042過去の落とし物事件04
翌日昼休み、俺と純架と奈緒は校内放送に耳を澄ましていた。朝に放送部の南先輩と打ち合わせて、昨日カラオケで録音したMP3ファイルを託したのだ。それがもうすぐ流れるはずだった。しかし放送は人気アイドルの歌が延々披露され、なかなか俺らにとっての「本題」に入らない。
残り10分。ようやく歌が終了した。そこで待ちに待った台詞が室内に降り注いでくる。
『6月12日に落とし物として見つかった去年の生徒手帳ですが、未だに落とし主は名乗り出ません。そこで現在北海道函館市楽桜高校に通学している、生徒手帳の元々の主、小平真治さんからメッセージをいただきました。というのも小平さん、今は大学の下見で近隣に滞在中なのです。ではどうぞ』
特に奈緒は、食事の手を休めて熱心に聞き入っている。小平先輩の声が空間を泳ぎ始めた。
『お久しぶりです、渋山台高校の皆さん。元2年5組の小平真治です。俺の手帳を紛失したおっちょこちょいな後輩へ。俺は今、君のすぐ近くに滞在しています。そして心から心配しています。どうか名乗り出てください。詳しいことは1年3組の後輩、桐木純架君へどうぞ。では、心からお待ちしています』
小平先輩の声はスピーカーを通すとより格調高く耳に届いた。再び放送部部員の声に戻る。
『以上が小平先輩の肉声でした。改めて、連絡先は「探偵同好会」会長、1年3組桐木純架まで。それでは最後は、吹奏楽部による校歌の演奏でお別れです……』
さあ、後は待つだけだ。今度こそ落とし主は名乗り出てくるに違いない。果たしてどんな人だろう?
その放課後のことだった。一日の疲れを世間話で紛らわそうとする生徒たちの群れをぬって、一人の少女が現れた。
「桐木君はあなた?」
純架は邦画『食堂かたつむり』のDVDを俺に押し付けようとしていたところだった。俺は当然借りる気はないが、純架の推しは強かった。
「映画の究極の姿がここにあるんだよ? これを見逃す手はないさ」
そこで届いた彼女の声は、俺を崖っぷちから救い出す妙手だった。期待通り、純架は少女に意識を向けた。
「はい、僕が桐木純架ですが」
「小平先輩の生徒手帳の件で話があるのですが」
「失礼ですが、どなた様ですか?」
「申し遅れました。私は2年2組の田尻美祢です」
田尻先輩はひっそり目立たぬ花のようだ。自己主張を徹底的に避けたかのような慎ましい見た目であるが、その気になればどこまでも美しくなれるような、そんな可能性を秘めている。少なくとも俺はそう見た。
純架が姿勢を正した。
「あなたがこれを落としたんですね?」
ポケットから小平先輩の手帳を取り出す。田尻先輩が顔を明るくした。
「はい、はい、そうです。それです」
田尻先輩がつられたように手を伸ばすと、純架は手帳を引っ込めた。田尻先輩が表情を強張らせる。
「桐木君?」
「簡単なテストに応じてもらえますか?」
純架は写真が貼り付けられている側をこちらに向けた。
「小平先輩の顔の特徴を話してください。正解したら手帳は差し上げます」
俺は眉をひそめた。田尻先輩が嘘をついているとでもいうのか? それに、そうだとしても、この手帳を赤の他人が欲しがる理由がない。
田尻先輩は少し気分を害したようだ。
「なぜそんなことをしなくてはいけないんですか?」
純架はあくまですましている。
「何、形式的なことです」
写真を人差し指で叩いた。
「まずは眼。眼の特徴を教えてください」
田尻先輩は押し黙った。数秒の沈黙ののち、やや破れかぶれが透けて見える回答をした。
「丸みを帯びています」
「一重ですか二重ですか?」
