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035今朝の吸殻事件02

 室内に「なあんだ」と、ちょっとがっかりしたような、でも安心したような微妙な空気が充満する。宮古先生はあごをさすった。


「そういえば桐木は『探偵同好会』をやっているんだったな。新聞で見たぞ。かなりの辣腕(らつわん)ぶりらしいな」


 純架は謙遜(けんそん)した。


「いえ、運が良かっただけです。まあでも……」


 純架はでれでれと相好を崩した。


「『辣腕(らつわん)』ですか! 宮古先生にまでそうおっしゃっていただけるとは……。いやあ、照れちゃいますね」


 最近分かったことがある。純架はおだてに弱い。


「……と、そうじゃなかった。宮古先生、質問いいですか?」


 宮古先生は首肯した。


「いいだろう。腕前のほど、見せてもらおう」


 純架は(のど)をさすった。


「ではまずは……。吸殻はいくつあったんですか?」


「二つだ。見えなかったかな?」


 宮古先生がビニール袋を試験管のように振った。よくよく見れば、確かに二つが重なっている。純架は続けた。


「次に、銘柄(めいがら)は何ですか?」


 宮古先生は怪訝(けげん)な顔をした。


「銘柄? そんなものどうでもよかろう」


 純架は放さない。


「いえ、大事なところです。教えてください」


 宮古先生はビニール袋の中身に目を凝らした。御年33歳、まだ老眼ではない。


「マルボロのメンソール味だ。これでいいか?」


 純架はあごをかいた。今の問いと答えに収穫はあったのか。


「はい。続いてですが……吸殻は昨日の放課後にはなかったんですね? 今日の朝になって見つかったんですね?」


「そうだ。さっきも言ったが、今朝のホームルーム終了時だ。昨日はなかった」


「昨日の放課後に投棄された吸殻を、今朝見つけたのでは?」


「いや、僕は昨日の夜忘れ物を取りにこの教室に戻り、教卓を漁っている。そのときにはなかった」


 純架は頭髪をなでた。洗練された動作だった。


「誰かがよそで吸ったものを、早朝教卓の側へ持ってきて放置していった、という可能性は?」


 宮古先生は無念そうにかぶりを振った。


「踏み潰された跡がついていた」


 教卓に近づき、ひざまずいて床を調べる。


「ほとんどなくなってしまったが、黒い痕跡がまだ残っている。ここで吸って、最後に足裏で踏みつけて消したんだ。間違いない」


 純架は腕を組もうとしてやめた。彼の頭の精密機械が正しく運用されていると信じたい。


「他の先生方がこの教室に来て吸った、ということはないですか?」


 宮古先生は立ち上がり、再び教壇に落ち着く。


「そんな不届きな教師はいないよ、桐木。いくらなんでもそれはなしだ」


 純架は長く息を吐いた。


「犯人は一人でしょうか、複数でしょうか」


「吸殻が二つもあったことから察するに、多分二人だろう。或いは一人で二本吸ったのかもしれない。それにしても……」


 宮古先生は憤怒(ふんぬ)を舌に乗せた。


「大胆不敵な犯行だ。誰もいない教室で、場所もあろうに教卓の側で煙草を吸うなんて……。まさに僕への挑発、渋山台高校への挑戦だ。そんな生徒がいることを僕は恥じる」


 沈黙が室内を回遊(かいゆう)した。純架は肩をすくめた。


「僕の質問は以上です、宮古先生」


「え?」


 宮古先生は不意に現実に引き戻された表情だ。


「もう終わりか? それで、犯人は分かったのか?」


「いいえ全く」


 純架は着席した。


「先生は惜しいことをしました。今朝吸殻が発見された時点でホームルームを延長し、すぐに真相の究明に乗り出すべきでした。そうすればまだ手がかりが掴めたかもしれません。今となっては遅すぎます」


