017タカダサトシ事件01
(五)『タカダサトシ』事件
連休も終わり、我らが渋山台高校は中間テストに向かってざわめきだす。放課後、俺は純架と奈緒を家に呼んでテスト範囲の勉強会を開いていた。事前に掃除したので室内は整頓されている。ちゃぶ台を囲み、俺たちは静かに教科書とノートを開いていた。
純架は勉強もそこそこに、俺の椅子に逆さに座って「宇宙飛行士!」とのたまっている。
この奇行野郎が……
「数学Aでいい点取って宮古先生にほめられるんだ」
奈緒は健気な願いを口にする。彼女が俺の気持ちに気づいた様子はない。俺は急に疲労を感じて休憩を取った。
一階のキッチンでは兄の賢が夕食の準備をしていた。カレーを煮込んでいる。いい匂いに反応して、俺の腹がはしたなく鳴った。
「どうする楼路。お客さんも夕食とっていくのか?」
「いや、いい。もうそろそろ帰らせる」
俺は冷蔵庫からよく冷えた紅茶の紙パックを取り出し、用意した三つのグラスに中身を注いだ。盆に載せ慎重に二階へ運ぶ。
戻ってみると俺の部屋は騒がしかった。純架がテレビをつけたらしい。大音量で番組の司会の声が流れ出ている。
「では次のお手紙。荒北市の小学六年生『夏目裕子』ちゃんから。『私はクラスでいじめられています……』」
俺は机にグラスを置きながら画面を観た。安っぽいスタジオに設置されたテーブルで、司会の男が手紙を読んでいる。女子アナらしき数名が相槌を打っていた。ネームプレートで司会の男が「瀬川真一」という名前だと分かる。
純架が俺に尋ねた。
「これ、何て番組だい?」
俺は自身の記憶巣をつついた。
「確か『僕ノート』だったっけかな。この地元局がいじめ撲滅キャンペーンとして10年ぐらい前に始めたんだ」
「詳しいね」
「昔観てたからな。そのときは違う司会者だったけど」
「途中で交代したんだ」
「ああ。名前は忘れたけど、確か暴力事件を起こして降板したはずだ」
「そりゃひどいね。というか、何となく新聞で読んだことある気がするよ」
純架はリモコンのボタンを押して音量を下げた。奈緒が「いただきます」と頭を下げ、口元でグラスを傾ける。
「いじめなんてする人、絶対好きになんかならない」
純架はうなずいた。
「そうだね」
俺は少し言ってみた。
「いじめって、いじめられる側にも問題あるんじゃねえの?」
純架と奈緒が冷たい目線で俺を串刺しにした。
「最悪だね楼路君。……じゃあ例えば、僕が通りすがりにいきなり君の顔面を殴りつけたとしよう。どう思う?」
「むかつくな」
「だよね。それで僕が言い訳する。『楼路君の顔が不細工で、正視にたえられなかったのでついつい殴ってしまった』。どうだい?」
「ふざけんなって話だ」
純架は俺を指差した。
「それだよ、楼路君。いじめというのはつまりそういうことだ。100パーセント加害者が悪いんだよ。言い訳は効かないんだ」
俺はぐうの音も出なかった。はぐらかすようにテレビに見入る。瀬川が『夏目裕子』の手紙に応えていた。どことなくうさんくさい笑顔だ。やたら日焼けしていて、むき出した歯が真っ白で並びがいい。
「……どうしても辛いときは、学校に行かない選択肢もあるんだってこと、覚えておいてね。大丈夫、いじめっ子以外は全員君の味方だ。君は一人じゃないんだ……」
翌日、俺が純架と共に登校すると、いきなりフラッシュを焚かれた。
「何だ?」
どうやらカメラで撮影されたらしい。閃光の影が視界で躍る中見てみれば、黒縁眼鏡にショートカットの少女がこちらにレンズを向けていた。
「桐木さん、いただきました!」
純架は目をしばたたいた。
「誰だい君は」
女はデジタルカメラを下ろした。黒目がちの瞳、小高い鼻がすっきりとした印象を見るものに与える。
「私は1年1組の辰野日向と申します。失礼ながら桐木さんのオフショット、どうしても一枚欲しかったので無断で撮らせていただきました。すみません」
どうやらこの娘――日向の狙いは純架らしい。純架は鷹揚だった。
「一枚といわず二枚でも三枚でも撮りたまえ。ひょっとしたら僕が霊魂を吐き出す瞬間をキャッチできるかもしれないぞ」
死ぬのかよ。
「はい! ありがとうございます!」
俺は真面目そうな日向を眺めた。奈緒と違ってスカートが長く、膝を隠している。紅色に輝くカメラは高級そうで、彼女は我が子のように大事に扱っていた。
純架の写真を撮りたがる女子は多い。時には2年、3年の先輩まで撮影にやってくる。皆純架の女性のような艶やかな容姿に惹かれ、スマホの壁紙にでも使うつもりか、写真を獲得しようとするのだ。純架はそうしたファンにあまり大した関心も見せず、好きに撮らせている。もし彼女らが賢明にも純架の奇行癖に気づけば、即行携帯から削除するに違いない。
俺は日向もそうした人間だと思っていた。だから彼女の次の言葉は意表をついた。
「私、桐木さんの記事が書きたいんです!」
「記事?」
純架が初めて興味を引かれたような声を出した。
「僕の記事って……。辰野さん、もしかして新聞部かい?」
日向は元気よく答える。
「はい! 毎月発行している『渋山台高校生徒新聞』の制作に携わっています」
俺は首をひねった。
「何でまた純架の記事なんか? 『渋山台高校のナンバー1美男子』とかか?」
「いいえ。『血の涙』事件、『折れたチョーク』事件、『変わった客』事件を解決した、『探偵同好会』の会長としての手腕について聞きたいんです」
俺は足を踏み直した。
「何でそのことを知ってる? 純架は極々内密に処理したはずだぞ」
「奈緒さんにうかがったんです。彼女と私は中学時代からの友達で、私がネタを探していると聞いた奈緒さんは、親切にも桐木さんのことを教えてくださいました」
奈緒って結構お喋りなんだな。まあ、秘密にしていたわけでもなかったし。
「どうでしょう、桐木さん?」
純架はじろりと日向を見た。
「条件がある。僕らの『探偵同好会』に参加してくれないか? 新聞部と掛け持ちで。そうしたら何でも答えてあげるよ」
日向には悪い条件でもなかったらしい。彼女は見る見る喜色を頬にのぼせた。
「ありがとうございます! では私、『探偵同好会』に入らせていただきますね」
まあ、事件がなければ帰宅部同然だからな、うちの同好会。その辺も奈緒に聞いていて、あまり苦にもしなかったのだろう。
純架は手を差し出した。
「交渉成立だね、辰野さん。じゃ、今日の放課後にでも時間を取ろう」
日向が握り返す。
「はい!」
こうして我ら『探偵同好会』は、四人目の会員――辰野日向を迎えることとなった。
昼休みの終わり頃、異変は唐突に起きた。
「青柳と皆川が喧嘩したぞ!」
各々割と静かに昼食をしたためていた1年3組へ、その速報を持ってきたのは、噂好き・祭り好きで知られる久川だった。
さすがに俺もこれにはびっくりして、持っていた焼きそばパンを危うく落としそうになった。
青柳と皆川。生徒同士の騒擾ではない。青柳は青柳龍、1年1組の担任だ。一方皆川は誰か知らないが、多分生徒だろう。そんな名前の教師はいないからだ。となると、これは教師と生徒の喧嘩ということになる。
純架は唐揚げを頬張った。
「それでどうなったんだい?」




