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018タカダサトシ事件02

「二人とも職員室でこっぴどく(しか)られてる。皆川はともかく、青柳が生徒に手を出すなんてな。あのクールな青柳が、まさか、ねえ……」


 俺もそう思う。青柳先生は国語担当。中肉中背で、ややきつい眼光をしている。黒い髪の毛をオールバックにし、あごに無精髭(ぶしょうひげ)を生やしているのが特徴だ。見た限りぶっきらぼうだが、それは照れ屋な内面を隠すためのオブラートに過ぎない。それなりに生徒に愛情を抱いて教師をやっていたはずだ。なのに、彼が生徒とケンカだなんて……。


「ことがPTAにまでいったら面白いな。どうなるんだろう、この先」


 野次馬根性丸出しで、久川は無責任に面白がった。純架は組んだ両手を後頭部にそえた。




 放課後、日向が1年3組にやってきた。純架に約束を果たしてもらうためだ。しかし相手の姿を認めて先に話しかけたのは純架の方だった。


「やあ、待っていたよ辰野さん」


 俺と純架、奈緒、日向の『探偵同好会』全メンバーが一堂に会した。純架は身振りで日向に座るよう指示した。


「君のクラスである1年1組で、教師と生徒が取っ組み合ったんだってね。僕の話は後回しで、まずそれだけ聞かせてくれないか?」


「興味があるんですか?」


「いや、最近勉強ばっかりで疲れててね。何か面白そうな話題がないものかと退屈していたんだよ」


 純架は郷ひろみよろしく、ブレザーを脱ぎかけてやめる、を3回ほど繰り返した。ジャケットプレイだ。


 日向は無言であしらった。


「ではお話しましょう。私たちのクラスの担任は青柳龍先生で、皆川源五郎(みながわ・げんごろう)君は生徒の一人です。ちょうど現場に遭遇した加賀谷真奈美(かがや・まなみ)さん――私の友達です――の言うところによればこうです」


 日向はまるでニュースキャスターのように、よどみなくはっきり話す。


「昼休み早々、二人は校舎の旧館と新館をつなぐ、3階の連絡通路で会話していました。どうも青柳先生が皆川君を連れてきたらしく、まあ外は快晴でしたので、風に吹かれながら立ち話をしていました。ただそうした牧歌的な風景は、すぐ生じた異変によって殺伐(さつばつ)としてきたんです。普段あれほど冷静沈着で知られる青柳先生が、何と激高(げっこう)して皆川君の胸ぐらを掴んだんです。加賀谷さんはあまりよく聞き取れなかったそうですが、『ふざけるな』『自分のしたことが分かっているのか』といったことを青柳先生が怒鳴っているのが拾えたそうです」


 純架は未練がましくジャケットプレイを繰り返す。その風圧で日向の前髪がそよいだが、彼女は一切付き合わない。

 純架はあきらめたか、やや不機嫌に口を挟んだ。


「加賀谷さんはどこから見てたの?」


 日向は話に割り込まれても嫌な顔をせず答える。カラスの鳴き声が遠く響いた。


「連絡通路と校舎を繋ぐ出入り口です。加賀谷さんと華原亮二(かはら・りょうじ)君は、二人で昼食を食べる場所を探していて、事件に遭遇したらしいんです。……そして激怒した青柳先生は、顔をそらして半笑いだった皆川君の頬を張ったのです」


 俺は思わずうなった。


「ああ……」


 奈緒が軽く驚いたように口元を押さえる。


「叩いちゃったんだ、青柳先生」


 日向は辛そうにまつ毛を伏せた。


「殴られた皆川君は逆上し、青柳先生に掴みかかりました。二人がもみ合いになるところを別の生徒が目撃し、すぐ仲裁(ちゅうさい)に入りました。他の先生もやってきて、のどかな昼休みは一転、修羅場と化したのです」


 俺は疑問に感じた細部をやんわり指摘した。


「加賀谷さんと華原は見てただけか?」


「はい。怖くて怖くて、足がすくんで動けなかったそうです。華原君は普段から痩せこけていて、青柳先生と皆川君の間に入って分けることなど体力的に無理だったのでしょう。二人はただただその騒動を遠巻きに眺めていたそうです」


