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034今朝の吸殻事件01

   (二)『今朝の吸殻(すいがら)』事件




 最近新聞部の活動に忙しかった辰野日向が、久しぶりに1年3組の教室に現れた。黒縁眼鏡にショートカット。スレンダーな体にいつもカメラをぶらさげている。彼女もまた『探偵同好会』の一員だ。今回は紙の(たば)を抱えていた。


「お待たせしました。『渋山台高校生徒新聞』6月号です」


 我らが渋山台高校は新聞部に注力(ちゅうりょく)していて、A4サイズ4ページの白黒の新聞を毎月発行していた。『自由な思想は正しい報道から生まれる』と、これは校長先生のありがたきお言葉だ。新聞部は部員も20名以上、文化部としては吹奏楽部に次ぐ規模で、一大勢力を誇っていた。


 その新聞部の駆け出し一年生記者が日向というわけだ。彼女は実力を買われたのかネタが面白かったのか、今月号で俺たち『探偵同好会』の活動を記事にするよう上級生に命じられた。与えられたスペースは2分の1ページ。大抜擢に日向は苦しんだそうだ。果たして自分のごとき若輩(じゃくはい)がこんな大役をまかされていいものか、と。


 そして彼女が迷いを吹っ切って書き上げた成果が、この6月号にあった。


「『探偵同好会』の記事、載ってますよ」


 俺と純架、奈緒は早速一部受け取り、蛍光灯の下で自分たちの記事を見た。今日は天候が悪く、いよいよ梅雨入りかと朝のニュースで報じられていた。


 『探偵同好会の活動実績』との見出しと共に、『血の涙』事件、『折れたチョーク』事件、『変わった客』事件の内容がかいつまんで掲載されている。登場人物の名前は「Aさん」「B先生」など、仮称が用いられていた。『タカダサトシ』事件は暴力の臭いがするので掲載を見合わせた、とか言っていたっけ。


 純架の美しい容貌が小さな写真となってそえられていた。俺たちのはない。


「私の美貌はどこ行ったのよ」


 奈緒が口を尖らせたが、もちろん冗談だ。


 この新聞、純架はことの他喜んでいた。


「これからはスキャンダルに気をつけないとね」


 早くも芸能人気取りだ。


「正月はハワイ旅行に出掛け、空港でカメラのフラッシュを浴びながら言うんだ。『ちょっとバカンスに行くんですよ』ってね。いやあ、忙しくなってくるぞ!」


 完全に妄想に取り()かれている。俺はしかし微笑を浮かべてそのさまを見やりながら、自分たちの活動が多くの人の目に触れることに、軽く羞恥心をくすぐられていた。それは心地よく、甘酸っぱかった。




 宮古先生が帰りのホームルームで『渋山台高校生徒新聞』を生徒たちに配布した。占いコーナーだけ見てしまい込む奴もいれば、熱心に熟読する変わった奴もいる。この中から第五の『探偵同好会』会員が生まれてくれればいいな、と期待する俺だった。


「調子に乗るなよ、桐木」


 解散になった早々、耳障(みみざわ)りな声が耳に届く。それは電流となって脳みそ内のある人物の名前に辿り着いた。


 矢原宗雄(やはら・むねお)。狐目が特徴的で頬がこけ、鼻は上向きと、人相はよろしくない。また肌色が悪く、見るものに不健康な印象を与える。『折れたチョーク』事件で俺や純架を犯人呼ばわりした嫌な奴だ。


