182台真菜事件04
なつめはまさに、いきなり小石を投げつけられた善意の人っぽく、呆気に取られていた。それは俺の憤激に大いに冷水を浴びせ、ばつの悪さを感じさせる。こりゃ白っぽいぞ。
「ちょ、ちょっと。誰だいあんたら。台家親子って……。高校生っぽいけど、何の権利で私を尋問するのさ」
純架は丁寧にお辞儀した。
「少し上がらせてもらってよろしいですか? お時間は取らせません。その辺り、少し話すのに手こずりそうなので」
なつめは不服そうに俺たちを等分に眺めやっていたが、やがて寒さがこたえてきたのか、「じゃあ少しだけ」と応じて招き入れた。
俺たちは門山なつめの家の客人となった。そして渋山台高校の一年生で、『探偵同好会』の活動をしていること。この前の誘拐事件の解決に協力したこと。その誘拐事件の被害者・台真菜が『探偵同好会』に加入したこと。そして真菜が正体不明の女から事実を告げる電話をかけられたこと……
以上を、きめ細やかに、噛んで含めるように説明した。
なつめはすっかり聞き入っていた。俺たちに対する他人行儀が嘘のように消え、何なら若干の憎しみと親しさを同居させた顔つきになる。
「ふうん、あんたらが健作の逮捕に手を貸したってわけか。全く余計なことをしてくれたね。まあ私も計画を知らされたとき、上手くいくとは思わなかったけどさ」
出された温かいお茶を飲み、純架と俺は喉を湿らせた。暖房のついていない寒い部屋だった。
純架が改めて尋ねる。
「それで、電話をかけたのは……」
なつめは手をひらひらと振った。全てを理解して、わざわざ来た俺たちをあざ笑っているようだ。
「わたしゃそんな無駄なことしないよ。まあ、確かに真相を知ってて電話をかけそうな人間は私ぐらいしか考えられないけどね。でも、健作の逮捕は自業自得だと思ってるし、それで真菜ちゃんを恨んだりはしないよ。妊婦はそうでなくてもよそのことになんか構ってられないのさ」
彼女は正座しながら、突き出た腹を愛おしそうに撫でた。
「はっきり言うけど、電話は私じゃない。他の誰かさ。帰ってよそを当たるんだね、探偵少年君」
純架は俺にぼそりと呟いた。
「どうやら見込み違いだったようだね、楼路君。帰ろうか」
「そうだな」
俺たちは立ち上がり、非礼を詫びて心から頭を下げた。
「本当に申し訳ありませんでした。これで辞します。ご迷惑をおかけしました」
「分かりゃいいんだよ。じゃあね、気をつけて帰りな」
俺たちは居心地の悪いこの空間から早く外の空気を吸いたいと、逃げるように靴を履いた。
と、そのとき。
「ちょ、ちょっと待った!」
純架がいぶかしげに振り返る。
「何か?」
なつめの顔から薄ら笑いが消え、切迫した緊張が表れていた。
「じ、陣痛が……いたた、痛い。あ、赤ん坊が生まれそう!」
これには『探偵同好会』会長の純架も、相棒の俺も、気が動転してパニックに陥る。俺は履きかけた靴を放り捨て、なつめに駆け寄った。破水している。
「えっ、ま、マジですか?」
なつめは脂汗を浮かべて苦しそうに呼吸した。
「こんなことで嘘なんかつくかい。臨月だったんだよ。お、お願い。救急車を……!」
俺は純架を見る。彼は早速スマホで電話をかけていた。
「もしもし、大至急救急車をお願いします。妊婦が破水しました! 場所は……」
その数時間後。
なつめを収容した産婦人科を後に、俺と純架は帰宅の途に着いた。彼女は今も陣痛に苦しんでいる。その出産を見届けることは、今日のうちには叶わなかった。俺は闇深い街路を純架と共に歩く。奇妙な高揚感があった。
「まさか女の人が出産するのに出くわすとはな。無事産まれてくれることを願うしかないな」
