195激辛バレンタイン事件02
帰り道、今日を先途と奮い立ってチョコレートを販売するお菓子屋を通り過ぎながら、俺は純架を問いただした。
「なあ純架。本当に台さんや辰野さんの本命チョコを断る気なのか? 非常にもったいないと、俺は思うぞ」
親友を思う真心溢れた台詞だと、自画自賛する。が、純架はにべもない。
「何度も言うけど、いらないって。だいたい台さんは明言していたからともかく、辰野さんがくれるとは限らないじゃないか。何でそんな話になるんだい」
俺は『探偵同好会』会長の鈍さに天を仰いだ。空は漆黒の星空が夕日の勢力を駆逐したところだ。
「お前なあ。辰野さんが純架のことをどうやら気に入ってるらしいって、態度とか雰囲気とかで分かるだろ」
純架は俺を見上げてまばたきした。
「そうなのかい? 何でまた僕を?」
「さあ。それは自然にというか、何となくというか、曖昧模糊として本人も良く分かっていないらしいけど」
「ふうん」
こいつ、日向や真菜に好かれても全然いい顔をしないな。
純架は禁煙パイプを取り出して口に咥えた。
そもそも喫煙してないのだから意味がない。
「僕は本命チョコは絶対に受け取らない。義理チョコだったら受け取るけどね。君は他人の心配なんかしてないで、藤原君に負けないよう頑張ったほうがいいと思うよ」
俺は笑殺した。
「奈緒に限って裏切ったりしねえよ」
そして翌朝、バレンタインデー当日。今日はチョコの受け渡しを行なうということで、事件もないのに『探偵同好会』全員が早朝から集まることになっていた。俺はいつもより早起きして顔を洗い、歯を磨き、食事を摂って、お袋に見送られて家を後にした。隣の家の純架を起こしに行く。
そこで意識になかった人物に出会った。桐木愛、純架の妹だ。兄とよく似た美少女で、丸い瞳、お茶目な鼻、ませた唇を備えている。全体としてまだあどけなさが残り、髪は黒いセミロング。14歳の中学2年生だ。制服姿だった。
「あ、出てきた出てきた」
どうやら俺を待ち構えていたらしい。
「はい楼路さん、義理チョコ」
その手の上で透明のラップに包まれて、一口サイズのチョコがひしめき合っている。手作りなのだろう。
「お、おう。ありがとう。わざわざ待っててくれたのか?」
愛は俺に若干恨みがましく言った。
「義理ですからね、ド義理。かつて小生が慕ってた先輩に対しての、まあ礼儀みたいなものよ。はい、どうぞ」
俺の胸にチョコを押し付けた。俺は落とさないように大事に抱える。
「誰か本命をあげる相手がいるのか?」
愛はそっぽを向いて冷笑した。
「小生は女友達と楽しくチョコを交換するつもりよ。じゃあね、楼路さん」
そして愛は駆け出していった。まるで入れ替わるように、パジャマ姿の純架が玄関からのろのろ出てくる。俺を見て苦笑した。
「おや、早速一個手に入れたようだね。色男の楼路君」
俺は角を曲がって見えなくなった愛の幻影を追った。
「愛ちゃんは大丈夫なのか? 二度の失恋でだいぶへこんだろうに」
「へこました当人が心配するなんてちゃんちゃらおかしいよ。あっ、ちょっと待って」
純架が急に押し黙った。何事かと俺も沈黙する。
やがて純架が言った。
「危ない危ない。屁をここうとしたら思わず実が出そうになったよ」
馬鹿馬鹿しい。
「すぐ支度するから待っていたまえ」
家に戻った純架はきっちり5分後、制服姿で鞄を提げて現れた。
「さあ、学校へ行こうか。君の恋人が待ってるよ」
バレンタインデーとはいえ、早朝ということでまだひと気は少ない。想い人の男子の下駄箱へチョコを入れていた女子が、俺たちの靴音に気づいたかそそくさと立ち去る。俺は純架と顔を見合わせて苦笑した。俺たちの下駄箱はいたって普通、チョコのチョの字もなかった。
今朝の鍵当番は誠だ。俺たちが部室の引き戸を開けると、それは施錠されておらず簡単にスライドした。誠が一番乗りで椅子に座り、窓外を無愛想に眺めている。俺は一応声をかけた。
「よう、眠かっただろう」
誠は威嚇するような瞳を俺に向けてから、「ふん」とそっけなくまた外を見つめた。俺たちは席に着き、後続の到着を待つ。
そこへ俺の女神が降臨した。奈緒が紙袋と鞄を重そうにぶらさげて、部室に現れたのだ。
「奈緒!」
俺は胸の高鳴りを覚えた。人生最良の日を迎えられるかどうか、全ては彼女の一挙手一投足にかかっている。
「おはよう、楼路君、藤原君、桐木君。……三宮君はまだ?」
「ああ、まだ来てないぞ」
「ふうん。まあいっか。じゃ、楼路君」
少しはにかんで、奈緒は上気した顔に笑みを浮かべつつこちらへやってくる。俺は立ち上がって出迎えた。
「奈緒……」
「手を出して、楼路君」
俺が両手を差し出すと、奈緒が紙袋から出した赤色の紙包みをそこへ載せる。そして明朗に宣言した。
「私の本命手作りチョコよ。どうぞお食べくださいな」
「奈緒……!」
俺は心の底から感激し、目頭が熱くなった。非リア充の誠が悔しそうにそっぽを向く。ざまあみろ、ざまあみろ誠。俺の勝利だ。大勝利だ。
椅子に座ると、机の上でリボンをほどいた。包装紙を開くと、それほど見た目のよろしくない中型のチョコブラウニーが5個ほど、ラップに包まれている。俺は奈緒の料理下手を思い出し、なんだか猛烈に緊張してきた。
もし不味かったらどうしよう? あまりの酷さに吐いてしまったら? 恐らく俺と奈緒の幸福な関係は、たちどころに終焉を迎えてしまうだろう。完全な破滅だ。
そんなことはあってはならない。俺はごくりと唾を飲むと、それが毒薬であろうが犬の糞であろうが、何としても喉を通過させてみせると意気込んだ。
「どうぞ?」
奈緒が催促する。俺は意を決し、チョコを一つまみして口の前まで持ってきた。
「い、いただきます……」
天国か地獄か。のるかそるか。俺は黒ずんだお菓子を口内に放り込み、どうとでもなれと咀嚼した。
食べてみると、結構美味しかった。うん。十分合格点である。俺はほっとして、出てもいない汗を拭った。
「うまい! 最高だよ、奈緒!」
誠が舌打ちするのが聞こえる。俺は優越感に肩まで浸かり、残りのチョコにも手を伸ばした。
「いやあ、愛の結晶って奴だね。それにしてもこれ、奈緒一人で作ったのか?」
奈緒はチョコを褒められてご満悦だ。
「ううん、お母さんに頼んで手伝ってもらったの」
「それでか……」
「え? 何?」
俺は少々どもった。
「い、いや何でもない。俺は幸せ者だよ、奈緒」
奈緒は自分の両頬を手で挟み、激賞にはにかんだ。
「良かった、喜んでもらえて」
引き戸が開いた。英二と結城のでこぼこコンビだ。俺と奈緒を揶揄しつつ中に入ってくる。
「何だ、バカップルがはしゃいでいるようだな」
奈緒が自分の席に戻り、紙袋の中をまさぐった。
「男子が揃ったわね。桐木君、藤原君、三宮君。はい、義理チョコ。お店で買った既製品だけれどね」