再度言葉に詰まった。
「……ひ、一重」
この時点で外れだ。小平先輩は二重まぶたなのだ。しかし純架は念押しとばかり続けた。
「鼻はどうでしょう?」
第一問をクリアできたと信じ込んだのか、田尻先輩は自分の当てずっぽうを頼った。
「すっきりしています。矢印のような鼻」
これもまた不正解。小平先輩は小鼻が小さいのだ。
純架は手帳をポケットにしまい込んだ。それを見る田尻先輩の顔は青ざめている。
「ちょっと、何してるんですか。生徒手帳、くださいよ」
純架は人差し指を左右に振った。
「駄目ですよ田尻先輩。あなたは小平先輩の生徒手帳の持ち主じゃない。お引き取りください」
「そんな……!」
田尻先輩は失敗したのだ。彼女はそれを認めたくないとばかり、その場から動かず純架を見つめている。
「お引き取りを」
純架の再度の申し渡しに、田尻先輩は半べそをかいた。そして恨みがましく純架のポケットへ視線を浴びせていたが、とうとうそれをもぎ離して背を向けた。
田尻先輩が立ち去っていく。俺は純架に聞いた。
「なんで彼女が持ち主じゃないと勘付いたんだ?」
純架は頭をかいた。
「単純だよ。前の二回の校内放送で名乗り出なかったのが、なぜ今回急に持ち主を称して現れたのか。そこを疑っただけだよ。まさか本当に偽の持ち主だとは思わなかったけどね」
「今後どうするんだ? 大人しく本物が名乗り出るのを待つか?」
「いや、動こう」
純架は鞄を手に取った。
「楼路君、明日の早朝に登校しよう。聞き込みだよ、聞き込み」
「朝早くから? 誰に?」
「またお前らか!」
大切なオーボエを床に叩き付けんばかりに怒鳴ったのは、きつい目の海藤千春先輩だ。その大声にすくみ上ったのは、隣に座る子リスのような山岸文乃先輩。取り落としそうになったトランペットをあわてて抱える。
「お久しぶりです、海藤先輩、山岸先輩。以前、畑中祥子先生から聞いたんですが、山岸先輩は2年2組とか」
山岸先輩はおずおずとうなずいた。
「私たち、もう何も悪いことしてないよ」
そう、『血の涙』事件の犯人だった二人――まあ計画を立案し、実行に移したのは、どう考えても海藤先輩の方だっただろうけど――は、毎朝空き教室で自主練にはげんでいるのだ。二人の所属する吹奏楽部には朝練がないからだった。
海藤先輩は確執ある純架に冷たく言い放った。
「お前と話すことなんか何もないよ。練習の邪魔だ。帰んな」
純架は首を振った。
「いえ、僕が話したいのは山岸先輩の方です」
山岸先輩はびっくりして自分を指差した。
「私?」
「はい。同じクラスの田尻美祢先輩について、です」
「美祢ちゃん? 美祢ちゃんがどうかしたの?」
海藤先輩は仏頂面でやり取りを見守っている。それをいいことに純架は続けた。
「田尻先輩に関して、知りうる限りのことを教えてほしいんです。交友関係、考え方、日常の癖……その他何でも」
「何でも、ねえ」
「くだらん」
海藤先輩が吐き捨てた。
「桐木、お前、田尻が好きなのか?」
「僕が? まさか。ただ今回、ある謎を追っていて、その一環として田尻先輩を知りたいだけです」
「そうか」
海藤先輩は立ち上がると、オーボエと椅子を抱いて教室隅に移動した。
「勝手に聴取してろ。あたしは練習しているから。どうせあたしは2年3組で、田尻とかいうやつのことは知らないからな」
純架は意外そうに頭を下げた。
「ありがとうございます」
「ふん、時間がないぞ。さっさとしろ」
そうして純架は、遠くから響くピアノの音と、至近で発生するオーボエの音をBGMに、山岸先輩への質問を開始した。




