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030ふられた真相事件01

   (一)『ふられた真相』事件




 梅雨(つゆ)に差しかかろうという六月初旬、『探偵同好会』は暇を持て余していた。


「僕は思うんだがね、楼路君」


 昼食の弁当を使いながら、純架は箸を宙に振った。


「ネッシーはいると思うんだよね」


 いったいこの男は何十年遅れているんだろうと思う。


「ネス湖のネッシー。1934年に産婦人科医ロバート・ケネス・ウィルソンが撮影した写真が有名だよね。湖面から頭をにょっきり出す、あの有名な一枚。もっとも1993年にクリスチャン・スパーリングが『あれはトリックだった』と証言してどっちらけになったけどね」


 俺は――朱雀楼路(すざく・ろうじ)はカツサンドを頬張(ほおば)りながら、この奇体な親友の話に、儀礼ばかりの相槌(あいづち)を打った。それに力を得てますます純架は勢い込む。


「でもいないよりいた方がロマンがあるに決まってる。そうじゃないか? 当時は皆、ネッシーはいると信じていた。今は信じていない。でも信じない方が正しいなんて誰が決めた? 楼路君、僕は断然ネッシーの実在を支持するよ。だってその方が面白いじゃないか」


 窓の外は快晴だった。鳥のさえずりが心地よいBGMとなって鼓膜をくすぐる。ここ渋山台高校1年3組の面々は今日も穏やかに昼休みを過ごしていた。男子は男子で、女子は女子で、机を突き合わせて食事をとっている。校内放送が微弱にスピーカーを震わせ、どこの誰の作だか分からないクラシックをかけていた。


 俺は目の前で講釈を垂れる男を見つめた。桐木純架(きりき・じゅんか)。もし性別が違えば恋に落ちていたであろう、破壊的な美貌の持ち主だ。白黒写真の列に急に紛れ込んだカラー写真。黄色いひよこたちの中に突如飛び出してきた青いひよこ。上手く言い表せないが、つまり彼一人だけ次元が違うのだ。その容姿は男性の中に混入された女性で、女性の中に放り込まれた男性だった。黒い髪を中世西欧の貴族然と伸ばし、それは耳を隠してさえいる。だがどんな髪型でも純架に似合わぬものはないであろう。それほどの容姿端麗(ようしたんれい)ぶりだった。


 そしてその(たぐい)まれな容姿と同じぐらい、桐木純架は奇人としても知られていた。突然パンツ一丁になり、腹にマジックでひょっとこを描いて、バレリーナのように両手を掲げて優雅なステップを踏むなど、およそまともで健全な高校生ならやらないであろう。だが純架はやる。一切のためらいもちゅうちょも見せず、さもそれが当然とばかりに奇行へと走るのだ。おかげで男子からも女子からも評判が悪く、彼の外見に()かれて近づいた娘たちは、一様にげっそりして撮影したばかりの写真を携帯から消去するのだった。


 そしてまた、純架は俺の所属するちょっと間抜けな名前の同好会――『探偵同好会』の会長でもあった。といっても学校の規則で、同好会は5人以上で成立するとされている。つまり『探偵同好会』は、未だ公的な承認を得られぬあやふやなものなのだ。あと一人、純架についてこられる忍耐と寛容(かんよう)に満ちた人材が求められていた。


「聞いているのかい、楼路君」


 純架の声で思考の沼から釣り上げられる。


「え? 何だ、何の話だっけ?」


「あのね……。ネッシーを撮影しにスコットランドのネス湖まで旅行に出掛けようという大事な話だよ」


 一人で行け。


「喋る口があるならもっと早く食え。休み時間がなくなるぞ」


「ああ、そうだね」


 純架は唐揚げを急いで咀嚼(そしゃく)した。俺は紙パックの牛乳を吸いながら時計を見る。あと5分で予鈴か。


 と、そのときだった。引き戸が突然開き、一人の女生徒の侵入を許したのだ。


「『探偵同好会』! 『探偵同好会』の桐木純架、いる?」


 彼女は甲高い大声を響かせ、室内を眺め渡した。生徒たちに一斉に視線を浴びせられても平然としている。


 黒いワカメをかぶったような髪だ。どうかすると両目にかかる髪を神経質にかき退ける。切れ長の目と鮮やかなラインを描く鼻は十分美しいが、どこか壊れやすさを見るものに与えた。


