324海水浴場脅迫事件02
奈緒はうなずいてワンピースを脱ぎ始める。誠が驚いて顔を赤らめ、よそを向いて怒鳴った。
「ば、馬鹿、どこで着替えてんだ!」
「藤原君、何をエッチなこと考えてんのよ。水着を着たまま家を出たに決まってるじゃない」
奈緒は意地悪そうに笑い、黄色のバンドゥ姿になった。自分の鞄に脱いだばかりの私服を詰め込む。俺は誠に言われるより早く賛美した。
「似合ってるよ、奈緒」
「えへへ、ありがとう、楼路君」
どうやら水着をあらかじめ着用して来たのは全員であるらしい。日向はストライプのタンキニ、結城は紺のオフショルダー、真菜は花柄のフリル、朱里は青いモノキニ……
朱里が俺の前でファッションモデルのようにポーズをつけた。水着姿を存分に見せ付けてくる。
「どうだい楼路、オレのまぶしい姿は」
その五体は身長の低さを除けば確かに様になっていた。同居生活も長いというのに、俺はその魅力を初めて痛感して恐れ入る始末だ。
「ま、まあ合格点かな……。ちょっと露出が多過ぎないか?」
朱里は勝ち誇ったように笑う。
「どこ見てるんだよ。ふん、飯田先輩という彼女がいながら、ずいぶん節操がないな」
そう罵倒しながらも、俺の視線に少し恥ずかしそうに頬を朱に染める朱里。そこへ奈緒が割って入った。
「あのね朱里ちゃん、人の彼氏を悩殺しないでよね」
朱里はけたけた哄笑した。
「へへへ、少しからかってみただけですよ」
奈緒は高校2年生だが、そのスタイルは去年とさほど変わらなかった。1年の朱里に負けている。だがもちろんこの富士野楼路、人間は見た目ではないとの信条を持っていた。
奈緒が少年のような黒髪を撫でる。
「どうだか……。楼路君、行こう」
「おう」
奈緒と並んで波打ち際へ歩いていった。振り返ると、少し寂しそうな笑みを浮かべる朱里の姿があった。
俺と奈緒が海水を弾いてかけ合っていると、そのそばで英二が純架を柔術に切って取っていた。昨年プロレス技を散々かけられた恨みを晴らそうというわけか? ともかく海の切れ目での攻防は英二の完勝だった。純架が英二の体を平手で素早く叩き、降参の意思を相手に伝える。
「タ、タイム、英二君。……やれやれ、まるでタコみたいに絡み付いてきて、ありえない方向に関節を曲げてくるね。これが今年に入ってからの修行の成果というわけだね」
英二はたくましいヤセマッチョな半裸を陽光にさらしながら、侍のように誇らしげだ。
「どうだ、強くなっただろう、俺は。完璧な護身術をマスターするにはまだまだだが、少なくとももう純架や楼路には負けやしない」
そこでふと思いついたように言った。
「そうだ純架、お前も俺の家に来て柔術を学んでみるか? いい講師がいるぞ。元UFC戦士で王座挑戦したこともある……」
純架が苦笑してさえぎった。
「いや、英二君、大丈夫だよ。僕は肉体を使う柔術より、頭脳を使う探偵業の方が向いているんだ。遠慮しておくよ」
「ちっ、つまらないな」
奈緒が遠くに手を振る。俺はつられて視線の先を辿った。そこにはスレンダーな体を浮き輪に通しながら、日向が寄せては返す波間でぷかぷか浮かんでいる。彼女もこっちに気付いて手を振った。
奈緒が海中に進んでいく。その体が肩まで浸かった。
「私、日向ちゃんのところに行くね。楼路君は私の泳ぎを見てて」
「了解」
奈緒はクロールで泳ぎ出した。俺は彼女の順調な遠泳を誇らしく思っていたが、同時によそ見をした。
真菜が健太の両手を掴んでバタ足の練習をさせている。何しろ健太は188センチの巨人だ。他の海水客にぶつからないよう気をつけて特訓しなければならなかった。
「柳君、息継ぎを忘れずにですです!」
結城もその脇で様子を注意する。
「いいですよ柳さん、そのままそのまま……!」
俺は何だか大型犬が犬掻きしているように思った。足の水しぶきがとにかく凄く、壊れた噴水のようだ。
俺たち男は似たような海パン姿だった。ボクサーの穿くトランクスを地味にしたようなものだ。去年同様、英二だけブランド物の上物だったが。
その彼は格闘ごっこを終え、荷物番の誠の元に向かっている。純架がこちらへやって来た。
「いやあ楼路君。まいったね、英二君には……」
「手酷くやられたな、純架。英二の奴、この8ヶ月で相当鍛えたみたいだ」
純架は肩をすくめた。体格的にもろいところがあっても、彼はそれなりに強い。なのに英二にいいように関節技を決められるとは……
「もう英二君と喧嘩したら、僕はもちろん、楼路君もかなわないかもしれないよ」
「英二め、花見で藤原と喧嘩したときは手加減してたな……。いや、藤原のボクシングに合わせた、っていったところか……」
遠くの波間で奈緒と日向が合流し、浮き輪を掴んでこちらに手を振っている。俺は笑顔で手を振り返した。
と、そのときだ。
「久しぶりだな、二人とも。奇遇という奴か」
その場に現れたのは、飯田森高校の――確か3年になった――須崎巧だった。
「須崎さん!」
俺たちは同時に叫んだ。彼は『未来史図書館殺人事件』の際に俺らと知り合った天才少年探偵だ。ラフな赤髪を後ろで結って、おしゃれに垂らしている。精悍な顔つきで二重のまぶたが凛々しく、整った容姿をしていた。真っ黒に日焼けしている。
純架は自分の耳の下に手をかけた。ペリペリという音と共に顔面が剥がれていく。相貌がむける? どうやら今まで素顔だと思っていたのは、丁寧に装着した精巧な覆面だったようだ。俺も須崎も驚嘆して純架を凝視する。今まで純架だと思い込んでいたこの男は、一体誰なのか――!
「ふんっ!」
純架が勢いよく覆面をもぎ取った。海へと投げ捨てる。下から現れたのは――純架の顔そのものだった。
何のための覆面だったんだ?
「須崎さんも海水浴ですか?」
純架の奇行に頭痛でも覚えたか、須崎はこめかみを押さえた。
「馬鹿言え。監視に来たんだ、監視に」
俺がおうむ返しに問いかける。
「監視?」
「ああ。この田場海岸一帯をな」
その言葉には投げやりのような、一種困り果てた感じが紛れていた。純架がその違和感を看過できずに問いかける。
「その様子じゃ、何か事件を抱えているようですね。良かったら話してくれませんか」
天才少年探偵の困りごととは、はて何か。純架の好奇心がうずくのも仕方ないと言えた。須崎が癇に障る溜め息をつく。
「お前らはまだ『探偵同好会』とかいうのをやってるのか? 頭脳明晰な俺ならともかく、お前らごときが探偵を名乗るのはおこがましいと思うんだが」
俺は苛立って、波に溶け崩れる足元の砂を踏み直した。
「ずいぶんな言い草ですね。俺たちはあれから部員を2名獲得して、今は同好会じゃない、『探偵部』に昇格したんですよ」
「ほう、それは初耳だ」
須崎は上から目線を崩さない。俺はそれがいまいましかったが、純架は気にせず言葉を紡いだ。
「僕らと須崎さんは、あの孤島で一緒に死線を潜り抜けてきた仲じゃないですか。何か事件があるならお手伝いしますから、どうぞ気楽におっしゃってください」




