174年始の失踪事件08
真島はコーヒーの香りを楽しみ、一口すする。
「では僕が小学校辺りまでさかのぼって、『園子』さんをアルバムから捜してみたいと思います。それでいいですね、英二様」
英二は即答した。
「頼む、真島」
結城が口添えした。
「特別手当を支給します。英二様の願いを叶えてください」
真島は機械めいた微笑を浮かべた。
「お任せください」
純架が対抗意識を燃やしたか、声を張った。
「僕らも『園子』さん探しだ。理恵さんのスマホで片っ端から当たっていこう」
奈緒が目を細めた。
「そうね。桐木君がね」
「やれやれ、やっぱりそうなるかな……」
更に数日が過ぎた。英二は一向成果を上げない真島に業を煮やしていた。一方純架もスマホの電話帳やメール履歴などから多数の人間とコンタクトを取ったが、ことごとく空振りだった。LINEグループも『園子』とやらの行方は誰も知らず、逆に問い返される始末だった。
純架は部室で天井を見上げた。ようやく全体の作業の3分の2が終わったところだった。手がかりは今のところ皆無である。ちなみに理恵はかけ放題に加入していたので、電話代で福勝渚さんに迷惑がかかることはないという。
「この調子じゃ打つ手なしだね。一体田辺明雄君と福勝理恵さんはどこにいるんだろう?」
真菜がすぐ側に椅子を寄せ、愛しの君の腕を抱きしめる。
「元気出してくださいです、純架様……」
純架の頬をペロリと舐めた。
その途端、もう我慢できないとばかり、日向が大きな音を立てて立ち上がった。
「台さん! いい加減にしてください!」
耐えに耐えてきた末の爆発だった。
「桐木さんが迷惑がっているじゃないですか! 恋人でもないのにベタベタ引っ付きまわって、周りがどう思っているか考えたことないんですか?」
真菜は最初日向を唖然と眺めていたが、やがて彼女を無視して純架に問いかけた。悲哀の色が両目に濃い。
「純架様、本当ですですか? あたしが腕を組んだり抱きついたりするの、迷惑なんですですか?」
純架は最大限傷つけないよう注意を払った。
「うん、まあ、『探偵同好会』の活動に支障が出るし、台さん自身も会に何も寄与していないわけだからね。僕から離れて、もっと捜査に本腰を入れてくれると助かるかな」
それを真正面からの否定と取ったか、真菜の両目が潤んだ。さほどの間も置かず大粒の涙が零れ落ち、床に一つ、また一つと染みを作った。
「純架様……酷いですです……」
心理的苦痛の発生源から逃れるように、真菜は純架から遠ざかった。やがて自分の鞄を引っ掴むと、目元を腕で拭いながら部室を飛び出す。あっという間の出来事だった。
「う、台さん……」
日向は自分の言葉が引き起こした衝撃的な展開に、さすがに心が痛んだらしい。だが奈緒はそんな彼女に同調しなかった。
「いいのよ、日向ちゃん。いずれこうしてはっきりさせないと切りがなかったんだから」
「そ、そうでしょうか……」
「そうでしょ、桐木君」
純架も自身の台詞を失敗と捉えていたようだが、さりとて覆水が盆に返るわけでもない。
「まあ、仕方ないね。彼女はこの際放っておこう。やるべきことはまだ残されているわけだし」
俺は挙手した。
「それなんだがな、純架。もう一回福勝家にお世話になるのはどうだ?」
「というと?」
「理恵さんの家での手がかりが本当にもうないのか、最終確認だけでもしておいた方がいいんじゃないかってことさ。何せ取っ掛かりが何もない現状だからな。それに……」
「それに?」
「お前も電話かけたりメール打ったり大変だろ。気晴らしも兼ねて外に出るのも、凝り固まった体にはいいだろうよ」
純架は突然フルボリュームで「すいっちょん! すいっちょん!」と咆哮した。
「バッタ目キリギリス科ウマオイ亜科のハヤシノウマオイの鳴き声だよ」
息を切らせながらそうのたまう。
何の脈絡もない豆知識だ。
「そうだね。気遣いありがとう、楼路君。それじゃもう一度行ってみようか」
奈緒が難しい顔をした。
「迷惑じゃないかしら」
「メンバーを厳選しよう。じゃ、楼路君と飯田さん一緒に来て。辰野さんには理恵さんのスマホを預けるから、残りの電話番号やメールアドレスに片っ端から連絡を取って、二人の行方や『園子』さんについて知らないか尋ねてみてくれたまえ」
日向がぶうたれた。
「私だけ留守番ですか?」
「台さんが戻ってくる可能性もあるからね、誰かが残ってないといけない。すぐに戻るつもりだから不安にならないで」
こうして俺たち――俺、純架、奈緒の三人――は、再び福勝さんのアパートを訪ねた。俺たちの顔に最初こそ喜色を浮かべた渚さんだったが、「進展なし」と知って大いに落ち込んだ。
純架は記憶のいいところを見せた。
「確か福勝さんは、前回『理恵の家出はこれで3回目』とおっしゃってましたよね。手紙が来たのは最後の、つまり現在の家出中だけだったんですか? 1回目と2回目は全く音沙汰がなかったんですか?」
すると渚さんは何かに気がついたらしく、「ああ」と手を叩き合わせた。
「そういえばありましたねえ。すっかり忘れてました。なぜ失念していたのか、自分を殴りたいぐらいです」
座布団から立ち上がり、たんすの奥を懸命に探し回る。そうして一通の封筒を取り出した。
「1回目の家出のときにうちに来た手紙です。2回目は送ってくれませんでした。どうしてかは分かりません。ただ、スマホはやっぱりどちらのときも置いていきました。理恵は、家出にスマホは必要ないと考えるようです」
「位置を知られたくなかったんでしょう」
純架は新たな手がかり――理恵が1回目の家出の際に母宛てに送った手紙を開いた。
『今回のこと、本当に深く、深く反省しています。岸辺から覗く海、遥か遠くに鳥が舞っています。振り仰いだ山、セミの鳴き声がうるさいくらいです。名前も場所も明かせませんが、今は友達の家を頼っています。どうか私を捜さないでください。一応、戻る気ではいますので……。――理恵より』。
純架は長く息を吐いた。
「ううん、1回目は帰宅するつもりだったんだ。となると、手紙のない2回目、戻る気がないと告げた3回目は本気だったってところかな。それにしても1通目といい2通目といい、何だか個性的な文面だね。理恵さんは国語の成績は良かったんですか?」
渚さんは自慢げに、嬉しそうに回顧した。
「はい、中学の頃は学年でも上位につけていました」
「そうですか……。それで、1回目と2回目の家出はそれぞれどれくらい経って戻ってきたんですか?」
渚さんは記憶が鮮明なのか、淀みなく答える。
「1回目はこの手紙が届いてから2週間後に帰ってきました。その前の期間とトータルすると全部で約3ヶ月ぐらいです」
奈緒が心持ち前かがみになった。
「で、どうなったんですか? 怒鳴り合いの大喧嘩とか……」
渚さんは苦笑した。
「いえ、うちではそんなことありません。私は何も聞かず、ただ黙って迎え入れました」
俺は思わず質問した。
「そりゃまた何で?」