 純架がペットボトルのコーヒーを飲んで口の中を掃除した。立ち上がって手を挙げる。


「僕が『探偵同好会』の桐木純架ですが」


「へえ、噂通りの美形ね」


 女は感心したように吐息をもらした。


「依頼よ依頼。あんた、事件の依頼を欲しがってるんでしょ? 私が与えてあげる」


 純架は目を輝かせた。


「本当ですか? あの、お名前は?」


「ああ、忘れてた。私は橘真菜(たちばな・まな)。2年1組よ。今は時間ないから、放課後にまた来るわ。そういうわけだから桐木、待っててね」


 純架は両手を開き、親指で自身の鼻を左右に押し広げた。


「分かりました。お待ちしてます」


 橘先輩が怒るより早く、俺は純架にボディブローを見舞って止めさせた。




 数日ぶりの事件に純架はほくそ笑んでいた。笑みを浮かべながら彼にしか見えない寿司を食い、げっぷさえした。


「何にやついてるのよ、気持ち悪い」


 5時間目が終わって一息ついたとき、浮かれ気味の純架をたしなめたのは飯田奈緒(いいだ・なお)だ。活発そうな短い黒髪で、ウサギのような大きい茶色の瞳に、小振りな鼻、魅惑的な唇を有している。純架には及ばぬが十分すぎるほど美人だ。丸まった耳も特徴といえよう。


 俺は飯田奈緒が好きだ。しかしその思いは胸中深くに隠している。奈緒がこの1年3組担任・宮古博(みやこ・ひろし)に恋慕の情を捧げていることを知っているからだ。それに彼女は高校在学中は勉強に邁進(まいしん)する決意を固めていて、その強固さはハンマーの一撃でもひびを入れることが出来ないほどだ。卒業したら宮古先生に告白するつもりなのだろう。


 そしてそんな奈緒も『探偵同好会』の一員なのである。嬉しいといえば嬉しいし、辛いといえば辛い。俺は自分の感情を持て余してやるかたないのだった。


 純架は奈緒に微笑んだ。


「飯田さん、君は楽しくないのかい? 解決すべき依頼が手ぐすね引いて待ち構えているんだよ。人生でこれ以上の楽しみはないじゃないか」


 奈緒は目を細めた。


「何言ってるのよ、余計な手間が増えるだけだわ。私も『探偵同好会』だからね、付き合うけどさ、解決は桐木君一人でやりなさいよ」


 純架は「どんとこい! どんとこい!」と叫びながら、自分の腹を太鼓のように猛烈な勢いで何度か叩いた。そしてそのことには一切触れずに返した。


「僕は自分の無謬性(むびゅうせい)を信じちゃいないよ。飯田さんや楼路君、辰野さんも意見を出してくれないと、僕は僕自身の思考が独善的で独りよがりのものでないかどうか判断できないよ」


 奈緒は俺に話題を振った。


「朱雀君はどう思う?」


 俺は返答に(きゅう)した。


「今までの事件って、結局純架が一人で解決してきたようなものだからな……」


 実際問題、1年1組でこの場にいない辰野日向(たつの・ひなた)も含めて、純架以外の会員は全員『純架のお手伝い』をしてきただけだ。


「まあ多分俺たちは、『変わった客』事件のように、平々凡々な推理を純架に提供していくのが一番いいんだろうよ。純架の思索(しさく)の一助になるからな。……そうだな」


 俺はひらめいた。


「今回の事件は純架以外の会員で解決するとしよう。たまには俺たちもやればできるってところを見せとかないとな」


「ちょっと面倒くさいね」


 奈緒は不平を口にした。が、すぐ気を取り直す。


「……でも、確かに『探偵同好会』が桐木君一人でもってると思われるのは(しゃく)かな。しょうがないなあ。じゃあそうしよう」


 純架は俺たちの会話を無視してトランプタワーを築くのに夢中だった。奈緒が不機嫌そうに平手でなぎ払う。あわれタワーは粉砕され、純架は抗議の視線を奈緒にぶつけた。


 お前が悪い。

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