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004血の涙事件01

   (二)『血の涙』事件




 4月中旬、季節はずれの雪が降った。数年に一度の強い寒気で、気温が平年を大幅に下回ったためだ。


「いい天気だね、楼路君」


 純架は舞い落ちる雪を眺めながら、そんな()頓狂(とんきょう)なことをのたまった。積雪の間をぬうように足で踏まれた泥道が続き、どうにか人を通している。しかしそれの上にも新雪は絶えず降り続けているのだ。曇天(どんてん)は重く垂れ込め、自然の脅威を人間に思い知らせるかのように白い尖兵(せんぺい)を送り出していた。


 俺は傘を差したまま適当に答えた。


「お前は凍え死んでもそんなことが言えるのか」


 あの衝撃の初日から二週間と経っていない。


 純架は『探偵部』の設立に大張り切りで、職員室の先生へ発足届けを出そうとした。だが部活動に必要な人数である10名に全く届いていないとして、あっさり却下されたらしい。まあ当然だわな。


 それでも純架はくじけなかった。今度は『探偵同好会』といういささか間抜けな名前の同好会を立ち上げたのだ。たった一人で、である。これも規則にある最低人数の5名を超えていないため、同好会とすら認定されていない。


 (きゅう)した純架は無論俺を誘ってきた。しかし俺はこたえをはぐらかした。


 こんなふざけた同好会、別にはっきり断っても良かった。それをかろうじて押しとどめたのは、「事件の解決依頼が舞い込まない限り活動はない」という方針が気に入ったからだ。つまり事件がなければ帰宅部と同じというわけだ。それは大いにありがたかった。何もしていない帰宅部よりかは先生の心証もよいはずだ――俺にはそんな打算もあったのだ。


 だが、まだ最終的な判断には至っていない。


 純架は傘を肩に担ぐように構えている。さぞや視界は広いだろう。


「桜の季節に雪が降るなんて素晴らしいじゃないか。凍死しても満足だね、僕は」


「いっそ凍死しろ」


「あれ、つれないね」


 俺は純架の屈託(くったく)のない笑いをよそに、あまりの寒さに亀のように身をすくめた。えり元から侵入してくる冷気がそうさせるのだ。やはりマフラーを巻いてくるべきだったか。


 純架は道路脇に駐車している自動車に降り積もった雪を、手ですくって丸く固めた。投げてくる気か?


「ほら、楼路君」


 純架は大きく振りかぶると、俺目掛けて雪つぶてを投げつけようとし――足を滑らせ仰向けにひっくり返った。


「痛っ!」


 雪道に背中を強打する純架の情けない姿に、俺は盛大に失笑した。


「馬鹿が、自業自得だ」


「…………」


 おや? 純架がまったく動かない。放り投げられた傘が逆さになってむなしく風にあおられている。


「どうした純架? いつまでも死んだふりしてないで、さっさと行くぞ」


 だが純架はそんな俺の催促(さいそく)にまるで反応しない。大の字になったまま、空から舞い落ちる白い花びらを身じろぎもせずに受け止めている。指一本動かしもせず、純白の景色に同化しつつあった。


「おい、純架」


 俺は不安になり、ややきつめに名前を呼んだ。だが純架は呼びかけにも応じず、ただただ雲からの贈り物をその身に浴びていた。


「純架!」


 とうとう俺は居ても立ってもいられなくなり、純架のそばにひざまずいてその肩に手をかけた。


「おい純架! しっかりしろ!」


 不安という名の怪物にけしかけられ、俺は純架の体を強く揺さぶった。まさか、打ち所が悪くて死んでしまったのか――


 と、そのとき。


 雪玉が俺の顔面に炸裂した。


「やあ、引っかかったね」


 俺は純架の得意げな声に、顔面雪まみれとなりながら全身を硬直させた。純架はそんな俺などいないかのように立ち上がり、体中の雪を払い落とす。


「すっかりびしょ濡れになったけど、楼路君をだませて気分爽快(きぶんそうかい)だよ。ああ、すっきりした」


 純架は傘を拾った。


「僕が本当に死んだかと思ったかい? まったく楼路君は純情だね。人を疑うということを知らなさ過ぎるよ」


 俺はふつふつと煮えたぎる腹を抱え、自分でも驚くほど低い声を放った。


「お前、もし今度こんな真似したら、ただじゃ済まないからな」


 純架はまるで気にしていない。


「『いっそ凍死しろ』とまで言っておいて、被害者づらは良くないよ、楼路君。これが僕、桐木純架さ。『探偵同好会』の入会候補の一人として、会長の性癖と奇行ぐらいは学んでおくべきだと僕は思うよ」


