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045生徒連続突き落とし事件01

   (四)『生徒連続突き落とし』事件




 衣替えもすっかり終わり、全員が半袖から太い、あるいは細い腕を出すようになった。6月24日のことだ。


 風の強い一日だった。1年3組担任宮古博先生は、朝のホームルームで出欠を取ると、「これが本題」とばかりに腰を据えて話し出した。


「実は今日から、このクラスに転校生が加入することになった」


 頬をゆるめる。室内はざわめき、誰かの短い口笛が甲高い音を立てた。宮古先生は生徒たちを見渡し、散々もったいぶってから動いた。


「おい、入って来い」


 ドアの向こうに声をかける。引き戸が開き、現れたのは……


「ちっちゃ!」


 教室一のうわさ好き・祭り好きの久川が、失礼な一言を条件反射で放った。だがその言葉に異論を差し挟むものはいなかった。確かに入室してきたのは、明らかに150センチ台半ばの小柄な少年だったのだ。その類まれな造作の顔に、主に女子から歓声が上がる。


 少年は久川の一撃に不快感をむき出しにし、仏頂面(ぶっちょうづら)で教壇そばに立った。宮古先生は久川をひとにらみすると、黒板に名前を書き出す。『三宮英二』――


「彼が転校生、三宮英二(さんのみや・えいじ)だ。仲良くしてやってくれ」


 英二は純架に匹敵する美貌と小さい背丈が特徴だ。格好いいというより可愛いという部類に入る。茶色の髪は癖っ毛で手入れが大変そうだ。瞳は(けが)れを知らぬ純朴さで、鼻は生意気そうに(とが)っていた。


「三宮、挨拶(あいさつ)しろ」


 英二は頭を下げた。


「これからお世話になる、三宮英二だ。よろしくな」


 二枚目という点では純架にとってライバル出現だ。そう思って純架を見ると、彼はルービック・キューブを全力で解いていた。解けないことに頭にきたのか、シールをめくって貼り直し、無理矢理各面を揃えようとしている。ルービック・キューブあるあるだった。


 宮古先生が指示する。


「じゃ三宮、一番後ろの席が空いてるだろう。そこに座れ」


「分かりました」


 英二が歩き出すより早く、普段目立たない女子、菅野結城(すがの・ゆうき)が立ち上がって、空いている席の後ろに移動して椅子を引いた。英二は傲然(ごうぜん)とそれに座る。結城はメイドのようにうやうやしく一礼した。


 宮古先生は目を白黒させている。


「なんだお前ら、知り合いなのか?」


 結城が答えた。


「渋山台高校が英二様にふさわしい学び()かどうか、春より下調べしていまいりましたが、合格とさせていただきました。そこで英二様にご転校を具申(ぐしん)したのです。もちろん、英二様直属のメイドとして、これからも本領を発揮させていただく所存(しょぞん)です」


 結城は一言で言えばクールだ。制服はしわ一つなく、銀縁眼鏡の奥のグレーの瞳は底知れない。知的な見た目を擁しており、鋭利な刃物のような印象だった。栗色の髪は背中まで伸びている。


 彼女の告白に、宮古先生はたじろがざるを得ないようだった。


「メイドって……。ま、まあいい。菅野。じゃあ三宮をよろしく頼む」


「承知いたしました」


「席につけ」


「はい」


 結城の堂々たる物腰に、皆あっけにとられていた。こんな高校デビューに直面するとは、正直誰も予想だにしていなかったに違いない。


 先生が去ると、早速英二はクラスの男子に囲まれた。


「俺、貝川(かいかわ)。これからよろしくな、三宮」


「メイド付きって、ひょっとしてお金持ち?」


「俺は篠田(しのだ)。昼休みに学校を案内してやるよ」


「なあなあ、一体どこから転校してきたんだ?」


 英二は彼らの問いに一切答えず、急に立ち上がった。目をしばたたくクラスメイトたちの間をぬい、純架の席に近づく。純架はキューブのシール張り替えをようやく終えたらしかった。


