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302秘密倶楽部事件06

 標的は特に振り返ることもなく、快調に自転車を進めていく。俺は20~30メートルほど間隔をおいて、極力音を立てずに慎重に尾行していった。やがて芹沢は5階建てとおぼしきオレンジ色のマンションの自転車置き場に曲がりこんだ。どうやらここが目的地らしい。俺はいったん通り過ぎてから、マンション前の道路を横切って戻り、芹沢がどの部屋に入るのか斜め下から確認する。彼は白いビニール袋を軽そうに持ちながら、301号室のブザーを鳴らした。ほとんど間をおかずに中へと入る。


 俺は自分の尾行が首尾よく成功したことに深く満足し、今までの苦労が報われた心地よさに酔っていた。


 と、そこで声をかけられる。


「やあ、楼路君。お疲れ様」


 眼前には自転車に乗った、帽子にサングラスにマスク姿の男がいた。え、この声は、もしや……


「君だけでは不安だから、僕も折り畳み自転車で君の後をつけさせてもらったよ。分からないかい? 僕だよ」


 変装を外せば、そこには桐木純架その人が疑いもなく現れる。俺は舌打ちした。


「何だよ、二重に尾行してたのかよ。そんな計画は聞いてなかったぞ」


「話したら意味がないだろう? 時に『探偵部』部員をもあざむくのが部長のこの僕ってわけさ」


「ちぇっ、信用ねえな、俺」


「まあまあ。それよりここにいては目立つ。マンションの301号室が良く見えるような、そんな場所に身を潜めよう」


 俺は不満を溜め息で紛らわし、路地裏へ2人して移動した。


 301号室を目指したのは芹沢だけではなかった。その後、徒歩や自転車と移動手段の差こそあれ、やはり軽そうなコンビニ袋を提げて客が現れる。いずれも俺たちと年の近い、高校生らしき人物だった。中にはパンチパーマのおっさんもいて、むしろ意外に思えるほどだ。


 純架はそうした様子をスマホで撮影しながら、数も数えていたらしい。


「中の住人含めて全部で13人だ。まだ来るかもしれないが、これはもう『秘密倶楽部』の集会と見て間違いあるまい。酒盛りがいよいよ始まるってわけだ」


 そうして満足げに俺にうなずいてみせた。


「待っていたよ、このときを。……で、楼路君にお願いがあるんだけど……」


 嫌な予感がする。純架のお願いは決まってろくなものではない。


「僕は『探偵部』の部長として、渋山台高校生徒たちにその名前と顔を知られている。その点、ほどよく攻撃的でヤンキー寄りの面魂(つらだましい)の楼路君なら、『秘密倶楽部』の面々にもそうは知られていないはずだ」


「おいおい、俺は前に朱里を助けるために、芹沢と睨み合ったことがあるんだぞ」


「だからさ、301号室から君と面識のない生徒が出てきたら、僕がスマホで合図するよ。そうしたら君は、その人物に近づいてこう話しかけるんだ。『俺、兄弟がいないんだ』ってね」


 連中の合言葉か。


「そして相手の返事をしっかり録音して持ち帰ってくれたまえ。そのときは相手に『今日はもう終わりか。また今度参加するよ』と断っておくんだ。大丈夫、相手は酒に酩酊(めいてい)しているんだからね。絶対切り抜けられるはずさ」


 俺は今の要請を頭の中で吟味(ぎんみ)した。だいぶ危険だが、まあこうなった以上俺がやるより他はない。これでも『探偵部』部員だ、やるべきときにはやらなくては。


「分かったよ。でも録音ってどうするんだ? スマホでやれってか?」


「僕のICレコーダーを使ってくれたまえ」


 そういや純架は録音機を日常的に持ち歩いているんだっけか。俺は手の平におさまるサイズのそれを受け取った。


「オーケー。分かったよ。じゃ、行ってくる」


 俺は帽子を目深に被りながら、道路を渡ってマンションの中に入った。オートロックでないのは都合がいい。階段を上るともう汗だくで、心臓はバクバクいっている。俺は他の住人に怪しまれないよう、2階の端で手すりに寄りかかりながら、スマホをいじるフリをし始めた。緊張するなあ……


 しかしそれも最初だけだった。15分、30分と時間が経過すると、それに反比例して動悸は治まっていく。あんまりにも待機が長過ぎて、あくびさえ出てきた。今頃301号室では豪快な酒盛りが行なわれているのだろう。酒か……。そんなに美味い飲み物なのだろうか。酔っ払うってどんな気持ちなんだろう? 俺は無為な時間を過ごしつつ、そんなのん気なことを考えていた。


 スマホが震える。純架からのLINEだ。


『楼路君、出てきたよ。ゆっくり慎重に話しかけるんだ、いいね』と記されている。すっかり落ち着いていたはずの鼓動が、まるで派手な洋楽でもかかったかのように再開される。俺は喉の渇きを覚えながら、2階から3階への階段を上った。


 3階廊下に出る。いた。前方遠くから、自分と年の近そうなクラシカル・バーバースタイルの黒髪の男が歩いてくる。俺は気合を入れた。目の焦点が定まらないその少年へ、出来る限り気さくに話しかける。


「俺、兄弟がいないんだ」


 男は瞬間、俺と視線を交錯(こうさく)させた。不審そうな素振りはない。そして言った。


「なら今日から俺が兄弟だ」


 にやりと笑い、握った拳を胸の辺りで前方に伸ばす。どうやら今のが『秘密倶楽部』の合言葉の答えだったようだ。ICレコーダーはきちんと作動していたか?


 ともかくも、俺は彼の拳にグータッチした。そして仕事は終わったとばかり、怪しまれないよう純架のアドバイスを想起する。


「今日はもう終わりか。また今度参加するよ」


 それだけ言って、きびすを返そうとする。だがそれは未発の行為となった。


 男に手首を掴まれたのだ。


「まだ終わってないぞ、兄弟。俺と来い。一緒に野菜を吸おうぜ」


「えっ、ちょっと、待っ……」


 俺は意外に強い男の腕力で、強引に引きずられた。やばい。301号室に入ったら芹沢に見つかってしまう。俺の正体がばれてしまう。そうなったらもう、どんな酷い目が待ち受けているか知れたものではない。


「いや、今日はもういいです」


 俺は半ば叫びながら、何とか少年の手を振り切ろうとした。だが元々持っている地力が違うのか、どんどん引っ張られる。やがて301号室前までやってきてしまった。


 彼がブザーを鳴らす。


「俺です、葛西(かさい)です。仲間を連れてきました」


 こいつ、葛西って言うのか。知らない顔だった。渋山台高校ではない、他校の生徒なのだろうか。いや、今はそんなとぼけたことを考えている暇はなかった。俺は手錠を外すように葛西の指を引き剥がそうとするが、その手は全く意にも介さないように力強く握り締めてくる。


「ほら、入れ」


 中は煙の異臭がした。10数人の高校生らしき人々が、広い室内に点々と転がっている。ソファや絨毯(じゅうたん)や壁にその身を預けて、それぞれ煙草のようなものをふかしていた。


 俺の背中を冷や汗が伝う。これは煙草会ではない、ましてや酒飲み会などでもない。確かネットで、『野菜売ります』は『大麻売ります』の隠語だと書かれているのを見たことがある。葛西はさっき「一緒に野菜を吸おうぜ」と言った。


 これは麻薬――大麻のパーティーだ。『秘密倶楽部』とは、大麻を吸う集まりのことだったのだ。羽柴OBが現役3年生の頃は純粋な酒飲み会だったようだが、今は違法集会に成り下がってしまっているわけだ。

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