337失われた刀事件03
「池田屋事件だろ?」
「うん。その際に近藤勇は最初、沖田総司、藤堂平助、永倉新八の4人で志士たち20余人を相手にしたんだ。しかも藤堂と沖田が相次いで戦線離脱し、激闘となったにもかかわらず、援軍が来て勝利したとき近藤は無傷で虎徹も折れていなかったそうだよ」
ううむ、その話は凄いな。
「でもその後の話じゃ、本当は源清麿の刀の銘を削り落として虎徹を切り込んだ偽物だった、とか言われてるけどね。というのは、とにかく虎徹は有名すぎて贋作が後を絶たず、本物約200本に対し偽物2万本とも言われたほどだ。……まあ、近藤勇が虎徹と信じた刀で戦い抜いたのは事実だし、彼ほどの刀剣愛好家が贋作を見破れなかったとは思えないけどね」
「そうか、そんな虎徹の本物だから、1000万円なんてべらぼうな値がついたんだな」
「そういうことだよ」
奏さんがけたたましく笑った。あちらはあちらで盛り上がっている。
「まさか長曽祢虎徹を飛行機に載せるわけにもいきませんでしたし……」
俺は純架の顔を振り返った。
「ホントだ、飛行機を使ったんだ」
純架はにやりと笑った。
「それにしても面白い話を聞いたね。本物の鑑定書付き虎徹、ぜひ一度拝ませてほしいものだよ。無理だろうけど」
安原さんが夫妻に尋ねる。
「刀はどのような形でしまわれたんですか?」
「桐材を使用した刀箱に、厳重に厳重を重ねて収めてあります。大事な刀身が傷つかないように、更に緩衝材でくるみました」
そうこうしているうちに、床の一部を除き、シートは全て剥がされた。純架はふうと息を吐いて、額の汗を腕で取り払う。
「これだけでも大変だったね」
俺は彼の顔を覗き込み、軽く嘲笑した。
「疲れたか? でも本番はこれからだぞ」
「大丈夫。まだ平気さ」
その10分後、『白犬タケル』の白い大型トラックが到着した。早速安原さんが運転席に近づき、降りてきたドライバーと挨拶を交わす。運転手がトラック後部に回り、荷台の錠を外そうと鍵を差し込んで……
「あれ?」
何かに気付いて目を丸くした。安原さんがいぶかしむ。
「どうしました、瀬古さん」
瀬古さんは「いえ……」と言葉を濁しつつ、扉を開け放った。家具家財が荷台の5分の4ほどの空間に積載されている。ダンボールの数といったら、ぱっと見だけでもげんなりするほど多かった。
瀬古さんがほっと安堵するような溜め息をついた。
「度忘れか……」
純架は猜疑の光を眼にまたたかせたが、何も言わなかった。
さて、引っ越し作業だ。純架以外は俺も含めて歴戦のつわものたちだ。改めて軍手をはめる。安原さんがあらかじめ注意してきた。
「青山キリンサービスの皆さん、仕事です。能率よく、でも慎重にかかってください。特に怪我をしたりしないように。重たいものは何人かで協力してください。どこに置くべきか分からない場合は、必ず夫妻に尋ねるように」
瀬古さんがまず荷台に上がり、ゴムベルトを外す。
俺は腕を撫して気合を入れた。一応親友を気遣う。
「無理するなよ、純架」
過保護だとばかりに純架は若干うざがった。
「大丈夫だよ、楼路君。張り切っていこう」
老夫婦の案内のもと、俺たち派遣スタッフと安原さん、瀬古さんが荷物の運び出しと持ち込みに取り掛かる。渡部完・奏夫妻は、家宝の刀が大事らしかったが、どうせすぐ対面できると知ってか焦りはしなかった。
ガラス製品や家電を運ぶのには緊張したし、冷蔵庫は指が千切れるんじゃないかと恐怖するほど重たかった。途中で5分の休憩を挟み、作業は延々続けられる。みな汗だくで、完さんの気遣いであるポカリスエットはすぐさま空となってゴミ袋に投げ込まれた。
やはり筋力の差か、俺と純架は足手まといとまではいかないまでも、阿部さんや『白犬タケル』社員に比べて仕事達成率は低かったように思う。でもそこら辺は見越してあるのか。安原さんも瀬古さんも阿部さんも、俺たちに文句をつけたりはしなかった。決して手を抜いているわけではないと、信頼してくれているのかもしれない。
そして――
「終わったぁ」
最後の靴箱を玄関に運び込んで、引っ越しは完了した。結局5人で2時間もかかってしまった。あとは庭に積まれた透明シートの山を、トラックの荷台に放り込むのが最後の仕事だ。
と、そのときだった。完さんが蒼白な顔で荷台を覗き込んで叫んだ。
「ない! ない! 刀が、虎徹がないぞ!」
今回の荷物の中で最も価値があるであろう虎徹は、4トントラックのどこにもなかったのだ。今か今かと待ちわびていた老夫婦は、愕然となって現場担当に食って掛かった。
「安原さん! これはいったいどういうことですか!」
安原さんは心当たりが全くないようで、俺たちアルバイトに手振りで尋ねる。
「聞いた話ではこれぐらいの大きさの、クッションに包まれた桐の箱なんですが……。皆さん、見ませんでしたか?」
阿部さんも俺も純架も、全員が首を振った。
「見ていません」
「なかったよな、純架」
「影も形もね」
奏さんが頬を押さえてヒステリックに悲鳴を上げる。
「あんまりですわ! わたくしたちの文字通り伝家の宝刀が、消えてなくなっているなんて!」
安原さんはドライバーの瀬古さんに責任転嫁する。
「ちょっと瀬古さん、これはどういうことですか。現地で桐箱を積み込むのを見たんでしょう?」
瀬古さんは運び出し作業中、汗っかきで、しょっちゅう額をハンカチで拭いていた。中肉中背で、特に際立った箇所もなければ、特に劣った点も見受けられない。まるで未来の俺を見ているような気分にさせられた。
今も滝のように汗をかいている。舌をもつれさせた。
「僕は確かに積み込みに立ち会って、手伝いもしたし、桐の箱を収めたのを肉眼で確認しています。まるで煙のように消え去ってしまった、としか言いようがありません……」
完さんがそれまでの柔和さをかき消し、真っ赤になって怒鳴った。
「『言いようがありません』じゃないだろう! どうしてくれるんだ!」
俺は嫌な予感がして純架の顔を見た。思ったとおり、その目がきらきらと光輝に満ちている。
「運送中のトラックの荷台から忽然と失われた虎徹……。これは面白いね」
バイトリーダーの阿部さんが、騒ぎ立つ老夫婦にへどもどしている安原さんへ声をかけた。
「あの、僕たちはもう解散でいいですよね? 桐の箱はともかく、引っ越し作業は終わったんですから……」
奏さんが金切り声を出した。最初の優しげな声が遠い過去の存在となる。
「待ちなさいよ! あんたたちアルバイトが桐の箱を盗んだんじゃないの? 荷物を下ろす振りをしながら!」
阿部さんは唖然とし、俺と純架は顔を見合わせた。何で俺たちが疑われなきゃならないんだ?
安原さんが必死に彼女をなだめる。
「うちの瀬古と一緒に、派遣の子らの仕事ぶりはこの目で見ています。桐の箱を盗んだなんてとんでもない。第一どこに隠すというのですか?」