 宮古先生は失望の目で純架を見つめている。ま、純架も魔術師じゃないから、手がかりなしに事件を解決できるわけでもないだろう――俺はそんなフォローを頭に思い浮かべた。


 純架はすっかり興味をなくしたのか、瞑目(めいもく)してプロレスラー藤波辰巳(ふじなみ・たつみ)の歌『マッチョドラゴン』を口ずさんでいる。


 どうせならもっとまともな歌を歌え。


「先生」


 不快な声が不快な生徒の口から発せられた。矢原宗雄だ。彼は手を挙げて発言の機会をねだった。


「何だ、矢原。言いたいことがあるなら構わんぞ」


 宮古先生が許可を与える。矢原は立ち上がって純架を一瞥すると、道化(どうけ)ものよろしく両手を広げた。


「犯人は帰宅部だと思います」


 舌なめずりをした。


「今朝早く、この教室で悠長(ゆうちょう)に煙草を吸っていられるなんて、時間のある帰宅部以外考えられませんよ。部活をやっている人はそっちの活動で忙しいに決まってますからね。断言しましょう、犯人は帰宅部です」


 矢原は純架の声真似をしている。俺は内心いら立った。純架はといえば、あくまで泰然自若(たいぜんじじゃく)として矢原の言葉に耳を傾けている。


 矢原は誰も異論を提示しないのをいいことに、ずうずうしく請願した。


「帰宅部の人に立ち上がるようお願いします」


 宮古先生は矢原を切れ者ととったようだ。彼の意見を無批判に支持した。


「よし、矢原の言う通り、帰宅部は立て」


 三好(みよし)牧田(まきた)相良(さがら)さん、後藤さんが順々に、のろのろとおびえながら立ち上がった。


 宮古先生は四人を蔑視(べっし)した。矢原の推理に乗っかっていることは明らかだ。


「誰だ、煙草を吸った犯人は。名乗り出るんだ」


「先生、ちょっと待ってください」


 矢原が神経質に挙手した。


「このクラスにはまだ帰宅部がいるじゃありませんか」


 俺は矢原の嬉々とした相貌に、遠雷のような危機感を抱いた。こいつ、まさか……


 宮古先生は首を傾げた。


「何言ってるんだ。帰宅部は他にいないぞ」


「いるじゃないですか。未だ同好会にもなっていない、帰宅部同然の人たちが」


「はっきり言え。さっきから誰のことをほのめかしているんだ?」


 矢原は純架をにらみつけ、白い歯を外気(がいき)にさらした。


「決まってます。『探偵同好会』の三人ですよ」


 俺はぶち切れて身を起こし、矢原を怒鳴りつけた。


「てめえ、俺たちが犯人だとでも言うのかよ!」


 矢原は軽くのけぞった。芝居がかった動作だ。


「おやおや朱雀、激昂(げっこう)してごまかそうという魂胆(こんたん)か?」


「何だと……!」


 宮古先生が割って入った。


「落ち着け朱雀。誰もお前が犯人だなんて言ってないぞ。怒るだけ不利になることをわきまえるんだ」


「でも、先生……」


「俺からも聞きたい。『探偵同好会』は帰宅部同然なのか?」


 俺はぐっと詰まった。事件の解決依頼がないとき、『探偵同好会』は確かに帰宅部となる。嘘はつけないし、ついてもすぐばれるだろう。


 俺は不承不承(ふしょうぶしょう)認めた。


「……はい。そうなります」


 白い手が宙でひるがえった。奈緒の手だ。


「先生、いいですか」


「何だ飯田」


 奈緒は感情の起伏を力でねじ伏せようとしていた。それが語尾の震えに見い出される。


「矢原君の言うことは分かります。確かに私たちは依頼がなければ帰宅部です。でもだからって時間を無駄遣いなんてしていません。朝早く学校に来るぐらいなら家で寝てますよ、私も桐木君も朱雀君も」


「さあ、そいつはどうだろう」


 矢原はしつこかった。宮古先生は猜疑心(さいぎしん)を上手く(ぎょ)し得ないでいる。


「飯田、桐木、朱雀。とりあえず立て」


 結局俺たちは渋々立ち上がらねばならなかった。立っている「帰宅部」は、これで七人。


「さて、お前たちにもう一度聞くぞ。誰だ、煙草を吸った犯人は」


 誰も返事するものはいない。


 俺は思う。宮古先生はこの問題に熱心になりすぎている。確かに自分の教卓のすぐ側で吸殻を発見したときは、相当な怒りで胸郭を満たしたことだろう。だが今の吊るし上げのような詰問は少々やり過ぎだ。これ以上踏み込むと教師と生徒の間の絆さえ壊しかねない。それが分からぬ宮古先生ではないはずだが、やはりまだ若さがあるのだろうか。

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