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025タカダサトシ事件09

 瀬川は痛ましげに高田を見すえている。


「そして警察沙汰となり、事件は高田さんの実名入りで全国に報道されました……」


「はい、当然です。これはれっきとした暴行事件ですから。ただ、私が降板しただけではおさまらず、『僕ノート』自体も打ち切りになる蓋然性(がいぜんせい)が高いと知って、私は深く後悔しました。そのとき子供たちが集めた応援の署名には深く感謝しています。瀬川さんにはこの番組を救っていただいて、本当にありがとうと言いたい。本当、どうもすみませんでした。心より反省しています。申し訳ございませんでした」


 純架は番組が終わるまで熱心に観ていた。そしてコマーシャルとなるや、意味ありげにこちらへ微笑んだ。


「僕は毎日全国紙の朝刊を読んでるんだが、確かにそんな事件もあったように記憶してるよ。もっとも5年前、僕が11歳の頃だからね。詳細や犯人の名前までは覚えてられなかったようだ。すっかり忘れていたよ。楼路君、君は今の番組をどう思う?」


 俺は考え考え舌を動かした。


「まあ、高田の気持ちは分からなくもないな。そんな裏切り、許せないと思わなきゃ嘘だ」


 純架は人差し指を立てて「チッチッチッ」と左右に振った。


「メトロノーム!」


 物真似だったのか。


 純架は下校時の憂鬱(ゆううつ)な顔つきから一転、全身から歓喜をほとばしらせていた。


「そんなことはこの際どうでもいいんだ。問題は、古志君が突き落とされた事件が解決へ一歩前進したってことさ」


 俺は目を見張った。


「本当か?」


「ああ、後は裏付けだけさ。さて、僕はもう帰るよ。じゃあね、面白いゲームソフトだったよ」


 純架はそれだけ言い捨てると、半信半疑の俺を置き去りに、意気揚々と自宅へ帰ってしまった。




 翌日のよく晴れた朝、俺はいつものように純架と登校した。純架は思索に没頭していて、事件の何がどう前進したのかについては話さなかった。


「違ってたら赤面ものだからね。うっかり推理をもらすわけにはいかないよ」


 何を聞いてもこれである。さすがに俺はあきらめて、無言で学校へ向かわざるをえなかった。


 教室は挨拶(あいさつ)が飛び交う気分のいい光景を内包していた。俺は岩井や長山とくっちゃべる。奈緒はいつも通り友達に囲まれていた。純架は一人椅子に沈み込んでいる。


 そのとき、情報通の久川が大声を出して入ってきた。


「1年1組担任の青柳先生が戻ってきたぞ!」


 ざわめきのさざなみが室内を走った。生徒の皆川と取っ組み合いになって謹慎処分を受けていた青柳が、冷却期間をおいて再登場というわけか。とりあえずこれで国語の授業も常態化するだろう。


 純架は何を思ったか、椅子から立ち上がり教室を出て行った。かと見ていたら、時間ぎりぎりに戻ってくる。まあトイレか何かだろう。




 昼休み、俺は購買(こうばい)でパンを買って1年3組に戻ろうとした。その帰り道、廊下で純架に出くわす。てっきり教室で弁当を使っているのかと思っていた。


「やあ楼路君。君も青柳先生の話を聞きに行くかい?」


「え? 何かあるのか?」


「言っただろう、『後は裏付けだけさ』とね。『探偵同好会』会長としては会員である君を強制連行したいところだけど、気が進まないならそれでも構わないよ」


 そんなことを言われたら行かざるをえないだろう。というか、興味をかき立てられたのが実際のところだ。それで思い当たったが、今朝純架が席を外したのは、青柳先生と昼に会う約束を取り付けるためだったのだ。


 俺たちは体育用具室の影で――ここが待ち合わせ場所らしい――青柳先生を待った。周囲にひと気はない。程なく、下品にならないように着崩したなりの先生が現れた。


「おう、朱雀か。久しぶりだな」


「おつとめご苦労様です」


「馬鹿言うな」


 青柳先生は白い歯を見せた。純架に正対する。


「1組の真島と華原について聞きたいんだっけな。お前らは特に悪さをしたことがあるとも聞かないし、一応信用して話すんだが……。秘密、守れるだろうな」


「そのつもりでここを指定させていただきました。秘密は厳守します」


「……いいだろう」


「二人の過去を教えてください」


 青柳先生は無精髭を撫でながら空を見た。


「真島と華原には共通したものがある。それは、大人に虐待されていたという過去だ」


 静かに語りだした。


「真島は5歳のときから、アル中の父にしつけと称していたぶられた。頭をはたく、腕を引っ張る、背中を殴りつける、尻を叩く……。あざが残らないように注意していたというから悪質だ。母は見て見ぬふりをし、父が飽きて横になると、真島を『お前が悪いんだからね』とののしったそうだ。ろくな手当てもしなかったというから酷い話だ」


