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019タカダサトシ事件03

 3階の連絡通路を、二人の男子生徒が背中を見せて逃走するところだった。あいにく一瞬だったので、その後ろ姿や髪型などはよく確認できない。彼らは旧校舎へ姿を消した。一方下の方から、誰だか知らないが、男のうめき声が呪詛(じゅそ)のように立ち上っている。


「行ってみよう」


 純架は面白げに、気づけばもう教室を出ていた。俺もあわてて後に続く。廊下を走り、程なく外の連絡通路に通じる出入り口に差しかかった。二人の生徒が去り誰もいなくなった戸外へ出る。


「この通路を使うのは入学以来初めてだね」


 純架は連絡通路の手すりに手を載せながら半ばまで歩いていった。そして階下を覗き込んだ。


「大変だ!」


 俺も同じように視線を投下する。制服姿の男子生徒が、両足を押さえて地べたをのた打ち回っていた。その顔は真っ赤に険しくゆがめられ、獣の怒声に近いうなり声を絶えずほとばしらせている。どちらの足も曲がってはいけない方向へ曲がっていた。折れているのは間違いない。


 純架は大急ぎで再び校内へ舞い戻った。


「あの二人の男子生徒が、彼を連絡通路から突き落としたんだ!」


 俺も遅れじと追いかける。急いで1階へ下り、連絡通路の真下へ飛び出した。落とされた男子生徒は苦悶にしわを寄せ、まだそこで転げ回っていた。こけしのような朴訥(ぼくとつ)とした顔だ。細い目は眼光が鋭く、まるで剥き身のナイフのように見える。(つや)やかな黒髪は短く刈られていた。


 純架はスマホで救急車を手配した。


「楼路君、君は先生を連れてきたまえ」


「分かった」


 俺はめったにない非常事態に気を動転させながら、ただ純架の指示に従った。




 救急車が被害者を運び去った後、俺は教師陣に質問攻めされた。あわれにも3階の高さから地面に突き落とされたのは、1年1組の古志慶介(こし・けいすけ)という生徒らしい。純架と俺は正直にありのままを話した。逃げ去った二人の生徒に関しては特に詰問(きつもん)されたが、知らないものは知らないのでそう答えるしかなかった。


「青柳先生の件といい今回の件といい、最近1組が熱いね」


 ようやく解放された帰り道、たこ焼き店で料理をつつきながら、純架はそう茶化した。俺はコーラをストローで飲む。


「古志慶介なら俺も知ってるぞ」


「ホントかい、楼路君」


「名前聞くまで思い出せなかったけどな」


 俺は記憶の戸棚を引っかき回し、彼のファイルを取り出した。


「俺の友達の岩井が言うには、古志は入学早々上級生に殴りかかり、地面にひれ伏させたとか噂のある、根っからの不良だ」


 純架は笑った。


「まるで君みたいだね」


「いや、俺はそれほど喧嘩は強くない。自分でも分かってる。ただ古志はその辺凄くて、腕っ節の強さでは一対一でかなう奴はいないらしい。まだ入学したばかりの一年生だっていうのに、早くも渋山台の番長になったとか」


「それは豪気(ごうき)だね」


 俺はたこ焼きを頬張(ほおば)った。


「それだけじゃない。岩井情報では、古志は最近頭角を現しつつある暴走族『銀影(ぎんえい)』に属しているそうだ。年齢的にまだ下っぱだけど、上から目をかけられてるらしい。校内では数人の仲間と話す以外孤立を守ってる」


 純架は関心を隠し切れない。


「暴走族はともかく、となると、犯人はあの逃げ去った二人に間違いないね。一対一じゃボコられるだけだけど、二対一なら頑張れば手すりの向こうへ古志君を投げ捨てられるかもしれない。結局あの二人は名乗り出なかったみたいだしね」


「そうだな」


「僕たち『探偵同好会』としては、あの二人の正体を突き止めたいところだね。彼らはなぜ古志君に危害を加えたのだろう? 高さからいったら殺してしまう可能性だってあったのに」