「やっと解けた」


 解けてない。


 英二が大声で呼びかける。


「おいお前!」


 純架は今ようやく英二の存在に気づいたらしかった。まだ名前が書かれたままの黒板を一瞥する。


「やあ、三宮英二君……だよね。何か?」


 英二は憤懣(ふんまん)やるかたなさそうだ。


「俺の紹介から今まで、ずっとルービック・キューブで遊んでいたな。失礼じゃないか」


 純架は素直に謝った。


「ああ、ごめん。一応キューブの国内大会に出る予定なんで、練習に没頭していたんだ」


 どう考えてもルール違反だろう。つか、恥を外にさらすな。


 結城が英二に耳打ちした。


「英二様、彼は『探偵同好会』会長の桐木純架です。渋山台高校一の変人です。お関わりにならぬことが肝要(かんよう)かと愚考(ぐこう)します」


「変人か……確かにな」


 英二はせせら笑った。


「どうせろくな教育も受けず、まともな礼儀も教わらず、今日まで怠惰(たいだ)に生きてきたに違いない。そうでなければそんな失礼な真似はできないだろうからな。いや悪かった桐木、気にしないでくれ」


 嫌味ったらしく罵倒(ばとう)すると、英二は久川の席に向かった。久川の机に平手を叩き付ける。久川はぎょっとして身を引いた。


「お前は俺のこと『ちっちゃ!』とか言ってたな。言い訳があるなら聞こうか」


 久川は顔を引きつらせている。


「あれはついつい出てしまった言葉だよ。そんなに深い意味もないし、悪口を言うつもりはなかったんだ。そうカッカするなよな」


「謝れ」


「は?」


「謝れ、といっているんだ。聞こえなかったか? それとも耳が遠いのか? どうなんだ」


 久川は救いを求めて教室を見渡した。だがフォローに出るものはいない。俺も自業自得だと思って無視した。数秒経って、久川はあきらめた。


「ごめんな、三宮」


「分かればいいんだ」


 英二は最後にきつく久川をにらみつけると、クラス中によく響き渡る声で宣言した。子供のような高音だ。


「いいか、俺が小さいからって馬鹿にするなよ。俺は価値ある人間なんだ。そのことを常に念頭(ねんとう)に置け。理解したか?」


 小さな暴君は沈黙を了解と取ったか、自分の席に戻った。もちろん結城が椅子を引く。俺は純架に匹敵する変人・三宮英二の鮮烈(せんれつ)な登場に、これから先が思いやられた。




 月曜日、俺と純架は音楽の授業を受けに音楽室へ移動を開始した。その途中、気になって掲示板を見やる。そこには『探偵同好会』の新しい勧誘チラシが貼り付けられていた。


 『謎を解くのはあなた・「探偵同好会」は会員を募集中!』とのコピーで、美術教師・金近優子先生の描いた純架の肖像画が描かれている。純架は学生服ではなく鹿撃(しかう)ち帽にインバネスコートという、世界的な名探偵シャーロック・ホームズの格好を――挿絵(さしえ)の方だが――真似していた。高校生なので曲がったパイプこそ吸っていないが、一目で『探偵』と分かる。これなら興味を持つ学生も出てくるだろう。ただ時期が時期だけに、新入会員にまで到達してくれる人物は未だ現れなかったが。


 音楽室でしばし先生を待つ。ショパンの肖像画は元通りに後ろで存在感を主張していた。純架は懐かしそうに眺めた。


「もうあれから2ヶ月半経つんだね。『血の涙』事件が僕らの最初に手がけたものだった……」


 教室のドアが開いた。現れたのは左足にギブスを巻き、松葉杖をつく畑中祥子先生だった。


「先生?」


 生徒たちが吃驚(きっきょう)して一斉に目線を固定する。その(しの)突く雨の中、先生は痛々しい姿をさらけ出し、俺らに一礼した。


「ごめんなさい。ちょっと足を骨折してしまったもので……」


 取りつくろうような笑顔を見せた。


「授業には支障ないから。始めますよ、日直の方」


 そうして不審が横断する中、音楽の授業は行なわれた。先生は座ってピアノを()くため、確かに支障はない――ペダルは踏みにくそうだったが。それにしても、一体いつどこで、どうして骨折してしまったものだろう? 嫌いな先生ではないだけにいっそ不憫(ふびん)だった。


 授業が終わると生徒たちはぞろぞろと教室から出て行った。その真っ只中(ただなか)で、英二がチョコチョコと畑中先生に近づく。

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