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314二人の投手事件06

 井上は純架から解放されて、地面に置いていた鞄をかけ直した。


「いや、あいつ確かシングルマザーの家庭で、かなり貧乏だって嘆いていたよ。でも母親の言いつけで、アルバイトしなくていいから野球部に専念しなさい、って(さと)されてるらしい」


「ありがとう」




 帰り道、俺と純架は並んで歩いていた。遠くから救急車のサイレンが聞こえてくる。夕方の空はとうとう崩れ、小雨がビルや自動車を延々と叩きまわっていた。


 そんな中、今日の聞き込みの成果をまとめる。純架はヘルメット傘を馬鹿みたいに使用していた。


「やっぱり岡田君は、三上君に先発の座を奪われたことをかなり根に持っていたみたいだね。本人は憤慨して否定していたけどね」


「だから三上が八百長をしたという噂が流れるよう、井上に話したわけか。逆恨みもいいところだ。実力次第なんだからな、野球って」


「おやおや、いっぱしの口を利くものだね。まあともかく、岡田君は井上君以外にも何人かに吹き込んでいたみたいだね。ところがそれが、本人の意図しない『どちらかが八百長した』という内容に変遷(へんせん)してしまったというわけだ」


「そういうことになるな。……何だ、じゃあ八百長は実際にはなかったってことになるな。噂の出所は岡田、と。これで解決か?」


『探偵部』部長は自分の傘の高すぎる位置で、小雨をもろに浴びていた。


「いいや。気になることがあるんだ」


「というと?」


「明日また野球部は練習するって話だし、また部活終わりを狙って聞き込みに行こう。濡れた雑巾を掴むような、嫌な気分になることだけどね」




 そして捜査は2日目に入った。昨日の雨は幸いすぐに止み、グラウンドはやや湿っているものの部活動に問題はない。


 俺と純架は精力的に野球部員から聞き込みを行なった。調査はスムーズに進められる。


 結局聞き込まなかった部員の方が少ないほど、あれこれ話をかき集めることが出来た。だが純架が関心を向けたのは、噂の出所などではなかった。


 二人の投手の経済状況である。


 晴れ渡った空の下、俺と純架は帰りがけに有名ファストフード店に寄った。アイスコーヒーをストローで吸引しながら、俺は純架に真意を求める。


「何で二人の(ふところ)具合が気になってんだ?」


 彼は鶏肉バーガーにかぶりついた。


「岡田君の家は裕福だけど、三上君の家は極端に貧しい。誰に聞いてもそうだった」


「それが噂とどう関係があるんだ?」


「見たかね、楼路君。二人の野球道具の差を。金持ちの岡田君は自前のものを揃えていたよね。それもかなりの高級品だ。それに対して、三上君のそれは、部活支給の安物ばかりだった」


 俺は言い回しが気になった。


「だった?」


 純架は忍者のように両手で素早く(いん)を切り、組み合わせると、人差し指を天井に向けた。


「忍法、隠れ身の術!」


 しばらく時間が経った。もちろん純架の体はどこにも隠れず、消えない。


「成功だ!」


 目を(おお)わんばかりの大失敗だろうが。


「そう、『だった』だよ。今日の三上君のスパイクを見たかね。あれは1万円はくだらない、ブランド物の新品だった。貧乏で、でもバイトもしていないのに、どうして買えたのだろう? どこかから最近かなりの入金があったといえそうじゃないか」


 俺はポテトフライを口に運ぶ手を停止させた。


「岡田が三上の貧乏振りを見かねて、買ってあげたとかじゃないのか?」


「馬鹿だね、それなら県大会が始まる前にしそうなものじゃないか。……金は大会後に三上君の口座に入ったんだ、間違いない」


 俺は急に室内が冷えたように感じた。


「星降高校が三上に金を渡したってのか? 八百長の見返りとして?」


 純架は興奮してきた俺を闘牛士のようにひらりとかわした。


「明日、僕はちょっと単独で調べてみるよ。君は来なくてもいい。家で宿題を忘れずこなしておきたまえ」




 そんなわけで、俺は翌日暇だった。純架の言いつけ通りに机に向かい、プリントの山と格闘する。純架は星降高校に行ったのだろうか? 今頃何をしているんだろう? 勉強は一向にはかどらず、俺は窓の外に浮かぶ白雲を眺めてシャーペンを回していた。


 そこで突然ドアをノックする音が聞こえてくる。俺は首を(めぐ)らした。


「どうぞ」


 扉を開けて入ってきたのは義妹の朱里だった。なぜかおしゃれをしている。肉感的な唇が濡れたように光っていた。


「楼路、ちょっといいか?」


「何だよ、また風呂の順番でも変えるのか?」


 朱里は手に持っていた何かを差し出してきた。見れば教科書とノートだ。


「違うよ。数学の問題で分からないところがあってさ。アドバイス貰いたいんだけど……」


「俺の頭脳を頼るな。何せ毎回赤点すれすれなんだからな」


「2年生なんだ、1年の数学ぐらい分かるだろ。ほら、このページなんだけど……」


「どれどれ……」


 俺は仕方なく覗き込んだ。義兄としてみっともない姿は見せられない。幸い、俺にも分かる箇所だった。


「ああ、ここはこうやってこうするんだ」


 割とすらすら解けた。ああ、この頭脳を持って1年生に戻りたい。


 しかし朱里を見れば、俺の顔を凝視してぼうっとしている。俺は中っ腹になった。


「おい、俺の顔見ててどうする」


 朱里はまるで着替えを覗かれたように慌てた。顔を赤くしてしどろもどろになる。


「あ、いや、何でもない。……へえ、これが正解か」


 そして教科書のページを()った。


「次はこの問題なんだけど……」


「何だよ、お前成績優秀じゃなかったのかよ」


「悪かったな。ほら、教えろよ楼路」


 結局この日も俺の宿題は進まなかった。




 その夜、夕食を食べて風呂に入って歯磨きをして、後は寝るだけとなった俺の元に電話が入ってきた。純架からだ。


「明日も渋山台高校野球部は学校で練習があるらしいよ。熱心なことだね。僕らも行ってみよう」


 俺はピンときた。


「何か進展があったんだな?」


「まあね」




 一夜明け、俺と純架は晴れ渡る空を仰ぎながら、渋山台高校へ登校した。野球部はグラウンドの一角を占領して、全員がレギュラー目指して熱く練習していた。宇治川監督は今日も大声で生徒たちを叱咤(しった)している。


 俺と純架は木陰で(すず)みながら、その様子を見守った。そうするよう純架が頼んできたのだ。


「よし、10分休憩!」


 宇治川外部顧問が手を叩いた。投手も野手も球拾いも、一斉に自分の鞄へと駆け寄る。持ってきた水を経口補給し、熱中症にならないようにするためだった。


 そこで純架が動いた。大声で二人の人物の名を呼ぶ。


「三上君! 岡田君!」


 呼ばれた当人たちはまたか、という表情だ。うんざりしているのは明白だった。他の部員たちは水筒の蓋を傾けながらこちらを盗み見ている。


 岡田がペットボトルをあおりつつこちらへ正対した。


「またか、桐木。八百長ならやってないぞ」


「そうではないよ、岡田君。三上君も。ちょっと僕と勝負してもらいたいんだ。一対一、投手と打者という形でね」


 2人はあっけに取られていた。三上が当然のごとく疑問をぶつけてくる。


「何のためですか?」

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