340失われた刀事件06
「ええっ? 何でそんな時間まで……」
純架は俺の口を平手で塞いだ。
「声が大きいよ、楼路君。……さっきも言ったけど、ちょっと気になることがあるんだ」
「何だよ、渡部夫婦に見つかるとまずいことでもあるのか?」
「その通り」
3時間ほど無為に過ぎた。街灯の明かりが照らす道路から離れ、真っ暗闇に沈む俺と純架。暑いし退屈だしで、俺は徐々に疲労が蓄積していく。このまま何の変化もないのか……と思っていると、突然純架のスマホが振動した。彼は電話に出る。
「安原さんですか?」
その後、純架は何やらやり取りし、通話を切った。彼は小さな声で俺に話しかける。
「『白犬タケル』はこの降って湧いた事件に右往左往しているらしいよ。渡部夫妻はとにかくおかんむりで、1000万円はする虎徹を失ったことに対する損害賠償を電話で請求してきたらしい。安原さんは、芸術品や骨董品の損害賠償は出来かねる、ただ夫妻が万が一のためにと加入していた引越荷物運送保険という損害保険でなら補償されると答えたそうだ。夫妻は『そんなの当たり前じゃない』とご立腹で、安原さんは説き伏せるのにいい加減労力を使った、とお疲れ気味だったね。明日弁護士を交えてまた相談する、とか言ってたよ」
俺は眉をひそめた。
「それとこの張り込みと何の関係があるんだ?」
「夫婦は保険と賠償にこだわっているということだよ。まだ分からないかい?」
突如目の前に目もくらむ光が現れた。純架が俺を電柱の影に引き込もうとする。
「隠れて。早く!」
その光源は――白いポルシェのライトだ。それは渡部夫妻の新居に低速で近づいていく。俺は眼をまたたかせた。
「新築の屋敷に高級外車、か。純架、あの車は何だ? 何だって俺たちが隠れなきゃならないんだ?」
純架は興奮気味にスマホで無音撮影する。
「あれは渡部夫妻の子供たちの車だよ。乗車している彼らは――元キャラバンの乗員たちは、渡部夫婦とグルだったってことさ」
「何だって?」
ポルシェから続々と人が降りる。その手に桐の箱があった。純架はそれもカメラに収めた。
「これで謎が解けたよ。彼らは初めから、瀬古さんのトラックから桐の箱を――虎徹を奪うことを目的としていたんだ。目的は盗難補償の保険金で、これから首尾よくいったと乾杯でもするんだろう」
俺は開きっ放しの自分の口を手の平で押さえる。
「そんな……信じられない。渡部夫妻の今までのあれが――全部演技だったってのか?」
純架は犀利な輝きの瞳を俺に向けた。
「そうさ。任意保険へ加入していたこと、貴重品である刀を手前に積ませたこと、トラックの助手席に乗らず飛行機で先回りしていたこと、4人もいる夫妻の子供たちが誰一人この場に手伝いに現れなかったこと、などがその証左といえるじゃないか。特に刀の格納場所が扉付近だったのは、僕に疑念を抱かせるのに十分だった。1000万円という触れ込みなのに、あまりにもその扱いがぞんざいじゃないか。最初は敢えてそうすることで逆に刀を守ろうとしたのかな、と思ったけど、単純に取りやすくしただけだったみたいだね」
白いポルシェから降りたのは都合4名。40代ぐらいのおっさんたちだ。軽く歓声を弾かせながら、笑顔の渡部夫妻と共に邸内に上がっていく。
「僕が睨んだとおり、きっと今日中に受け渡すだろうと思っていたんだ。何せ貴重品も貴重品、本物の虎徹なんだからね。こんな大仕事、任せられるのは肉親だけだよ。親を裏切って大事な美術品をネコババする子供はいないだろうし。……楼路君が『売らずに鑑賞用として持ち帰る』みたいなことを言ったとき、そこに思い至ったんだ」
俺は唾を飲み込むと、ここまでの状況を整理した。
「つまり渡部夫妻は北国での積み込み作業の際、桐の箱が手前に来るよう誘導した。そして黒いキャラバンに犯人たち――4人の男が乗り込み、瀬古さんのトラックの後をつける。瀬古さんがサービスエリアで降りて食事に向かうと、トラックの荷台をピッキングで解錠し、素早く刀の箱を盗み出した。もちろん後は発覚が遅れるよう鍵以外元通りにする。キャラバン組は成功したとばかりに瀬古さんが高速へ戻るのを見送り、電話が通じるようになった渡部夫妻に成果を報告した。そして渡部夫妻は何食わぬ顔で先回りし、安原さんら『白犬タケル』相手に『刀がない』と騒ぎ立てた……というわけか。桐の箱が最も価値があると知っていたのは、当の持ち主である渡部夫妻と犯人たちが共犯関係にあったからだな」
純架は満点の回答用紙を手渡されたようにしきりとうなずいた。
「そういうことだね。以上がこの事件の全貌だよ、楼路君。さあ、帰ろう。後は大人たちに任せるんだ。……だいたい蚊が多いよ、ここは」
純架は腕をポリポリ掻いた。
数日後、『白犬タケル』の社員2名は、純架より得た情報と動画を保険会社に提出した。彼らは保険金詐欺の証拠が固まると、渡部夫妻と男たち――やっぱり子供たちだった――の蛮行を警察に訴え出た。これにより、後日彼ら6人は逮捕されることとなった。黒いキャラバンは彼らが盗んだ他人の車両であることも発覚したという。
名家の末も名家、というわけにはいかなかったようだ。
その後、俺は純架と共にアルバイト漬けの毎日を送った。工事現場や商品配送場など、バイト代が高いものを狙い、ときには残業をやってへとへとになってから帰宅することもあった。
そして夏休みも後数日、というところになって、俺たちは宿題をやっていなかったことに気付いた。まだまだ山のようにプリントが、教科書の範囲が残っている。
「頑張るしかないね、楼路君」
というわけで俺は8月の終わり頃、純架の部屋で宿題の山と格闘していた。壁や天井には去年の『渋山台高校生徒新聞』の6月号の切り抜きが、いまだに貼られている。『探偵同好会』の活躍を著した、辰野日向謹製の記事の拡大コピーだ。
いい加減剥がせ。
そこへ純架の妹、桐木愛が現れた。半開きのドアから封筒を差し出す。
「お兄ちゃん、『白犬タケル』さんから現金書留」
「現金?」
純架が受け取って封を開くと、中には感謝がつづられた手紙と共に5万円の謝礼金があった。純架は俺に万札を見せびらかし、得意げに勝ち誇る。
「やっぱり僕は頭脳労働に限るってことが、これで証明されたね」
俺も張り込みに付き合ったんだから、ちょっとぐらい分けてほしいところだ。それはともかく……
「それで、必要な15万円には届いたのか?」
純架は快心の笑顔を閃かせた。
「もちろん。このお金を足して、ね。……君にはこの夏、大いに世話になった。いつかこの恩に報いさせてもらうよ」
「期待しないで待ってるぞ。さ、勉強勉強」
俺たちは再び宿題に取り掛かるのだった。




