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315二人の投手事件07

「まあまあ、いいじゃないかね。それで分かるということもあるんだよ。捕手も審判も、ちょっと付き合ってくれたまえ」


 純架はヘルメットを被りバットを握ると、バッターボックスに立った。三上が呆れたような顔でマウンドに上がる。この先輩は頭でもおかしくなったんじゃないか、と言いたげだった。


「本気でいきますよ、桐木先輩!」


「そうでなくちゃ意味がないよ。存分に来たまえ、三上君」


 俺は肩をすくめた。これは奇行なのか何なのか……


 三上が大きく振りかぶり、力強い速球を放る。純架は明らかに遅れて空振りしてしまった。


 続けて2球目。これはまた物凄いストレートが、空気を切り裂いてキャッチャーミットに収まった。純架は全く反応できない。


 あっという間に2ストライク。純架は後がなくなった。


 この訳の分からない勝負を、いつの間にか野球部員の大半が食いついて見ていた。『探偵部』部長の美貌の男と、野球部エースの真っ向勝負。好奇心をそそられたとしてもしょうがない。


 そんな中、純架がバットを構えて大声で叫んだ。


「さすがだね、三上君。でも君のせいで渋山台高校は甲子園に行けなかったんだ。君が八百長しなければ、今の僕に対するような剛速球を放っていれば、僕らは夢の続きを見ることが出来たんだ!」


 この痛烈な、誰もが聞き捨てならない非難の言葉に、一同が驚きざわめいた。俺もビックリした。三上は、八百長をした――


 痛罵された少年は歯軋りしながら、まるで怨敵(おんてき)に対するかのように直球を投げ込んだ。それは純架のバットにかすりもさせず、捕手のミットに飛び込んでいった。三球三振、純架の大敗だ。


 三上は無言で岡田と交代した。純架はその様子を厳しく睨みつけながら、再びバットを掴み締める。


「さあ次は君だ、岡田君。手抜きせず、全力でね」


 岡田は真っ向勝負を信条とする三上とは好対照に、変幻自在の投球術を得意としている。チェンジアップ、スライダー。純架はまるでついていけず、またノーボール2ストライクに追い込まれた。


 岡田は勝利を確信したか、その顔に余裕の色がある。純架はヘルメットの位置を直しつつ、とどめの3球目を投げんと待ち構えている岡田に対して、こんな台詞を放った。


「ぎょくはるさだ!」


 俺はまた奇行が始まったか、とうんざりした。言葉の意味は分からないが、純架的には意味があるのだろう。


……と思っていたら……


「ボール!」


 岡田は見るからに動揺し、投げた3、4、5球目は、全てストライクゾーンから外れたボール球となった。カウントは3ボール2ストライクと変わる。特に5球目はキャッチャーの守備範囲ぎりぎりの酷い球だった。


 そして、6球目――


「あっ!」


 部員たちが驚きの声を上げた。外角低めのスライダーを純架がジャストミートしたのだ。それはピッチャーの頭上を越え、センターヒットとなった。


 純架はしかし喜びもせず、静かにヘルメットとバットをそばに置いた。


「そう、岡田君。君がエースの座を奪われたのは、そのノミのような心臓のためさ。大事な場面で緊張し、失投を重ねるのが君の弱点だ。それを(かえり)みず、三上君を憎むなんて酷い逆恨みだよ」


 岡田は悔しそうに歯噛みした。純架はいつの間にか呼び寄せていた桃山先輩に向かって報告する。


「捜査結果です。八百長試合をやった投手は、三上君一人です。そうだね、三上君」


 三上は飢えた猛獣のように純架を凝視した。


「証拠でもあるんですか?」


 純架は首肯して、助け舟を出すように言う。


「忠告させてもらうなら、早く告白した方が心の傷は小さくて済むよ」


 三上は押し黙った。桃山先輩が返答を()かす。


「どうなんだ三上。お前はあの大事な決勝戦で、相手チームに手心を加えたのか?」


 1年のエースは苦しげに鎖骨の間をかきむしり、かと思うと帽子を脱いで髪の毛をかき回した。それは痛々しく、俺は目を()らしたくてしょうがなかった。


 だが、とうとう三上は降参した。その両目から大粒の涙が(こぼ)れ落ちる。


「……はい。認めます。自分は八百長をやりました」


 一同がどっと嘆声を発した。「やっぱりか」「だと思ったんだよな」「許せん……」などなど、聞こえる声は抗議の憤慨に満ちている。


 その中で若武者は号泣し、両膝をついて手で顔を押さえた。その口から(せき)を切ったかのように真実が溢れ出す。


「うちには父親がいません。そのせいでとても貧しくて……。中学時代は野球道具を揃えるのも一苦労でした。それで今夏、決勝戦の前夜になって、星降高校の主将から八百長試合を頼まれたんです。稼ごうと思ってもなかなか無理な、苦しい家計を(うるお)してくれる、そんな大金80万円を提示されました。片八百長という奴で、自分と星降の主将しか知らないことです。自分は甲子園よりも、お袋の助けとなる金の方を選んでしまったんです。ああ……」


 三上は土下座した。慟哭(どうこく)はいつ果てるとも知れない。


「自分はあえて打たれやすいコース、打たれやすい球を投げて、6失点を献上してしまいました。すみませんでした!」


 額に土をつけながら、八百長の当事者は桃山前主将に涙まみれの謝罪を行なった。


「本当に申し訳ありません。責任を取って、即刻野球部を辞めます。どうか、どうか許してください……」


 誰もが無言だった。三上の貧しい暮らしを知っているため、同情の念が湧き上がってきたものであろう。


 そこで純架が衝撃の言葉を撃ち出した。


「君が辞めるというのなら、連帯責任で岡田君も辞めなくちゃならないね。何せ、三上君が受け取った80万円という大金の出所は、岡田君の(ふところ)なんだからね」


 三上を含めた全ての野球部員たちが、どよめいて騒然となる。桃山先輩が目を丸くしていた。


「本当か、桐木」


 岡田がしどろもどろに批判した。


「な、何を言ってるんだ桐木。そんなわけがないだろう」


 純架は冷たく言い放った。


「なら『ぎょくはるさだ』にあれだけ動揺するはずもないよね。そう、玉春定(ぎょく・はるさだ)は星降高校の主将であり、三上君に八百長を依頼した人間であり、更に岡田君から100万円を受け取った人物なんだからね。さっき岡田君は僕にそこを指摘されて、投球に乱れを生じたのさ」


 三上が岡田を呆然と見上げている。岡田は醜い顔をしていた。呻き声さえ漏れ聞こえる中、純架は悪事を暴いていく。


「岡田君は後輩の三上君に先発投手の座を奪われたことで憎悪をつのらせた。そしてその鬱憤(うっぷん)を晴らすために、三上君に八百長をやらせようとしたんだよ。星降高校の主将の玉さんを介して、ね。もちろん敗戦後にそれとなく噂を流して、三上君が全部員から軽蔑されるようにした。井上君はその行動の初期に岡田君から聞かされたわけだ。しかしそれは岡田君の思いもよらない方向――『どちらかの投手が八百長をした』という内容に変化してしまって、彼も困ったことになったんだけどね」


 岡田はまだ虚勢を張っていた。しかし震え声が(つくろ)えていない。


「ふざけるなよ、桐木。どうしてそう言い切れる。証拠はあるのか?」

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