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036今朝の吸殻事件03

「先生」


 純架が肩の線まで手を持ち上げた。


「何だ桐木」


「ちょっと僕の意見を聞いていただけますか?」


 宮古先生は点頭した。矢原の意見に傾倒(けいとう)しているためか、純架の言葉をうっとうしく思っている様がありありと看取(かんしゅ)される。


 純架はしわぶきを一つした。


「帰宅部だから時間がある。だから早朝にこの教室で煙草を吸う時間がある。それは分かります」


 矢原は自信満々の笑みで聞いている。嫌な奴だ。純架が続ける。


「しかし犯人が帰宅部だとしても、わざわざこの教室で煙草を吸う必要性はありません。自宅で吸ってから登校すればいいわけですからね。それをわざわざ朝早く、しかも危険な、煙草を吸うという行為に走るなんて――しかも教室で、ですよ――、馬鹿馬鹿し過ぎます」


 矢原はふん、と鼻を鳴らした。宮古先生が気の迷いから覚めたような目で純架を見つめた。


「じゃあなぜだ? なぜ犯人は、この教室で煙草を吸ったんだ?」


 純架はよく響き渡る声で答えた。


「犯人は煙草を吸うのが目的ではなく、それによって誰かに罪を押し付けるのが狙いだったんですよ、先生」


 教室中が雑音であふれかえった。宮古先生が獣のようにうなる。


「そうか……。なるほどな。それで見つけやすい教卓そばに吸殻を置き去りにしたのか。わざとらしくな。言われてみればその通りだ」


 俺は矢原の頭を引っぱたいて言ってやりたかった。『探偵同好会』を、桐木純架をなめんなよ、と。宮古先生は頭をかきむしった。


「それじゃ僕は、まんまと犯人の思惑(おもわく)に乗せられたわけだ。迂闊(うかつ)だった」


 純架は少しあわてた。


「いえ、まだその蓋然性(がいぜんせい)が高いというだけです。普通に考えなしにこの教室で吸った、という可能性も捨て切れません」


 純架は慎重に言葉を選ぶ。


「でも、そうですね。たとえばこの教室に吸殻を残すことで、先生と生徒たちの間に亀裂(きれつ)を入れよう、と犯人は考えたのかもしれません。そうなると犯人は他の教室の人間だとしてもおかしくはない。今頃別の教室でほくそ笑んでいるのかもしれないですね」


 宮古先生は頭を抱えた。


「そうなると僕の手に負えんな。放課後、教師皆でミーティングしないと……。分かった。お前ら、もういいから座ってくれ」


 俺や他の面々はほっと安堵(あんど)の吐息をついて座ったが、純架は仁王立ちしたままだ。その表情に凍土(とうど)冷厳(れいげん)さがある。頬杖をついてにやにや眺める矢原に正対した。


「それにしても矢原君。君は初めから犯人はこの教室の、しかも帰宅部の人間が怪しいとにらんでいたね? 今も同じ意見かい?」


 矢原は先生の許可なく身を起こした。純架を刺し殺さんばかりに人差し指を突きつける。


「煙草を捨てた犯人の考えで、桐木、お前は『誰かに罪を押し付けるのが狙い』だと言った。だが俺はそう思わない。他の考え方もある」


 宮古先生は突如始まった生徒二人の言い合いを、土俵そばで相撲を見守る親方然として注視している。純架はまばたきした。


「と言うと?」


 矢原はとうとう本音を口にした。


「正直に言ってやる。俺はお前ら『探偵同好会』が犯人だと思っている」


 1年3組に時ならぬ降雪があった――どぎつく冷たい、心胆(しんたん)(さむ)からしめる降雪が。俺は純架を落ち着きなく見つめるしかできなかった。頼むから負けないでくれ。


 純架は髪をかき上げた。


「根拠は?」


 矢原は両手を腰に当てた。


「根拠か。いいだろう、教えてやる。お前ら『探偵同好会』は未だ会員4名で、規定の5人という人数には至っていない。そこでお前らは、自分たちの存在意義を知らしめ、新たな会員を得るために、『事件とその解決』を欲しがった。本当は今も欲しいんだろう?」