 視線を横に動かすと、椅子に座る純架の前に、記憶に刻印されている通りの人物が立っていた。


 純架は新聞を鞄に大事そうにしまいながら、目の前の矢原に問いかけた。


「何の用だい?」


 矢原は大きな口をボートの断面のようにゆがめた。


「お前ら『探偵同好会』なんて、所詮(しょせん)まぐれで事件を解決してきたんだ。新聞に載ったぐらいで調子に乗るんじゃねえぞ」


 矢原は自分の新聞を両手でつまみ、さらすように純架の目線まで持ち上げた。そして――


 真っ二つに引き裂いた。


 これには純架も驚き、ついで呆れた。


「何してるんだい、君」


 矢原は返さず、無言で新聞を畳んでまた二つに割った。何度か繰り返すと、新聞だったものはただの紙くずに変貌(へんぼう)してしまっていた。


「僕はお前らを認めないからな」


 矢原はそう吐き捨てると、さも不愉快そうに紙ごみをゴミ箱に注ぎ込んだ。そして純架に一顧(いっこ)だにくれず、教室から出て行った。


 俺は純架の肩に手をかけた。


「気にすんな、純架。矢原はああいう奴だ。どうも『折れたチョーク』事件の屈辱を根深く持っているみたいだな」


 純架は頭を振った。


「僕にはさっぱり分からない行動だよ。今のに何の意味がある? まるで不毛じゃないか」


「帰ろうぜ。嫌な奴も嫌なことも忘れてハンバーガーでも食いに行こう」


「あ、僕はコンビニに寄るからいいよ」


「ん? コンビニに何か用でもあるのか?」


 純架はだらしない笑みを浮かべた。


「新聞6月号の僕たちの記事を拡大コピーするんだ、50枚ほどね。それを僕の部屋の天井といわず壁といわず、あちこちに貼り付けるんだ。どうだい? 素晴らしい案だろう?」


 嬉しいのは分かるがやり過ぎだ。




 その数日後、雨のそぼ降る暗い景色を眺めながら、そこだけは明るい教室でロングホームルームが(もよお)された。五時間目の授業だ。


 宮古先生は怒気の鎧を全身にまとって現れた。手に持ったファイルを教壇に叩き付けないのがおかしく感じられるぐらいだ。


「起立! 礼!」


 日直の号令で全員が立ち上がり、頭を下げる。皆机を見ながら、今日の先生は何やらあるぞと、気を引き締めていたに違いない。


 着席すると静かになった。宮古先生はやかんから吹き出る水蒸気に似たため息をつく。


「今日は別のことをやるつもりだったが、そうはいかなくなった。これは由々しき問題だ。クラス全員で考え、受け止めるべき、大変な事案だ」


 謎の前置きに触れて俺たちは強張(こわば)った。宮古先生は何が言いたいのだろう? 答えはすぐ明らかになった。


「このクラスに、煙草(たばこ)を、吸ったものがいる」


 一語一語はっきり区切って、ゆっくりと述べた。その重々しい言葉に教室中がざわめく。俺は目をしばたたいた。そんな奴がいるのか? このクラスに?


 生徒の一人、夏島さんが手を挙げた。学級委員長で、清楚(せいそ)が売りである。


「何だ夏島」


「なんでそんなことが分かったんですか?」


 宮古先生は小さなビニール袋を取り出した。右手でつまんで高く掲げる。


「吸殻があったからだ」


 ビニール袋の中に確かに短い、折り曲げられた煙草らしき吸殻(すいがら)がおさまっていた。


「これを見つけたときの僕の情けなさといったらなかったぞ」


 菊池が手を挙げる。テニス部で運動神経抜群の男だ。


「どこにあったんですか?」


 宮古先生はいまいましげに教卓を指でさした。


「そこの窓際の教卓そばに落ちていた。まるで僕に当てつけるかのようにな」


「いつ見つけたんですか?」


「今朝のホームルーム終了時だ」


 憤慨(ふんがい)の色が声音に濃い。


「最初は何かと思った。まさか場所もあろうに僕の教室で、煙草の吸殻が堂々と置かれているなどとは夢にも思わなかったからな。僕は吸殻を職員室へ持ち帰ってビニール袋に入れた。そのとき決めたんだ。今日のこのロングホームルームで、煙草を吸った犯人を見つけ出してやる、と」


 教壇に両手をついて室内に視線をめぐらす。悲しみと怒りが生徒たちの顔を通り過ぎた。


「今なら許してやる。煙草を吸った奴は名乗り出るんだ。相応の罰は受けてもらうが、まあ仕方あるまい。事態が事態だからな。だがそれ以上は自白してきたことを考慮し、不問としてやる」


 テニスのサーブを待ち受けるプロプレイヤーよろしく、宮古先生は自分の温情のリアクションを待った。


 手が挙がった。なんと純架だ。


「お前か、桐木!」


 どよめきと共に一斉に視線を集中されて、純架は慌てて手を振った。


「いや、違います違います。ちょっと二、三うかがいたいことがありまして」

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