332神田ドリームランド事件03
俺たちはしばらく歩くと、『ブルーサンダー』の入場口から伸びる列に加わる。
それから15分ほど並んだ後、待望の初アトラクションへ挑むことになった。俺はかつて元親父と兄貴が乗り込んだのを、実母と共に見送ったことを思い出す。
「こいつなら記憶に残ってる。終わったら兄貴が泣いてたな。きっと相当来るぜ。ちびるなよ、純架」
「そっちこそ」
俺は奈緒と、純架は日向と並んでシートに腰を下ろした。コースターはそれぞれの客の胸元にカバーを下ろして、ブザー音と共に走行を開始する。建物の外に出ると、列車はじわじわと戦慄をあおるように坂を昇っていった。次に来るであろう極大の恐怖の溜めを仕掛けるように。
俺はその最中、小声で奈緒に話しかけた。
「なあ奈緒。これで純架と日向が震え上がって、終了後に抱き合ったりしないかな」
奈緒は気丈にも受け答えする。
「その可能性はあるね。吊り橋効果って奴でしょ? ドキドキを相手への感情と勘違いするっていう……。楼路君、そろそろ来るよ!」
目もくらむような高所に上ったコースターは、その直後、ほぼ真下へダイブするように疾走した……
俺たちは『ブルーサンダー』のプラットホームを後にした。午前10時半の日差しが厳しい。旅を道連れにした客たちが「怖かったねー」などと感想を言い合っている。
俺はまだ心臓の鼓動が鎮まらない。
「いやあ、参った。あそこまで激しいとは思わなかった……」
「私もよ、楼路君」
奈緒と両手を繋いで、生き残った喜びを分かち合った。
一方純架と日向はけろりとした顔だ。
「辰野さん、怖かったかい?」
「いいえ。ちょっと横方向の強いGに驚いたぐらいですね」
奈緒が小さな声で俺に不満をぶつけた。
「ちょっと楼路君! これじゃ私たちが吊り橋効果じゃないのよ!」
俺は苦笑するしかない。これはこれで良かった気もするし。
「ははは……」
その後、俺たち4人は様々な名物を堪能した。気付けば午後2時。ぶっ通しで歩き、立ち、待って、その後にアトラクションを楽しむ。その繰り返しで、時間の経過にすっかり無頓着だった。
俺たちは入場の際にコインロッカーへ荷物を預け、手ぶらの状態で歩き回っていた。純架のアボカド玉ねぎジュースもロッカーにしまわれたままだ。彼は言った。
「ちょっと一息入れよう。あそこで飲み物を売っているから、4人分買ってくるね」
純架は売店へと歩いていく。美貌の彼の姿に、周りの女性客たちが見とれていた。俺は奈緒、日向と共に空いているベンチに座る。遠くで高校生らしき数人が、マスコットキャラの着ぐるみと仲良く自撮りしていた。空は雲の兆しさえなく、青く澄み渡っている。客もだいぶ増えて、人のいない場所というものがほとんどなかった。
平和だ。すこぶる快適だ。俺はそんな雰囲気に心身を預けて、隣でのほほんとしている日向に尋ねた。
「ねえ辰野さん。純架は恋人なんだろ? この前一緒に映画を観に行ったぐらいで、後は進展ないの?」
日向がびっくりし、次いで顔を赤らめる。奈緒が俺をいさめた。
「ちょっと楼路君、ずいぶん直球で聞くのね」
とか言いながら、彼女も純架が離れたこの隙に日向の背中を押そうとする。
「どうなの、日向ちゃん」
日向は胸を押さえてうつむいた。
「はあ、まあ……ないですね」
「手を繋いだことは?」
「ないです」
俺はここぞと畳み掛ける。
「純架と手を繋ぎたくないの?」
日向はおたおたした。
「そ、それは……」
奈緒が彼女の肩を叩く。闘魂注入という奴だ。
「今日はいい機会よ。日向ちゃん、桐木君が帰ってきたら、それとなく手を重ねるのよ。いいわね?」
日向はすがるような視線を親友にぶつけた。
「でも、でも……。台さんみたいに桐木さんから押しのけられたら、と思うと怖くて……」
俺は何だそんなことか、と思った。
「大丈夫。台さんと違って、辰野さんは恋人なんだし。昨日の夜、純架から誘われて嬉しくなかった?」
日向は俺を見上げる。その瞳は潤んで波紋が立つようだ。
「嬉しかったに決まってます……」
奈緒が咳払いをした。純架が帰ってきたのだ。彼は『神田ドリームランド』オリジナルデザインの缶コーヒーを5本抱えていた。
「やあ、何を話してたんだい?」
奈緒は軽く舌を出して見せる。
「桐木君の悪口」
「何だいそれ。ほら、僕がおごるから、みんな飲みたまえ」
俺は本数が気になった。一人に一本ずつ配る純架に聞く。
「何で5本も買ってきたんだ? 一つ余るだろ」
純架は日向の隣に座ると、器用に両手の缶の蓋を開けた。
「僕は缶コーヒーの味比べが好きでね。左に微糖、右にブラック。ほら、こうして……」
左右交互に飲料をあおる純架。これでは日向が手を繋げるはずもない。奈緒が頭を押さえて嘆いた。
「また奇行なのね……」
日向はコーヒーを静かに喉に流し込むのみだ。
休憩を十分取った俺たちは、再び地図を睨んで戦略会議をした。
「次はどこへ行こうか?」
仲間に意見を求めると、日向が最初に反応した。
「私、次はメリーゴーランドに行きたいです! 華やかな風景に収まる皆さんを激写したいので」
奈緒がくすりと笑った。その声に恥じらいがある。
「子供たちに混じるのは何だかなあ……」
純架が日向の肩を持った。
「いや、いいんじゃないかい? ここは『神田ドリームランド』。童心に帰って楽しむ場所さ。これを生涯最後のメリーゴーランドと考えれば、乗っておいて損はないと思うよ」
俺はその言葉にほだされた。
「そうだな、そう言われると悪くない気もする」
奈緒も賛成に回った。
「待機の列も短そうだし、それなら行ってみようかな」
日向が嬉しそうに何度もうなずいた。
「行きましょう!」
目当てのアトラクション『パーティ・カルーセル』はガラス張りの建物の中にあった。さすがに親子連れが多い。回転する床の上で、馬の乗り物にまたがった子供たちが、外から撮影する親に手を振っている。
この中に混じるのか……。ま、いいけどね。俺は待ち人の行列に並ぼうとした。
そして、ふと気付く。
「ん? どうしたんだ、辰野さん」
日向の足が止まっている。目の前で繰り広げられる幸せ一杯の光景に、ただただ視線を固定させ、呆然と佇立していた。コンタクトの瞳で凝視し、しきりと首を傾げる。
純架が日向に異常の理由を求めた。
「辰野さん、このメリーゴーランドがどうかしたのかい?」
「いや、その……。変なんです」
「というと?」
奈緒がぽんと手を叩いた。
「ひょっとして来たことあるとか?」
日向は目をすがめ、回転する木馬の群れを穴でも開けるように見つめた。そうしながら、何か記憶を探っている風だ。
「おかしいです。このメリーゴーランド、初めて見るはずなのに、懐かしい感じがします」
奈緒がまばたきを繰り返した。
「初めてなのに、懐かしい……?」
純架が豆知識を披露した。
「ありえないことじゃないよ。メリーゴーランドやバイキングといった遊具は、催事にあわせて4トン平車やユニックで運搬・設置・回収を行なうものもあるからね。全てが据え付けというわけではないんだよ。でも……」