純架も意見は一致していた。
「そうだね。とんでもない日曜日になったよ」
俺は述懐した。
「あのなつめさんの言うことはどうも真実っぽい気がするな。でもそれじゃあ、他に電話をかけそうな人っているか? 台さんが妾腹の子だって、知ってる人が他にいるか?」
純架はお手上げとばかりに後頭部で両手を組んだ。
「彼女じゃないとすると、容疑者は海のように膨れ上がるか、全くいなくなるか、どちらかだね。とても絞り切れないよ」
俺は今回の遠征自体に疑義を呈した。
「ま、今日のことは別に余計なお世話だったかな。台さんは事実を知ったわけだし、それでも立ち向かっていこうと決意したんだから。俺たちはそれを支えればいいわけで」
純架は白い息を吐き出し、身を縮こまらせた。
「そうだね。今頃台さんはご両親とどんな夜を過ごしているんだろうね。僕らはただ見守って、必要だと思えば助けて、仲間としての義務を果たすまでだよ」
その後深夜、俺は携帯電話の着信メロディに叩き起こされた。相手は純架だった。
「今僕のスマホに連絡があってね。なつめさんの子、無事産まれたそうだよ。3100グラムの元気な女の子らしい。良かったね、楼路君」
俺は眠い目を擦りながら苦笑した。
「誘拐犯・門山健作の娘か。苦労しそうだな」
翌月曜日。『探偵同好会』は特に事件がないため、今朝は通常時間での登校だった。俺はいつも通り、隣家の純架を起こしに行った。夜中に叩き起こされて、俺も純架もどちらも寝不足だった。
純架は全裸に赤ふんどし一丁という格好で、「いやーまいったまいった」と呟きながら出てきた。俺が黙っていると、「突っ込め突っ込め」とばかりに鳥肌の立つ胸を叩く。俺は仕方なしに言った。
「おい、制服はどうした」
「おっと、こりゃいかん」
純架は満面の笑顔であたふたと家に駆け戻っていった。
俺の貴重な時間を無駄にするな。
やがて、紺のブレザーの上にトレンチコートを羽織った純架が出てきた。その顔は今しがた成し遂げた奇行でご満悦だ。
「じゃ、行こうか、楼路君」
渋山台高校1年3組に到着するなり、先に待ち構えていた2組の真菜にかかってこられた。その表情は梅雨曇だ。
「聞いてくださいです純架様、朱雀さん!」
純架が興奮状態の彼女をなだめすかす。
「どうしたんだい、台さん」
真菜は愛する純架を前に、もう泣きそうだった。
「両親があの電話の内容を認めてくれたんですです! 敬治お父さんは、あたしの本当の父親ではない、って……。祐美お母さんと門山厚さんとの間に生まれたのがあたしだって……」
真菜の両目から涙が滂沱と流れ落ちる。それは顎をしたたって床に極小の水溜りを作った。純架は長く息を吐いた。
「そうか……。それで、お義父さんは何と?」
真菜は感極まって、腕でごしごし目元を拭った。
「たとえ血は繋がってなくとも、俺は真菜の父親だ、と……。とっても嬉しかったですです。家族皆で泣きましたです。純架様のアドバイス通りにして、本当に良かったですです」
俺と純架は顔を見合わせた。どうやら台家の問題は平和裏に解決したようだ。
真菜がにっこり微笑む。初めて見る、美しい表情だった。
「お願いですです純架様、朱雀さん。あたしが本当のお父さんに会いに行く際、一緒に来てくださいませんですか? お父さんから門山厚さんの居場所を聞き出しましたし、もう電話連絡で落ち合う場所を決めてありますです。でもそれは現在の親には内緒。今の両親と一緒に行く気にはなれないんですです。やっぱり、今まであたしのためとはいえ、嘘を重ねてきた二人ですですから……」