 純架は詳細な状況に自然、眉をしかめた。


「青柳先生のことは国語の授業でしか知らないけど、クールで抜け目ないところがある感じだったな。その青柳先生がぶち切れるなんて、よっぽどのことがあったんだろう。それが何かは分からないけれど。でも生徒に手を出しちゃまずいよ。昔なら体罰の一環と認められて素通りだっただろうけど、今は体罰自体がタブーだからね」


「はい。青柳先生と皆川君は校長室で厳重に取り調べられたそうです。皆川君はその後1年1組に戻ってきましたが、青柳先生は体調不良ということで帰ってきませんでした」


「こりゃ謹慎処分かな。しばらくの間自宅で待機、といったところか。ところでその皆川君、どんな感じの生徒なの?」


「眉毛がなく坊主頭です。いかつい顔で迫力は十分ですね。私の見受けたところでは街のチンピラといった様子です」


 脳裏にありありと形作られる人物像を参照し、俺はため息をついた。


「そりゃえらいのをビンタしちゃったな、青柳先生」


 純架は腕組みし、感心を露呈(ろてい)する。


「なるほどねえ。まあ学校だし色々あるよね。……報告ありがとう。面白かったよ。じゃ、今度は君が聞く番だ。ええと、何だっけ……僕の輝かしい奇行癖の数々についてだっけ?」


 日向は動じない。


「いえ、これまでの『探偵同好会』の活動についてです」


「何だ、つまらない」


 そうして俺たちは『血の涙』事件、『折れたチョーク』事件、『変わった客』事件の各詳細を話した。もちろん名前はぼかしてである。チョーク折りのくだりでは奈緒が可哀想なぐらい複雑な顔をしていた。日向にネタとして提供したのはさわり程度だったのだろう。まあしょうがない、自業自得(じごうじとく)だ。


 その数日後のことだった。いよいよ中間テストが始まり、俺は徹夜の勉強のせいで寝ぼけまなこになりながら、どうにか答案用紙に食らいついていった。


「ああ、これ覚えてたのに……」


 口の中でつぶやいて、頭をガリガリかく。シャーペンの先端が記すべき解答を求めて宙をさ迷った。


 結局俺は八割がたしか答えられず、タイムオーバーの鐘を聞いた。後ろから前へ、答案が伏せて回される。回収した教師が教室を去ると、生徒たちはひとまず今日の戦いが終わってほっとしたようにくつろいだ。高々と腕を伸ばすもの、机に突っ伏すもの、友達と早速問題について答え合わせするもの、さまざまである。


 横を見れば、純架は余裕の表情だ。俺は彼の元に行って話しかけた。


「お前、実は成績いいとか?」


 純架は答えを返さない。よくよく見ればうつろな目をしている。俺が純架の目の前で両手を打ち合わせると、純架は一瞬すくみあがり、それから激しくまばたきして俺を見上げた。


「ああ、楼路君か。あまりにテストが難しかったので失神してたところだよ」


 するなよ。


「純架、お前テストの出来はどうだった?」


 純架は両手を挙げた。


「お手上げだよ。正しく答えられたかどうか、ちょっと答え合わせしたい気分だね」


「よし、やっておくか」


 俺は純架の前の席に座り、問題のプリントを広げた……




 全てが終わったのは20分後だった。純架と俺はどうやら手痛い失敗をしていないようだ。ただ彼は時間配分の妙を会得しており、解答欄は全て埋め尽くしていた。


「この分なら僕の方が君より15点は高いね」


 丸とバツがせめぎ合って死闘を繰り広げる答案用紙。前者が優勢勝ちを収めたのは、俺ではなく純架のそれだった。


 俺はよりにもよって一番負けたくない相手に完敗を(きっ)し、軽く歯ぎしりした。


「明日は負けねえからな」


 開いた窓からの風が優しい、のどかな午後だ。教室にいるのは俺と純架だけだった。俺は鞄に問題用紙を突っ込んで立ち上がる。


「帰りどうする? 何か飯でも食うか?」


 純架もまた身を起こした。


「そうだね。この前駅近くに出来たたこ焼き店、まだ行ったことがないんだ。一緒にのぞいてみようよ」


 俺たちは空腹を抱えながら教室を出ようとした。


 そのときだった。


 男のものらしい悲鳴と、何か硬いもの同士がぶつかったような轟音が響いたのは。


「何だ?」


 俺は振り向いた。音は明らかに教室側から届いてきていた。


 純架はもう窓際へ飛びついていた。首から上を外に伸ばす。俺も好奇心がうずくまま同じことをした。

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