同級生とは勘付いただろうが――高校生に、エアガンを撃つだろうか。息子ともども……
「さ、入って」
俺は納得いかないまま、純架に続いて彼の邸宅へ乗り込んだ。
「何じゃこりゃ」
割と広めの玄関には大量の、色取り取りのサンダルが所狭しと置かれていたのだ。いくつかのそれには、まるで白旗のように、白い紙がピンで留められていた。
「これは父さんの趣味だよ。父さんはサンダルが好きでね。論文を書いて発表したことも一再じゃないんだ。あまりにサンダルを研究した結果、今ではサンダルを見ただけで、無条件で勃起できると語っていたよ」
そんな性癖などどうでもいい。
「白い紙は特にお気に入りのものに付けているんだ。大昔、僕が白い紙を勝手に付け替えて遊んでいたら、無言で当身されて気を失ったこともあるんだよ。だから楼路君、触れないよう気をつけてね」
どんな家族だ。
「上がりたまえ。僕の部屋へ案内しよう」
俺は靴を脱ぐと、サンダルを踏まないよう気をつけて跳躍した。純架は二階への階段を上っていく。俺は後に続いた。さっきのお袋さんはどこへ行ったのだろう? 姿が見えない。
「あちょーっ!」
階段を踏破した途端、奇声と共に謎の人物が純架に飛び掛ってきた。黒い胴着に黒いシャツ、黒帯、黒いフルフェイスのヘルメットを着けており、その迅速な動作は電撃のようだ。




