336失われた刀事件02
「僕たち『青山キリンサービス』3名、今日仕事させていただきます。よろしくお願いします!」
俺たちも頭を下げる。目の前の男は激痩せした相撲取りのような相貌だった。白に青縞のシャツには、写真入りのネームプレートが誇らしげに取り付けられている。やや取っつきにくさを感じさせる、惜しいまなざしだった。
「こちらこそよろしくお願いいたします。私は『白犬タケル』の現場担当の安原浩二と申します。皆さんよく来てくださいました。少しお待ちください」
安原さんが二つ折りの携帯電話を開いて誰かに連絡を取った。二言三言話すと、俺たちに向き直る。
「皆さん、あと30分ほどで県外から4トントラック1台がやって来ます。その中に積まれた荷物を傷つけず運び出して、この新築の渡部さん宅に設置するのがあなた方の役目です。それまでに、とりあえず壁の養生を剥がしてしまいましょう」
天気は薄曇で、さほど暑くはないがむしむしと不快な湿気がまとわりついてくる。俺たちは安原さんの指揮でてきぱきと動き始めた。養生テープで壁に貼られた半透明のシートをはがしていく。
と、そこで老いた夫婦が年相応の衣服で姿を現した。男性の手にコンビニの、重たそうなビニール袋がぶら提げられている。今しがた近くから戻ってきたらしい。
「やあ、アルバイトの方々が来られたんですね? ひい、ふう、みい……3名さんですか」
ふっくらした、江戸時代の商人めいた顔貌と衣服だ。末広がりの白い眉毛、短く刈り込まれた盆栽のような白髪が大人しそうな印象を形作っている。
「これは差し入れです。熱中症にならないようにね」
そういって阿部さんに袋を差し出す。中を見て彼は破顔した。
「スポーツドリンクのペットボトルですね。ありがとうございます!」
「ちょっと多めに買っておいて良かった。遠慮なく飲んでください」
老夫婦の女性の方は細面で、白く塗りたくったような化粧がやや品の悪さを感じさせた。虫も殺さぬような優しい両目をしており、手足は純白の枯れ木のようだ。夫より背が若干高い。
「もう水も電気も通ってますから、トイレが使えます。必要な方は利用してください。トイレットペーパーもありますからね」
安原さんが恐縮した。
「ありがとうございます、完さん、奏さん」
ほう、どうやらこの二人がこの家の主、渡部完さんと渡部奏さんというわけだ。俺は奥の居間を担当している純架にささやいた。
「あれが依頼主か。親切そうな二人だな」
純架が敷布を剥ぎ取りつつ答える。
「そうだね。あの二人、どうやら飛行機で先回りしてきたみたいだね」
俺は目をしばたたいた。
「何で分かる?」
純架は俺の物真似で『何で分かる?』と口走り、そのギャグに腹を抱えて笑い転げた。
ふざけんな。
「駐車しているのは『白犬タケル』の車だけだったろう? そしてここは出来上がったばかりの新築で、まだ人が住める状態じゃない。となると、引っ越し元から飛行機に乗って、タクシーか安原さんの車か知らないが、それを使ってこの家にやってきたと考えるのが道理じゃないか。あのペットボトルは近くのコンビニで買ってきたものだろうね」
俺の耳に安原さんと渡部夫妻の会話が聞こえてくる。これは奏さんの声。
「ええ、そうなんですよ。北国の実家を老朽化のために取り壊すことになりまして……。わたくしと主人の二人しか住んでいなかったし、この際子供夫婦4組と近い場所に新居を構えようと思ったんです」
「そうだったんですか」
完さんがかくしゃくとして笑った。
「妻とは最後まで激論を交わしましてね。何せ北国の実家は渡部求馬という名家のご先祖様の持ち物でしょう。わしたちだって愛着もありましたし……」
安原さんが少し驚いた声音になる。
「名家? 渡部求馬さんとはそれほどの地位にあった方なんですか?」
この質問に虚栄心をくすぐられたのか、奏さんがひときわ高い声で喜んだ。
「ええ、ええ! 在世時は権勢高く、多くの人々を指揮指導していたそうですよ。わたくしたちも誇りに思っておりますわ」
完さんが唾を飛ばしてそうな大声で自慢した。
「その求馬様が全盛期に受け継いだ刀が銘長曽祢興里入道虎徹です。日本美術刀剣保存協会の鑑定家からは特別重要刀剣の階級で、約1000万円もの価値をつけていただきました」
安原さんが息を呑んだ。うめくように言葉を発する。
「1000万円……。そんな刀を我が社の運輸に任せていただいたのですか?」
「ええ、はい。先祖代々伝わる大事な家宝を、安心して委ねられるのは、『白犬タケル』さんしかいないと思いましたので。一応保険はかけましたけど」
俺は『長曽祢興里入道虎徹』なるものに詳しくなかったので純架に聞いてみた。作業しながらだけど。彼は高校の成績はさっぱりなのに、妙なところで詳しいからだ。果たして、彼は答えた。
「『虎徹』――本当は『興里』と呼ぶのが正しいんだけど――は、江戸時代の刀工だよ。通称三之丞と言ってね。初め越前福井の甲冑師で、明暦初め頃江戸に出て新刀の一流刀工になったんだ。大阪の井上真改、津田越前守助広らとともに江戸時代を代表する作者だね。新刀最上作九工の一人にして、最上大業物十四工の一人さ。江戸新刀の名工、野田繁慶、越前康継とあわせて『江府三作』とも呼ばれる。入道銘が入ってるから晩年の作だろう」
「よく知ってるな、そんなこと」
「最近は刀女子のブームがあるからね。僕も便乗したわけさ」
何で? と尋ねる暇もなく、彼は続ける。
「虎徹は反りの浅いものが多いが、これは江戸時代の流行にのっとったためだ。そして地鉄の杢目肌が詰まって強いんだ――ああ、肌が詰まる、というのは地肌の模様がきめ細かい、という意味だよ。まるで木の年輪のようでね。これは切れ味の優秀な――何せ『最上大業物』なんだし――所以でもあるね。刃文は互の目乱れや湾れ刃を好んで焼くんだけど、いずれも足が入り、鋭さを感じさせる」
さっぱり分からん。
「そして鋼――マルテンサイトの組織が熱に敏感に反応してキラキラ輝くという沸や匂が地刃についていて、特に刃縁のそれらが光を反射して、あたかもオーラをまとっているかのようなんだ。これを『明るく冴える』というんだけどね。虎徹はまさにそれで、実用だけでなく鑑賞用としても十分耐えうるものなんだ。……楼路君は新撰組の近藤勇局長は知ってるかい?」
急に質問されて俺は目をぱちくりさせる。
「ああ、知ってるよ。詳しくないけど」
「その近藤勇が愛用した刀がこの虎徹なんだ。『今宵の虎徹はよく斬れたわ』『今宵の虎徹は血に飢えている』が彼の決め台詞として伝わっているよ。特に幕末の1864年7月8日――元治元年6月5日に、京都の旅館・池田屋に潜伏していた尊皇攘夷派志士を、新撰組が襲撃した事件は知ってるよね?」




