175年始の失踪事件09
理恵の母親は度量が大きいところを見せた。
「叱ろうかとも思いましたが、脳裏をよぎったのは夫の尚之さんの死です。人間はいつ死ぬか分かりません。尚之さんのように、突然心筋梗塞で亡くなる人もいます。だから私は理恵の自由意志を尊重したかった。未来が予測できない人間という生き物だからこそ、好きなことをして生きてほしい、そう願ったからです」
純架は1通目の手紙と2通目の手紙を交互に眺めている。何か発見でもあったのだろうか。奈緒が代わりに渚さんに尋ねた。
「じゃあ2回目の家出のときは?」
「たった1週間で、泣きながら戻ってきました。私はやはり何も言わず、ただ温かいご飯を食べさせ、風呂に入れ、清潔な布団で寝かしつけました。翌日から、理恵は塞ぎこんではいたものの、多少なりとも明るさを取り戻したようです。それが2ヶ月前の話でした」
純架はいきなり立ち上がった。渚さんに確認する。
「この2通の手紙、ちょっと拝借してよろしいですか」
「え? ええ、構いませんが……」
俺たちに首を巡らした。
「部室に帰ろう、二人とも。これはひょっとするとひょっとするかもしれない」
奈緒がぴんときたようだ。
「何か突き止めたのね?」
「分からない。理恵さんのスマホが必要だ。……福勝さん、お邪魔しました」
呆気に取られる渚さんを後に、俺たちは純架に引きずられるように辞去した。
渋山台高校旧棟3階1年5組――『探偵同好会』部室に戻ると、日向が真菜の頭を優しく撫でていた。真菜はされるがままで、ただひたすら泣きじゃくっている。
ハテナマークを浮かべる俺たちに、日向が笑った。
「桐木さんに謝りたいそうです。もうべたべたしたりしないから、嫌わないでほしい、とのことです」
真菜は彼女なりに反省したようだ。Uターンして、日向と会話して多少打ち解けたのだろうか。
「日向が『桐木さんは謎解き最優先の人だから、邪魔しちゃ悪いですよ』と教えてくれましたです。許してくださいです。純架様……」
純架は名状しがたい顔で、「気にしないで」とだけ答えた。
「それよりも今は電話だ、電話! 辰野さん、理恵さんのスマホを貸して」
「え? は、はい」
純架はもどかしく手にすると、早速タップしまくって何やら探す。やがて喜色を面上に施し、どこかに電話をかけた。興奮のためか寒さのためか、その頬は上気して赤い。やがて繋がったようで、ぼそぼそと聞き取れない声で何やら話す。
「……では、去年家出した福勝理恵さんを匿ったのは、あなただったんですね」
しばらくして通話を切った純架は、上ずった声で宣言した。
「田辺君と福勝さんの居場所が判明したよ。逃げられたらまずいから、『探偵同好会』フルメンバーに探偵の真島さんにも同行してもらって事にかかろう」
かくして『探偵同好会』一同は、翌日放課後、五つ離れた駅に集合した。私立探偵の真島も一緒だ。英二が半信半疑で純架を詰問する。
「本当に間違いないんだろうな? お前の言う場所に二人がいるってんだな?」
「九分九厘間違いないよ」
するめいかをしゃぶりながら言う。
食べ歩きするな。
純架はスマホの地図を参照しながら、とある一軒家に俺たちを導いた。そこは築10年そこそこの真新しい3階建てで、一階は吹き抜けの駐車場となっている。白黒のコントラストが鮮やかな壁面で、冬の陽光に大きいガラス窓が照り映えていた。
純架は頭を掻いた。
「やれやれ、これなら別に少人数で来ても良かったかな。出入り口は2階の玄関しかないんだからね」
車はないがスクーターが停まっていた。郵便受けの表札には『永峰』とある。ここに明雄と理恵がいるのだろうか……?
純架が目配せした。
「真島さん、菅野さん、二人は腕に覚えがあるから、万一の場合に備えて一階で待機していてください。それじゃ皆、行こうか」
階段を上り、ドアの前に立つ。全員が並べるほど廊下は広くなく、英二や奈緒は階段の中腹から見上げるばかりだ。純架がインターホンを押す。応答がないので二度試した。
やがて、若いがぶっきらぼうな女の声でいらえがあった。
「はい、どなたでしょうか」
「渋山台高校1年3組、桐木純架と申します。永峰七海さんですね?」
返ってきた声音は慎重だった。
「はい、そうですが……。渋山台の生徒さんが、うちに何か御用ですか?」
純架はインターホンにより口を近づけ、聞き間違いようのない大声で応じた。
「単刀直入に言いましょう、永峰さん。田辺明雄君と福勝理恵さんを匿っていらっしゃいますね?」
無形の槌矛で頭を殴打されでもしたのか、はっと息を飲む音がしたきり、静寂が流れた。しばしの後、震える声が漏れ出てくる。
「何の話ですか?」
純架は厳しく追及した。
「とぼけるのはやめていただきたい。理恵さんが僕らに、居所を示す手紙を送ってきているのです。これは理恵さんの意志です。だから『探偵同好会』の僕らがここに来ました。この家の出口はすっかり塞いでいて逃げられませんよ。観念して出てきてください」
沈黙。永峰七海はぐうの音も出ないようだった。純架がたたみ掛ける。
「それとも、警察に通報して大ごとにしますか?」
これには七海も少し気分を害したようだった。ますますぶっきらぼうに言う。
「……あの、時間ちょっといただけますか?」
「はい、二人と相談して構いませんよ」
「…………」
やり取りは終わった。俺は純架の一段下から尋ねた。
「おい、これで勘違いだったら洒落にならんぞ」
「いや、今の反応なら問題ない。二人はこの家にいる。外出していたら危なかったけど、それもどうやら日曜日が主で、平日は違うようだね」
3分ほどして、鍵が解錠される重い金属音がした後、玄関のドアが開いた。
「田辺……」
俺は思わず爪先立ちして、懐かしいその顔を凝視した。そこにはやつれた明雄と、この前その傍らにいたあの派手な女、それから太っちょの少女――これが永峰七海だろう――がいた。
ついに、ついに――俺たちは、捜し求めていた明雄を発見することができたのだ。俺は欣喜雀躍する心をなだめるのに必死だった。
明雄が俺に気づいて目を丸くする。
「あれ、楼路! 何でお前がここに?」
俺は少し得意になった。
「田辺、俺はこの純架の親友なんだ。お前を必死で捜してたんだぜ。この前からずっとな」
純架がくしゃみをした。
「お初にお目にかかります。僕は桐木純架。寒いし、外で待機している仲間をほっとくわけにもいかないので、中で話がしたいんですけど。よろしいですよね?」
かくしてそれほど広いとはいえない永峰家――中は清潔かつ整理整頓されていた――に、11人がぎゅうぎゅう詰めとなった。エアコンから舞い降りる暖気が心地よい。炬燵に入るものはなく、皆立ちっぱなしだった。
明雄がゆったりした部屋着で目をしばたたく。
「それにしても、よく俺たち二人が七海ん家に世話になってるって分かったな」