 なんちゅうアドバイスだ。


 俺は沸騰する腹の熱気をため息として吐き出した。傘を手にし、再び歩き出す。


「お前みたいな奇人、うっとうしくてたまらん。少しは俺に合わせろ」


「考えておくよ」


 純架はさっきの死んだふりですっかり濡れそぼち、歯の根をガタガタと震わせている。


 馬鹿か。




 その月曜日の二時間目、俺と純架は音楽室へ授業を受けに移動した。


「このくそ寒いのに声を出さなきゃならんのか」


 純架は何やらお菓子を取り出し、いきなり包装紙を破った。中からのぞいたのはチョコウエハースだ。俺は察しがついた。


「ビックリマンチョコだな」


 移動中にチョコ菓子を食う神経はどうかと思うが、どうやら純架の目当ては同梱のシールであるらしい。彼は頬を朱に染め大声で叫んだ。


「やった、ハラヘライストだ!」


 俺は小首を傾げた。「ヘラクライスト」なら有名なので知ってるが、「ハラヘライスト」は初耳だ。


「純架、ちょっと梱包紙を見せてみろ」


 差し出されたそれには、「ビックリマン」ではなく「ビックリさん」と書かれていた。


 パチモンだ。思い切りつかまされている。しかし俺は無邪気に喜ぶ純架を見て何も言えず、ただただ黙るしかなかった。しょうもない奴。


 俺は窓外の雪景色を眺めながら廊下を歩いた。掲示板に純架直筆の『探偵同好会』勧誘チラシが貼り付けてある。俺はのぞき込んだ。


『「探偵同好会」は水着美女がわんさか! 集え少年・少女たちよ! 常夏(とこなつ)のグアムで開催されるビーチバレー大会で勝利するのだ! ゲッツ!』


 日本広告審査機構JAROに訴えられるであろう嘘八百だ。グアムのビーチバレー大会が会の目的というのもふざけている。最後は一発屋のギャグで締めてるし……。意味不明にもほどがある。


 純架はにやりと笑った。


「我ながら自信作だよ、このチラシは。でも入会希望者が出てこないんだよね。何でだろう」


 俺の肩に倦怠感(けんたいかん)がのしかかる。


 純架は類まれな美貌の所持者でありながら、俺に見せたような奇行をいっかなやめようとしない。最初は無理して話に付き合っていた女子たちも、やがては潮のごとく引いていった。かといって男に人気が出るたちでもない。気づけば純架とまともに話しているのはクラスで俺だけとなっていた。


 その純架はファイルを手にして前方を歩いている。時折ムーンウォークで後退するため、周囲の人間に程よくぶつかっていた。


 邪魔臭い野郎だ。


 そんなこんなで音楽室に着いた。


「ん……?」


 俺はどことなく違和感を覚えた。蛍光灯が点いている教室は明るく、隅々まで見渡せる。大きな二段式の黒板、漆黒のピアノ、階段状の机、そして歴代名作曲家たちの肖像画――


 そこで俺は違和感の正体に気づいた。


「欠けてるな……」


「そのようだね。ショパンがない」


 隣にいた純架が明確に指摘した。


 肖像画は奥の壁に2.5メートルぐらいの高さでずらりと並んでいる。額縁には入っておらず、厚紙はむき出しのまま設置されていた。その中の一つ、左から三番目が欠けている。


「バッハ、モーツァルト、ショパン、ベートーベン、シューベルト、メンデルスゾーン……。色々いるけど、ショパンだけ外されてるね。何でだろう?」


「つか、お前よくショパンだって分かったな。変なところは記憶がいいんだな」


「それは君が物をよく見てないからだよ、楼路君」


 チャイムが鳴った。教室のドアが開き、一人の人物が姿を現す。渋山台高校の音楽科教諭、畑中祥子(はたなか・しょうこ)先生だ。まだ30歳にもならない。化粧が濃く、口紅が赤かった。気のせいか顔が青ざめている。


「それでは授業を始めます」


 合唱の練習が始まった。




 最初こそ打ち沈んでいた様子の畑中先生だったが、生来の音楽好きのためか、生徒たちに指導していくうちその頬は赤みをさしていった。気も体も小さい彼女だったが、音大卒の豊富な知識とピアノの技術は確かな威厳(いげん)と気迫を感じさせた。


 時間はあっという間に過ぎていき、終了のチャイムが鳴る。だがピアノの伴奏に夢中の畑中先生は、そのことに気づかなかったらしい。数名の女子が目の前まで行って指摘すると、赤面して指を止めた。


「すみませんでした。では終わりにします」


 生徒たちは続々と教室を出て行く。俺も帰ろうとして、純架に制服の裾を掴まれた。


「何だよ」


「僕ら『探偵同好会』の出番だよ」


「俺はまだ入ってないぞ」

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