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194激辛バレンタイン事件01

   (四)『激辛バレンタイン』事件




 2月13日火曜日。そう、リア充が非リア充を傲岸不遜に見下ろすことができる、男にとっても女にとっても勝負の日、セントバレンタインデーの前日である。


 俺は『探偵同好会』メンバーがどう動くのか、前から楽しみにしていた。もちろんその態度の根底には、「自分は本命チョコをもらえる」との自信がある。ふふ、ざまあみろ非リア充ども。俺には恋人になり、ファーストキスを分かち合った相手、飯田奈緒がいるのだ。美しくクラスの人気者である彼女から、本命チョコをいただける幸福を、俺は何ら疑っていなかった。ちょっとその味には不安があるけれど。


 そんなわけで、明日をめぐる男女の駆け引きが行なわれているであろう1年3組を立ち去り、今日も『探偵同好会』部室に向かった俺は、先に到着していた奈緒の横顔を目の当たりにしてほっと安堵するのであった。明日いきなり風邪を引いて休みとかなしだからね、奈緒。


 その彼女は、何やら同好会会長である純架と話し合っていた。到着早々、その声言葉が聞こえてくる。


「ね、いいでしょ桐木君。私たち女子メンバーは、早く帰宅してチョコを用意したいのよ」


「集まったばかりなのにもう帰宅するのかい」


 純架は椅子に深く腰掛け、机に肘をついていた。そこへ立ったままの奈緒がお願いをしているという構図だ。他の同好会員は全て揃っており、どうやら俺が最後の一人だったらしい。


 奈緒が俺の到着に、こちらを見て笑顔を咲かせた。俺も相好を崩す。やっぱり可愛いな、奈緒は。彼女は俺に一つうなずくと、また純架に正対した。


「私は楼路君への本命チョコと、他の男子への義理チョコを用意しなくちゃいけないんだ。忙しいのよ、こっちは」


 その言葉に嘆息したのは藤原誠だ。


「えーっ、俺に対して本命チョコじゃないのか?」


 奈緒へちょっかい出すことを控え気味になった――実際昼休みは寄ってこなくなった――誠は、しかし彼女への懸想を打ち消そうとはしない。


 奈緒は誠に軽く頭を下げた。


「ごめんなさいね、藤原君。私からは義理チョコで我慢して」


 ふふふ、ざまあみろ誠。俺と奈緒の愛の絆は非常に固く、お前のハサミでは切り裂けないのだ。


 純架が肩をすくめて微笑した。


「いいよ、別に女子の楽しみを削ぐこともない。全員集合したばかりで何だけど、今日の同好会活動はもう切り上げるとしようか」


 奈緒が器用に指を鳴らした。


「さすが桐木君、話が分かる!」


 真菜が純架の側まで来てひざまずいた。彼の太ももに両手を重ねる。


「純架様、明日は楽しみにしていてくださいです。この台真菜が、あなたにふさわしい美味しいチョコを見繕ってきてあげますです」


 純架は真菜の両手を一つずつ剥がした。その顔はいかにも興味なさげだ。


「悪いけど、台さんでも他の誰であっても、本命チョコだけは受け取れないね。僕の楽しみは謎解きで、それを阻害する要素を作ることは願い下げなんだ。たとえば恋愛とか、考えただけでも身の毛がよだつよ。恥ずかしい劣情で正確な推理が出来なくなってしまったら、僕は生きている価値さえ失ってしまう。というわけだから台さん、了解してくれたまえ」


 真菜は純架の手を取って頬ずりした。


「純架様、つれないですです。本当は欲しいのですでしょう?」


 純架は言葉の通じない類人猿を目の前にしているかのようにしょげた。


「おい英二君、彼女に何とか言ってくれたまえ」


 英二は結城に肩をマッサージさせている。凝り性なのか?


「俺は結城からもらえるから他人事だな。自分で何とかしろ。なあ結城?」


 肘でぐりぐり穴をうがつように、結城はご主人様の僧帽筋そうぼうきんを揉み解していた。


「ふふっ、そうですね。私も明日は生まれて初めて本命チョコを差し上げますので、結構楽しみです」


「俺の味覚を満足させられるか、挑戦して来い、結城」


「はい、英二様」


 俺はすっかり恋人生活を満喫している二人にやや嫉妬した。


「何だ、のろけやがって。後は……辰野さん」


 それまで大人しくデジカメをいじくっていた日向が、俺に話を振られて背筋を伸ばした。俺は面白がって問いかける。


「辰野さんは誰にチョコをあげるんだ?」


「私、ですか」


 教室はしんとなった。純架が真菜の手を振りほどく物音だけが響く。


 真菜が諦めて純架から離れた。日向に薄ら笑いを向ける。


「辰野さんは、あたしから純架様を取ったりしないですですよね? どうなんですですか?」


 日向は少しむっとした。


「取る取らないって、桐木さんは物じゃないんですから」


 俺は小首を傾げた。


「そういえば純架って今まで本命チョコを貰ったことってあるのか? その美貌ならチョコをあげたいって女子が殺到してもおかしくないはずだけど……」


 純架は真菜が手出しをやめて、ほっとしたように両手の指をつき合わせた。


「残念というべきか幸運というべきか、僕は本命チョコを貰ったことはないよ。今の1年3組もそうだけど、僕の周りには僕の奇行癖を理解しない女子しか集まらないんだ。中学時代も義理チョコを数人からいただいただけさ。試みに義理チョコさえくれなかった女の子に、僕の何が悪いのか問うてみたんだ。その子はズバリ、『滅茶苦茶気持ち悪い』って、そう答えたよ」


 室内の誰もが納得の表情を浮かべていた。俺は何と言っていいか分からず、


「へえ、意外というか何というか……難しいところだな」


と、無難で後難の恐れがない返事をした。


 純架は口笛でも吹きたそうな気楽な顔だ。過去のことにはこだわらない性格がにじみ出ていた。


「まあさっきも言ったように、本命チョコはいらないね。飯田さんのくれる義理チョコでも楽しむとするよ」


 俺は日向を見た。心なしか、肩を落としたように感じた。


 奈緒が手を叩く。


「さあさあ、無駄話はおしまいおしまい! 帰ろう、皆! あ、男子は残ってても構わないから」


 そう一方的に述べると、彼女は女性メンバーを引き連れて部室から出て行った。英二へ断りを入れた結城も一緒なのには驚いた。みんな、何だかんだで明日を楽しみにしてるんだな。


 それから俺たち男子メンバーは、ああでもないこうでもないと、1年3組のバレンタインチョコレート戦争を面白がって議論した。噂好き・祭り好きの久川と昨夏肝試しから付き合い始めて、今微妙な距離感にある小枝さんの動向には、一見の価値ありと衆目が一致した。くだらない話は2時間余に渡り、喋り疲れた俺たちは、教室に鍵をかけてその場を後にした。

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