 俺は眉をひそめた。


「おいおい、テスト期間中に余計なことやってたら成績に響くぞ」


 純架は余裕ありげだ。


「何、勉強の合間をぬってやるよ。まあ……」


 純架は噴き出した。


「肝心の古志君が、自分を殺しかけた二人の生徒について口を割れば、それですぐ解決する話だよ。こんなものは遊びさ、遊び」




 翌朝、トーストをかじりながらテレビのニュースを眺めていると、昨日の『古志慶介転落』に関して触れていて驚いた。


『昨日午後2時頃、市内私立高校3階連絡通路から男子生徒が転落し、両足の骨を折る重傷を負いました。目撃者の話では二人組の生徒が現場から立ち去ったといい、現在警察は事件・事故の両面から捜査を進めています』


 結構おお事になっている。俺は食事を終え玄関を出ると、現れた純架に早速この話を振った。


 純架はあくびをしながら歩く。やや肌寒い、久しぶりの曇天(どんてん)だ。


「ニュースで言ってた『目撃者』は僕たちのことだろう。昨日僕らが見知った以上の情報は出なかったね。警察はまだ古志君を聴取してないのかな? 被害者なんだし、重体で意識不明ってわけでもないんだからそんなことはないはずだけど……」


 駅を降りて学校へ向かう道すがら、後ろから声をかけられた。


「桐木さん! 朱雀さん!」


 黒縁眼鏡のつるをつまみながらやってきたのは日向だった。テスト中だというのに彼女の象徴的なカメラを首から提げている。


「大ニュースですよ、大ニュース!」


 俺は先回りした。


「生徒の古志が落っこった事件だろ?」


 日向は大げさに仰天した。


「ええっ? もうご存知なんですか? ……まあ、私も今朝のテレビで知ったんですが」


 ふと何かに気づいたかのように日向が口元を押さえる。


「『コシ』? うちのクラスの古志さんですか? なんでそんなこと分かるんですか?」


 俺は自分たちが目撃者だとかいつまんで述べた。日向は唖然(あぜん)としている。


「そうだったんですね……」


「そこでだ、辰野さん」


 純架がお願いした。


「1組の人から色々聞きだして、古志君の人間関係について調べてくれないか? 3組の僕が動き回ってもいい情報は引き出せないと思うんだ」


 日向は張り切っている。


「分かりました! ……というか依頼されなくても、新聞部の一員として少し調査してみるつもりだったんです――事件か事故か、という部分を。お任せください」


「古志君についてあれこれ分かれば、彼に恨みを抱いていた人物も浮き上がってくるだろうし。あるいはそこから二人組も導き出せるかも知れない。頑張ってくれたまえ」


「はい!」




 中間テストの激闘が完全に終結し、戦い疲れた闘士たちはげんなりと、力尽きたかのような疲労困憊(ひろうこんぱい)の顔を並べていた。俺もその一人で、机に頬杖をついて奮戦を振り返っていた。よくもまあ徹夜したなあ。


 古志の件は3組担任宮古先生もホームルームで触れた。今は警察が捜査している、その結果次第で保護者に対する説明会も開く、とのことだった。マスコミが尋ねてきても答えないように、と釘も刺した。奈緒は相変わらず恋慕(れんぼ)の熱い視線を先生に投げかけているようだ。


 純架は帰宅の段になると、話に華を咲かせている他の生徒たちに目もくれず、急ぐように教室を抜け出ていった。


「待てよ、純架。俺も行く」


「私も」


 奈緒がついてきた。目指すは日向のいる1組だ。彼女は情報を収集できただろうか?


「無理ですよ、今日だけじゃ」


 日向は開口一番、気の毒そうにそう言って俺たちを見回した。


「皆休み時間は次のテストの準備で忙しいし。放課後は放課後で解放感に満ち満ちていて、とても何かを聞けるような状態じゃないし。もう少し時間をください」


 純架はこうなるのを予測していたようで、それほど残念がってもいなかった。ただそれでも不平をもらした。


「せっかく猛勉強が完結して、自由に動き回れると思ったのに……。しょうがないね。明日は休みだっけ?」


「はい」


「じゃ、次の登校日は明後日か。そのときはよろしく頼むよ」


「分かりました」


 純架はお腹をさすった。


「お腹も空いたし、『探偵同好会』全員で人気店の残飯でも漁りに行こうよ」


 絶対嫌だ。


「カラオケにしようぜ。むしゃくしゃが溜まってるからな」


 奈緒が微笑んだ。


「いいね。行こう」

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