026タカダサトシ事件10
「実は古志慶介が突き落とされた一件で、俺のクラスの関本愛が証言したんだ。古志は真島と華原の二人がかりで投げ捨てられた、ってな」
純架はそれほど衝撃を受けた風でもなかったが、一方俺は混乱を鎮められなかった。やっぱりあの二人が犯人? じゃあ彼らの言う高田聡とは、いったいどこから出てきたんだ?
純架は尋ねた。
「何で今頃になって証言をしたんでしょう? 時間は一杯あったと思いますが……」
「怖くて言い出せなかったそうだ。担任である俺以外の人間にはどうしても打ち明けられなかったらしい」
そこで予鈴が鳴った。昼飯を食い損ねたが、真島と華原の話は貴重で腹は空かなかった。
そしてその日の放課後。純架は俺と奈緒に声をかけて1組へ向かった。
「もうこの事件も終わりだよ。後は真島君と華原君に二、三聞けばそれでおしまいさ」
俺は目を丸くした。
「ええ? 俺はまだ何も分からんぜ」
「すぐ分かるさ。ええと、二人は――あれ?」
1組の教室はこれから帰ろうとする生徒たちで和気あいあいとしていた。目標の片方の真島はいたが、もう一人、華原がいない。純架は帰り支度をしている真島に声をかけた。
「やあ真島君。華原君は?」
真島は挙動不審の変質者が警察に声をかけられたように体をわななかせた。
「いないよ。皆川君が話があるって連れて行ったんだ」
俺は嫌な予感がした。皆川の奴、華原をまたいじめるつもりか?
純架は若干不安そうになった。
「そう。それじゃ真島君に手短に話を聞こうかな。少し時間いい?」
真島は降参したように椅子に座り直した。
「うん、いいよ」
純架は机に手をついて身を乗り出した。
「小さい頃、親の目を盗んで地元テレビのいじめ撲滅キャンペーン、観てたよね? 高田智さんが司会をしていた番組。『僕ノート』だっけ」
真島は軽い興奮を抑えかねる風だった。
「観てたよ! 僕、親にいじめられてたから、こっそりチャンネルを合わせてたんだ」
「いじめを許さない高田智さんが身近にいたらいいなあ……と、そう願ったよね?」
「うん……。でも何でそんなことが分かったの?」
純架は畳み掛ける。
「そして高田智さんの突然の降板と、その理由であるプロデューサー暴行事件。君は地元紙で詳細を知ったはずだ。特に、高田智さんが橋から被害者を池に投げ落とした、という部分には衝撃を受けたよね?」
真島は純架の両目を縛られたように凝視する。
と、そのときだった。
「桐木さん! 皆さん! 大変です!」
日向が息急き切って現れた。
「華原さんが皆川さんを屋上から投げ捨てようとしています!」
純架の顔色がさっと変わった。俺も奈緒もあまりのことに声も出ない。皆川が華原を、ではなく、華原が皆川を、なのか?
