323海水浴場脅迫事件01
(三)海水浴場脅迫事件
8月に入り、日本は地表が焼き焦げるような酷暑に見舞われた。犯罪的とすらいっていいうだるような気温だが、しかしそれは海という観光地を賑わい立たせる効果もある。その効果に、俺たち『探偵部』の面々も大いに取り込まれていた。
「おっ、もう海が見えるぞ」
俺は冷房の効いた電車の中で、窓外の海辺を指差す。そこには黒や茶色、中には金や銀の髪の毛が、半裸の四肢でうごめき回っていた。前方から後方へと飛び去っていく緑色の木々が、大昔の活動写真のようにコマ割りを繰り返す。列車の振動音に混じって潮騒の音が鼓膜をくすぐり、俺は今すぐにでも海に浸かってひと泳ぎしたい気分だった。
隣の奈緒がくすくす笑う。
「楼路君、張り切ってるね」
「そりゃそうだ。俺が泳ぎながら波を切り分ける格好いい姿、すぐに披露してやるよ」
俺の目の前に座る純架は、駄作劇場アニメ『打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?』のDVDを俺の胸に押し付けてきた。
「ジャパニメーションはここまで来たかと感動させられる超傑作だよ。ぜひ観たまえ」
俺は両手で、全力を込めて突き返した。
「寿命が縮まるだけだ」
「いいからいいから」
俺は斜向かいの日向に目顔で助けを求めた。彼女は笑いながら――今日はコンタクトレンズではなく、懐かしい黒縁眼鏡だった――、純架の肩を叩いた。
「桐木さん、もうじき着きますよ。ほら、降りる準備をしてください」
「あ、うん」
純架は渋々といった具合で鞄にDVDをしまい込んだ。俺は椅子に膝をのせて、後ろを振り返る。さっぱり短い黒髪が頭一つ飛び出していた。無論これは健太だ。
「健太、今日はかなづちを直そうな」
巨体がねじれてこちらに顔が向けられる。彼もまた、海が楽しみで仕方ないらしい。
「はい! よろしくお願いします!」
俺は頬杖をついてニヤニヤした。
「馬鹿。お前を特訓してくださるのは、俺じゃなく台さんと菅野さんだ。野郎が教師じゃ面白くもないだろ」
真菜が素肌で腕まくりの真似をしてみせた。
「あたしに任せてくださいです。これでも海外留学の最中イルカと一緒に泳いだことがありますです! 菅野さん、ご協力をお願いしますです」
結城はスマホをいじっている手を休めて、目の前の真菜に微笑をたたえた。
「小学生の頃、私は英二様へ泳ぎ方を教えさせていただきましたから。きっと柳さんも、英二様のように華麗な泳ぎをマスターできるでしょう」
俺の目にふと結城のスマホの画面が映った。2年2組でテニス部の菊池誠也の写真が時刻と共に表示されていることに、軽く衝撃を覚える。
「菅野さん、それって……」
結城は俺の人差し指が自分のスマホに向けられていると気付き、慌ててそれを抱き締めた。極めて珍しいことに、その頬が赤く染まっている。照れているのだ。
「な、何でもないです。気にしないでください」
「待ち受け画面が菊池って……」
「き、気にしないでくださいってば」
朱里が両手を怪しく伸ばす。
「菅野先輩、新しい彼氏が出来たんですか? オレにも見せてくださいよ」
「彼氏って、そんな関係じゃありません」
菊池誠也は1年のとき、結城のことを気にしていた。しかし彼女が英二と付き合ってると俺から知らされて、しょげ返っていたっけ。その後、誠也も英二も結城も、同じ2年2組に配属された。英二は結城との関係を解消したと、誠也はどうにかして知ったのだろう。あんな真正面からの写真を結城に撮影させたのはその表れといえる。そして恐らくその際、誠也も結城の写真を撮ったに違いないと考えられる。
俺はこの前の『秘密倶楽部事件』のとき、結城にこう言った。
『これからは英二に縛られないで自由に活動できるんだ。むしろそれを活かして、色んなことに首を突っ込むべきだよ、菅野さん。菅野さんは何でも才能あるから、俺が保証するよ。すぐ皆と打ち解けて話せるようになるって。そのクールなイメージを吹き飛ばしてさ、もっと自由に、もっと気楽に』
彼女は早くもそれを実践しているということか。そうか、結城が誠也とねえ……。でも英二の専属メイドであることは以前と変わりないから、そうそう会ったりはしてないんだろうな。
朱里はしつこく結城の携帯電話を奪い取ろうとする。でも本気ではなさそうで、ある程度いじってから手を引っ込めた。
「まあいいや。今度進展したら教えてくださいね」
朱里は白い歯を見せると、到着予告のアナウンスに缶コーヒーを傾けた。結城はほっとしたようにスーツのポケットへスマホを落とす。
「どうやら着くようだな」
真ん中の通路を挟んで反対側の椅子に、英二が座っていた。ポータブル将棋を指していたようで、盤面に王や角などの駒が張り付いている。相対する誠は鋭く舌打ちした。
「まだまだ途中だったんだけどな」
英二がスマホのカメラで棋盤を撮影する。誠に画面を見せながら言った。
「これで続きが出来る。さあ、片付けてしまおう」
「おう!」
2人は和気藹々と駒をしまい、将棋盤を二つに折った。仲睦まじいことである。
電車が停止した。『田場海岸、田場海岸』とアナウンスが入る。俺たち『探偵部』10名と英二の護衛である黒服2名は、ぞろぞろとプラットホームに降り立った。田場海岸に遊泳に来た客は他にもいたようで、皆んな階段を下りながら熱い潮風に歓声を上げている。
英二が誰にともなく愚痴った。
「10名揃って移動だなんて、少し恥ずかしいな」
俺は苦笑し、『探偵部』所属男子の中では一番背の低い彼の背中をどやしつけた。
「まあまあ、『探偵部』部長である桐木純架様の直々のご命令だ。『なるべく三宮財閥の手を借りない』という奴さ。といっても、黒服さんが数名ついてきてくれているけどな」
もちろん田場海岸は俺たちが去年やって来た海とは違う。昨年行った別の海では、ボートで沖に逃れ、英二の恋愛相談にのったりしていたっけ。そのとき英二が惚れていた相手は日向だというんだから、月日の経つのは早いものだ。あの直後、俺はボート沈没の憂き目に遭い、辿り着いた無人島で足を撃たれたんだよな。
田場海岸は人で一杯だった。パラソルの下でベッドに横たわるサングラスの女性がいる。仲間の一人を頭以外砂の中に埋めようとする青年たちがいる。水鉄砲で撃ち合う子供たちがいれば、孫を遊ばせつつ荷物のそばでくつろぐお婆さんもいる。サーフィンに適した波を待ち続ける大人たちもいるし、それら全てに隈なく目を光らせるライフセーバーたちもいた。
寄せては返す波音と、はしゃぎ回る利用客たちの歓声に包まれつつ、俺たちはどうにか自分たちの物置き場を確保した。汗ばむ素肌に砂をまつわりつかせながら、頑張って敷いたレジャーシートの上に荷物を置いていく。
誠の姿が見えないなと思っていたら、パラソルを抱えてどこかから戻ってきた。
「海の家から借りてきたぞ。俺は水着を忘れてきたから、これを差して荷物番でもしているよ。英二や桐木や奈緒たちは、存分に海水浴を楽しんできたらいい」




