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311二人の投手事件03

「ナイス岡田! さすがだ。まさに変幻自在の変化球だ」


「でも4点差か……。挽回(ばんかい)できるかな」


「まだ試合は2回を終わったばかりだぜ。まあ反撃を待つとしよう」


 その後、試合は両軍無得点のまま4点差で7回表、渋山台の攻撃を迎える。甲子園行きのチケットは、半ば星降の手元に転がり込んでいた。悔しさに口数が少なくなる俺と純架。


「打ってくれ……頼むよ」


 お互い拳を作って膝やテーブルに載せ、食い入るように画面に見入る。


「これで勝ったら甲子園なんだからさ……。もうこんな機会、早々ないんだからさ……」


 その俺たちの願いが通じたのか、ここで抑えつけられていた打線が奮起した。2番、井上(いのうえ)と3番、野口(のぐち)が立て続けに快音を響かせたのだ。


「おおっ、ノーアウト1、2塁だ!」


 純架が緊張と興奮で泡を吹いて倒れた。俺が彼を無視していると、やがて何事もなかったかのように恥ずかしそうに起き上がる。


 反応がないとすぐやめるんだな。


 ここで4番の倉内先輩に打席が回ってきた。純架が深皿の中を手でまさぐり、ポテチが切れたことを残念がる。


「何だか打ってくれそうな予感がするよ」


「予感じゃ駄目だろ。確信しなきゃ」


 ここが正念場だ。この回得点できなければ、もう渋山台は敗北の坂を雪崩を打って転がり落ちるだけだろう。果たして……!


『打ちました倉内! 打球がぐんぐん伸びる! 入りましたレフトスタンド! スリーランホームランです!』


「やったぁ!」


 俺は純架とハイタッチして喜んだ。


「よっしゃあ! さすが倉内先輩! 渋山台の頼れる4番!」


「ここで打つとは凄すぎる……! これでこの試合2ホーマーか。神がかってるね」


 得点は渋山台が5点、星降が6点。わずか1点差にまで迫った。だがこの後の3選手は凡打が続き、結局試合は振り出しには戻らない。だが俺は楽観視していた。


「まあいいや。よっしゃよっしゃ。これなら残り2回できっと追いつける」


「後は岡田君さえ失投しなけりゃね」


 だが純架の指摘は悪い方向に当たった。7回裏、マウンドに上がった岡田が乱調をきたし、投げる球投げる球ことごとく打たれたのだ。俺と純架は溜め息を吐く回数を競っているかのようだった。


 結局スリーアウトまでに4失点。得点は5対10となり、再び遠く引き離されてしまう。俺は仏頂面(ぶっちょうづら)を隠す気にもなれなかった。


「こりゃあかん……」


「岡田君……」


 そして試合は両軍得点できないまま8回を終え、最終9回の表に突入した。渋山台高校は、この場面で何としても5点差をひっくり返さねばならない。俺は信じてもいない神様に祈った。どうか渋山台高校を甲子園へ連れて行ってください、と……


 だが結末はあっけなく訪れた。2アウトとなったところでバッターがサードゴロに打ち取られて万事休す。3アウト、試合終了。


 互いの選手たちがホームベース前で向き合い、帽子を取って一礼、握手する。一方は笑顔でもう一方は泣き顔だった。そりゃそうだろう。念願の甲子園まであと一つと迫りながら、我らが渋山台はとうとうその切符に手が届かなかったのだから。


 俺と純架は液晶テレビが映し出す無残な風景に、何とも打ちひしがれた気分だった。何となく拍手して星降を称える純架。


「まあ、頑張ったよ。お疲れ様と声をかけてあげたいね」


 そこへドアをノックする音が聞こえる。俺が「どうぞ」と受け答えると、朱里が入ってきた。純架がやや不審がる。


「おや、タイミングがいいね。もしかして自分の部屋で観戦してたとか?」


 朱里は左胸を押さえて苦々しい顔をした。


「当たりです、桐木先輩。疫病神のオレが観ると負けると分かっていながら、ついつい……。ごめんなさい」


 俺はその態度が少し気に(さわ)った。


「あほ。お前のせいじゃないだろ。卑屈になるな」


「楼路……」


 朱里が口を閉ざすと、室内を妙な空気が漂う。義妹は慌てて打ち消すように両手を振った。


「もう帰りますか、桐木先輩?」


 純架は室内のゲームソフトを物色した。


「これ、無償で貰ってもいいよね?」


 だからやらんっちゅうに。


「本当は帰るつもりだったけど、新作テレビゲームソフトの『メタルソリッド・ギアスネーク』を遊ぼうかな。いいよね、楼路君?」


「まあいいけど」


 朱里が深皿とコップ二つが載った盆を手に取る。


「なら今度はアイスコーヒーでも()いできますね」


 そうしてぎこちなく部屋を出て行った。俺は扉の向こうに消えた彼女の影を見つめた。


「何だ、あいつ?」




 それから三日後の昼のことだ。俺のスマホに純架から電話があった。


「俺俺! 俺!」


「何だよ純架」


「そう、純架! 実は俺さあ、交通事故を起こしちゃって、今すぐ示談金が必要なんだよね。悪いけどさあ、これから俺が言う口座に300万円振り込んでくれない?」


 今更こんな特殊詐欺に引っ掛かる奴がいるとでもいうのだろうか。


「奇行ならいらんぞ。何か用か?」


 純架は舌打ちした。あるいは本当に俺を引っ掛けるつもりだったのかもしれない。


 馬鹿か?


「楼路君、今暇かい?」


「宿題をやってたところだ。当然暇だ」


 7月の期末試験で純架に逆転されたこの俺だ。本来なら暇ではないはずだが、まだ8月がまるまる残っているし、勉強は後回しにして遊びにでも出かけたかった。それが本心である。


 純架は意外なことを提案した。


「じゃ、今からちょっと僕と一緒に渋山台高校へ行かないかい? もちろん制服姿でね」


 こうなると俄然(がぜん)興味津々(しんしん)になるのが俺の悪い癖だ。


「何かあったのか?」


 純架は俺の口調に弾んだ声を出した。好奇心をかき立てることが出来て満足そうに言う。


「3年の桃山先輩――渋山台高校野球部の前主将が、僕ら『探偵部』に直々に依頼してきてくださったんだよ。話だけでも聞いてほしいってんで、呼び出しってわけさ。どうだい?」


 3日前の決勝戦でヒットを打っていた、あの桃山卓志先輩か。大会が終わって引退したから、「前」主将というわけだ。何事だろう?


「俺も『探偵部』部員だ。喜んで行くさ」


「決まりだね。じゃあすぐ外で待っているよ。ところで、示談金300万円の件なんだけど……」


 俺は通話を切った。




 排気ガスが溜まったような街路を通り抜け、泣き出しそうな曇天のもと、通い慣れた渋山台高校に到着する。野球部は敗戦したばかりだというのに、早くも次を目指して練習に励んでいるようだ。グラウンドから多分宇治川監督のものであろう、ノックの快音が響き渡ってきている。


 校門で黒い坊主頭の生徒が待ち構えていた。近づいてみれば、この前地方局のチャンネルに映っていた野球部元主将・桃山先輩だ。その顔はいちいち鋭角で、下手な彫刻を思わせた。身の丈は180センチ強と高く、褐色の腕をシャツの袖から垂らしている。


 こちらへ駆けるように近寄ってきた。運動神経の高さが伝わってくるしなやかな動作だ。


「こんな蒸し暑い中、よく来てくれた。俺は桃山卓志。その顔、君が『探偵部』の桐木純架で間違いないな?」

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