 ふせ目がちになる。


「真島は孤独だった。友達もおらず、いてもすぐ離れていった。そういったものを作る才能に乏しかったんだろう。家で暴行され、学校で一人ぼっちで、誰も助けてくれやしない。ただただ精神的なものと肉体的なものの二つの傷を負い続け、次第に真島は現実を直視できなくなっていった。空想にふけることが多くなり、記憶が飛ぶことが頻繁(ひんぱん)に起きた……」


 俺は真島に同情した。あいつ、そんなひどい目に遭ってたのか。青柳先生が続ける。


「だが真島はようやく親友を得ることができた。3年前、中学一年のとき、同じクラスの華原亮二と親しくなったんだ」


 ここで華原が出てきたか。純架の顔を盗み見ると、眉一筋動かさない。予測していたということか?


「華原もまた彼の事情で虐待を受けていた。入所した児童養護施設が腐敗しきっていて、華原は悪辣(あくらつ)な児童指導員に心身をむしばまれてボロボロだったという。ともかく真島と華原は意気投合し、お互いの境遇を話して涙を流しあった。二人はそんじょそこらの生徒たちよりはるかに強い(きずな)で結ばれたんだ。それこそ一心同体というべきか。一方が傷を負えばもう一方が痛みを覚え、一方が悲しめばもう一方が涙を流す、といった具合にな。同じ高校に入学できて、同じ1組になれて、あいつらは幸せだと思う」


 青柳先生は話を締めた。


「……二人の過去はそんな感じだ。他に聞きたいことはあるか?」


 純架は思慮深(しりょぶか)げな横顔を見せた。


「三点。青柳先生はその話をいったいどうやってあの二人から聞きだしたんですか?」


 青柳先生は破顔した。


「二人の方から打ち明けてきたんだ。『主に目上年上の人間に虐待されてきたので、先生にいまいち信用が置けない。でも僕たちは信用します、そのために過去を話します。どうか僕らを守ってください』とな」


「なるほど。今、彼らは虐待されているんですか?」


「今は転居して誰からも攻撃されていないそうだ」


「ふむ。では最後。青柳先生はなぜ皆川源五郎君の頬にビンタを食らわせたのですか? 連絡通路で『ふざけるな』『自分のしたことが分かっているのか』とか怒鳴ってからの一発だったそうですが」


 青柳先生の顔は曇った。


「あいつは――皆川は、真島と華原の二人をいじめて脅し、金を巻き上げていたんだ。二人からこっそり教えてもらってな。俺は逆上した。せっかく二人が健やかに暮らせる環境を得たというのに、皆川はそれを破壊したんだ。それも、古志の暴走族に上納金を渡すためだとかいうくだらん目的のためにな。それで俺は連絡通路に皆川を呼び寄せ、金を返すよう迫った。だがあいつは俺が教師で手をあげられないと見くびって、半笑いで俺を見下した。それで俺はかっとなって、一発かましてしまったというわけだ」


「それはお気の毒です。あの実際は臆病な皆川君が先生に掴みかかったのは、誰かが速やかに仲裁に入ってくれると期待してのポーズだったんでしょうね」


「そうだと思う。まあそれで俺はしばらく自宅で無為に過ごす羽目になったんだがね」


 純架は勢いよく頭を下げた。


「ありがとうございました。参考になりました」


 青柳先生は口を開きかけて閉じ、また唇を開閉して押し黙った。言いたいことがあるが、言っていいものかどうか迷う――そんなじれったい挙措(きょそ)だった。頭を上げた純架はそれに気づいた。


「先生、何か僕たちに話したいことがあるんじゃないですか?」


「いや、まあその、何だな……」


 青柳先生ははっきりしない。彼にしては珍しいことだった。やがて後頭部をかきながら前かがみになった。


「真島と華原に興味があるお前らだから話すんだが……。誰にも話さないと誓うか?」


 純架は釣り込まれた。


「それはもう、ここだけの話ということで。一体何ですか?」


 青柳先生は小声で言った。

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