「屋上だね!」
純架は疾風のように教室から走り出た。俺も奈緒も、真島も日向も後を追う。階段を上りきり、先頭の純架がドアノブに手をかけて思い切り開いた。
日はまだ高かった。十数人の生徒が遠巻きに二人――華原と皆川――を見守って、声かけを行なっている。
「落ち着け!」
「早まるな!」
「先生が来るからどうか動かないで!」
横についてみれば、皆必死の形相と声だった。
華原は皆川と共にフェンスを乗り越え、屋上の端に立っていた。あと数歩進めば真っ逆さまの位置だ。華原に首根っこを掴まれた皆川は、背中をがたがた震わせていた。通常の力関係はどこへやら、今は華原が主導権を握っている。皆川はそれほど喧嘩が強くないのだろうか。
切迫した危険に、俺は叫んだ。
「華原! やめろ、落ち着け!」
華原はこちらを見ようともしない。というより、華原は異常だった。皆川におびえていたあの華原とは思えぬほど、泰然自若として落ち着き払っている。まるでこんなことは大したことでもないというように、彼は集まっている生徒たちに一瞥もくれなかった。もちろん俺の呼びかけにもだ。
俺はもう一度わめいて彼の注意をこちらに向けようとした。だが純架が片手を挙げてそれを制する。
「無駄だよ、楼路君。彼は華原君じゃない。彼はタカダサトシなんだ」
俺は相棒の正気を疑った。
「何訳の分からないこと言ってるんだ? あいつは華原だろうが!」
「違うよ。彼は華原君が幼少時虐待されていた時に作り上げたもう一人の人格、タカダサトシその人だ」
俺は愕然となった。
「何だと?」
「そしてタカダサトシはもう一人……いや、もう『半分』いる。そうだね、真島君」
純架は振り返り、真島を見つめた。真島は両手で顔をかきむしりながら、これ以上ないほど目を見開いた。
「僕は……僕は……!」
純架が真島の耳元で悪魔のように怒鳴った。
「出て来い、タカダサトシ!」
真島は白目をむいて口をパクパクと開閉した。泡を吹いてその場にひざまずく。俺は心配した。
「おい、大丈夫か?」
俺は介抱しようと手を伸ばしかけ――その手を勢いよく払われた。痛い。
「真島?」
「私は……真島ではない。タカダサトシだ」
真島は立ち上がった。その顔貌の劇的な変化に俺は驚く。それまでの大人しい、人畜無害な顔が一転して、自信とゆとりに満ちて傲然と極まっていたのだ。彼は口の端に笑みさえ浮かべて歩き出し、生徒たちの間を抜けて華原に接近した。
「おい、馬鹿! 近づくな!」
華原が皆川を落としてしまう。俺は真島を引き戻そうとしたが、彼は俺の指先が触れるより早く群集から離れた。
「やあ、分身」
ここに来て初めて華原が笑顔を見せた。皆川の襟を押さえたまま、真島を歓迎する。真島はくすくすと笑った。
俺は混乱した。奈緒や日向も事態が飲み込めていないようだ。
「いったいどうなってるの? 桐木君、説明して」
「彼は、真島君は、もう半分のタカダサトシなんだ」
純架は早口で解説した。
「簡単に言えば、真島君も華原君も二重人格者なんだ。解離性同一性障害と言うやつだね。二人はそれぞれ似たような幼少期――誰かから虐待を受ける――を過ごした。彼らは痛みと苦しみにのた打ち回りながら、そういう自分を冷静に見つめるもう一人の自分を無意識に作り上げた。そしてそれは『僕ノート』を視聴することでより具体化する。彼らは同時期にこのいじめ撲滅キャンペーンに触れ、その主役である高田智さんに首ったけになる。彼こそはいじめや虐待から皆を救うヒーローであり、二人の希望の的だった。それゆえ、彼らの別人格は高田智さんのイメージと同化し、渾然一体となった。だがそんな蜜月は唐突に終わりを迎える。高田智さんが暴行事件を起こし、番組を退いたからだ。『憎んだ相手を橋から突き落とす』というその暴力の印象だけが残り、真島君と華原君はそのまま成長していった。そして中学1年のとき、二人は出会い親しくなった」
俺は慄然と、ただただ純架の暴露に聞き入った。
「本来なら別人格『タカダサトシ』は眠ったまま起きてこないはずだった。だが高校に入学してつい先日、華原君は見てしまう。連絡通路――まるで橋のようだ――で、青柳先生と皆川君とが憎しみ合い、取っ組み合っている姿を。その情景が高田智さんの暴力事件と重なって、スイッチが入ってしまった。つまり、眠れるタカダサトシが目覚めやすくなってしまったんだ。そうして話は『古志慶介突き落とし』事件へと繋がる……」
純架の推理はよどみなく流水のようだ。