 純架は認めた。


「まあ、欲しいっちゃ欲しいけどね」


 それは矢原の舌を回転させるエンジンに給油したも同然だった。


「だろう? だからさ。お前らは煙草を吸ってその痕跡(こんせき)を残し、それに気づいた宮古先生が解決を依頼してくることを期待したんだ。もちろん犯人はお前ら自身だ。だから解決はあり得ない。そこのところはさっきの通り、容疑者の存在を他クラスにまで広げてうやむやにしようとした。そうして結局このロングホームルームは『探偵同好会』の宣伝に当てられたというわけだ。違うか?」


 純架はもちろん首を振った。


「違うね。全て君の言いがかりだよ。証拠も何もない」


 矢原が獰猛(どうもう)な野獣のように食いついた。


「証拠か。証拠があれば認めるんだな」


「認めるも何も、あるわけないし」


 矢原は独演会を続行した。


「では証拠を皆で見つけ出そう。煙草は紙製でもろいから、犯人は必ず購入時のケースか何かの中に入れて持ってきたはずだ。それから着火するためのライター。ジッポーか百円かは知らないが、それもあるはずだ」


 周囲を見渡す。勝ち誇ったような笑みをひらめかせた。


「僕、矢原宗雄は、桐木純架か朱雀楼路、飯田奈緒のいずれかの鞄――または机の中――に、それらが入ったままだと断言する」


 教室はまたもどよめいた。宮古先生は俺たちに聞いた。


「どうする? 矢原の疑惑ももっともだと僕は思う。ここは協力して、鞄と机の中を調べさせてくれないか?」


 俺はむくれた。何だ、宮古先生は矢原の言いなりか? しかし奈緒はすぐに恭順(きょうじゅん)の意思を示した。


「分かりました。いいわよね、桐木君」


 純架はうなずいた。


「僕らが無実であることを証明した方が良さそうだしね。存分にやりたまえ」


 宮古先生が指示を出す。


「じゃ、飯田の前後の茅野(かやの)、杉森。飯田の鞄と机の中を点検してやれ」


 矢原が挙手した。


「先生、席の近い仲良しな生徒だと、煙草が見つかってもかばってしまうかもしれません。僕と先生でチェックしましょう」


「ええっ、やだ」


 奈緒が尻込みした。宮古先生がさとす。


潔白(けっぱく)を証明するためだ、飯田。我慢してくれ」


「先生……」


 このとき奈緒は失望を隠さない。


「……分かりました。じゃあどうぞ」


 奈緒の声に辛味が混じった。宮古先生に対する感情が明らかに減退している。奈緒にほれている俺としては、ライバルの失点を喜びたいところだった。もちろん今はそんな気になれないが。


 鞄は宮古先生が、机は矢原が調べた。(くし)やリップ、ノートに教科書、筆記用具。机の上にそれらが並ぶ様を、クラス中が注目している。


 何なんだ、今日の授業は。まるで魔女裁判だ。


「ないですね」


 矢原が相槌(あいづち)を求めた。宮古先生はうなずく。


「よし、飯田はオーケーだ」


「当たり前です」


 奈緒は憤慨(ふんがい)を隠し切れない。宮古先生は「疑って済まなかった」と短く謝罪した。


「次は朱雀」


 俺の番か。勘弁してくれよな。純架と奈緒、それから仲間の岩井、長山以外は、皆火あぶりに処されようとしている俺を興味深く、面白がって見つめている。


「じゃ、どうぞ」


 俺は一歩引いて机と鞄を二人に任せた。矢原は相手が男であるからか、さっきの奈緒よりあからさまにつまらなさそうに、乱暴に中身を引っ掻き回した。宮古先生はまだ丁寧(ていねい)で、矢原の粗雑振りが際立つ。


「漫画にゲーム……。おい朱雀、お前何しに学校に来てるんだ?」


 宮古先生が厳しく注意してくる。俺は恥じ入った。


「学校で貸し借りしているだけですよ。勉強の邪魔にはなってないからいいでしょう?」


 そのまま数分が経過した。


「ありませんね」


「どうやらないな」


 俺の私物も含めて入念に調査した結果、二人は俺を白と断定した。俺にとっては当然の結果だったが、安堵のため息はどうしても出てしまう。


「最後は桐木だ」


 矢原が舌で唇を湿らせた。まるで丸三日間食事をとらなかった狼が、久々の新鮮な肉を前によだれを垂らしているかのようだ。


「どうぞ」


 純架は待っている間、教室の黒板に落書きをするようだ。「ぼくのかんがえたうちゅうだいせんそう」と書きなぐった時点で、半数以上の生徒が矢原と宮古先生の調査に視線を向けた。

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