158大晦日の忘年会事件03
純架はガスコンロを止めて、後は冷却を待つばかりの鍋を放置した。
「桐木邸にいたのは僕と楼路君を含めて7名だ。この内誰かが斉藤君のG-SHOCKを盗んだことになる。僕は当然違うし、斉藤君本人も違う。すると後は5名だ」
俺は憤慨した。
「おいおい、この前のクリスマスパーティーのとき、俺は真っ先に犯人候補から外されただろ。今回に限って、何で俺は含まれたままなんだ?」
自分の所属する同好会の会長から疑われたんじゃ、俺も立つ瀬がないというものだ。純架は冷たく突き放してきた。
「君はこの家をいったん出ている。僕と一緒だったとはいえね。君が時計を持ち出して、君の家に隠したと考えられなくもない。後日の換金が目当てだったとすれば動機も成り立つ。まあ、僕もこの説を信じちゃいないけど、疑念を捨て去る有力な反証もないし……」
俺は呆れてものが言えなかった。しばらくして腰に両手を当てる。
「お前なあ……。まあいいや。俺は犯人じゃないし、勝手に疑ってればいいさ」
「悪いね」
愛は不満たらたらだ。自分の兄をきっと睨みつける。
「小生が好きな人の時計を盗むっていうの、お兄ちゃん?」
純架は真っ向から視線をぶつけた。引く気はなさそうだ。
「愛君は独占欲が強いからね。ありえなくもない。実際過去には、先生のチョークを盗んで持ち帰る、変わった女の子もいたからね」
奈緒のことか。もう許してやれよ。
愛は怨念を爆発させた。
「何よこの朴念仁! いくらなんでもそんな卑劣な真似はしないわよ!」
将太さんは坊主頭をがりがり掻いた。
「純架、わしや玲奈も疑っておるのか?」
純架は容赦がなかった。
「正直あんまり疑っていないよ、もちろんね。ただ酒に酔って常の平衡感覚が薄れている場合もある。それによって万が一、ということもあるし」
お袋が純架に抗議した。さすがに腹立たしいらしい。
「あら純架君、それじゃ私も疑ってるの?」
純架は苦しそうに答えた。
「ごめんなさい。母親一人で子育てしていて、生活に困窮している場合も考えられます。いくら別れた旦那さんから養育費が送られてきているといってもね。これも酒に酔って、目がくらんだかもしれない」
「私、純架君と愛ちゃんにお年玉あげたわよね? それが苦しい台所事情を抱えている者の行為に見える?」
「あげたお年玉の分を補填しようとしたのかも知れません」
「まあ、酷いこと」
俺たちはいつの間にか始まった紅白歌合戦に見向きもしなかった。
「それで純架、この5人の中に犯人がいるとして、どうやって口を割らせるんだ? どこに腕時計があるか、いかにして喋らせる? 方法がないぞ。ことこうなった以上、犯人だって意地でもG-SHOCKを持ち帰るつもりだろうし。それともまた蓋然性で推理といくか?」
純架は明快に首を振った。
「いや、ある人の力を借りる」
「ある人?」
「ちょっと電話する」
純架は自分のスマホをポケットから取り出すと、「乾杯!」と叫びながら、いきなり全力でじゅうたんに投げつけた。表面に消しようがない亀裂が走る。
「ああっ、割れてしまった!」
馬鹿か?
純架は何事もなかったかのように、まだ動作するらしい携帯電話をタップした。部屋の隅に移動し、何やら通話している。それは5分ほどで終了した。
純架はスマホをポケットにしまい、俺に話しかけてきた。
「楼路君、君は覚えているよね、光井欣也さんのことを」
ええと、誰だっけ――ああ、思い出した。
「『変わった客』事件の主役だった人だろ? 元刑事の」
純架は首肯し、スマホの入っている箇所を叩いた。
「実はこの前の学園祭のときに電話番号を交換してね。以降、ちょくちょく連絡を取っていたんだ。怖い夢を見た話とか、面白い夢を見た話とか……」
光井さんもさぞかし迷惑だったことだろう。
「それで光井さんの家がここから近いこと、犬を飼っていることを知ったんだよ」
「犬? 犬がどうしたんだ?」
純架は黒いダッフルコートに袖を通した。その顔こそ猟犬だ。
「ちょっとひとっ走り行ってくる。斉藤君」
大輔は眼鏡をかけ直している。
「はい!」
「5人を見張ってて。おかしな動きをしないか、念のためにね。他の5人も……」
一渡り視線をくべた。
「お互いでお互いをチェックするんだ。犯人が僕がいない隙に何かやらかすかもしれないからね。それじゃ、行ってくる。何、10分ほどで戻ってくるよ」
そうして純架はこの家を後にした。残されたのは、疑心暗鬼に囚われた6人の人物。一同は悄然として、純架の帰宅を待った。
愛が頬を膨らませる。
「絶対おかしいわよ。何で小生が疑われなきゃならないのよ。大輔君の腕時計なんて、盗まなくたっていつでも見せてもらえるのに……。ねえ、大輔君」
「う、うん。まあね」
大輔の煮えきらぬ態度に、愛が業を煮やした。
「何よその反応! 大輔君も小生を疑ってるの?」
大輔はたじたじだ。
「純架さんがああ言ってるから仕方ないよ。ここは大人しく待とう」
「何よそれ」
純架の親父さんが手酌でひと飲みした。
「やれやれ、早くしないとラーメンが食えんぞ」
そういう場合だろうか。お袋が賛同する。
「そうですね、困りました」
玲奈さんが液晶テレビのボリュームを上げる。
「…………」
この人、ゴーグルを着けたまま外さない。タモリのサングラスみたいなものなのだろうか。
それにしても、これほど長く感じた10分はかつてない。6人は全員、疑われるのが嫌で嫌でたまらなくて、部屋から一歩も出ず、トイレさえ我慢した。
聞いたこともないバンドの初めて耳にする曲が室内に響く。早く帰って来い、純架。現状を打破してくれ……
そのとき、ドアが開く音がした。
「帰ってきたな」
俺のつぶやきに皆がほっと一息つく。しかし、純架は何をしているのか、玄関でしばらくとどまったままだった。
「何してるんだ? ちょっと見に行こうか……」
愛が立ち上がろうとする俺の袖を引っ張った。その目に強い光が宿っている。
「駄目よ、楼路さん。ここで待つの」
やがて、ようやく、純架が部屋に入ってきた。
ブラックとタンの毛色の大型犬を連れて……
「お待たせ」
将太さんが吃驚して身を起こし、ガラス戸のカーテンまで後退した。
「おいおい純架、何だその犬は?」
「元警察犬のジャーマン・シェパードさ。退任したのを光井さんが引き取っててね。借りてきたんだ」
「よく分からんが、失礼はなかっただろうな、大晦日の夜に」
「光井さんは息子夫婦と楽しく夕食をやっていて、正直気が引けたけどね。事情を話すと喜んで貸してくれたよ。この犬も予定外の散歩で嬉しがってるみたいだ」
不意に純架の親父さんの眼光が鋭くなった。
「おい純架、わしのサンダル・コレクションを踏ませたりはしなかったろうな。ちゃんとその犬の足は拭いたんだろうな」
「当然、玄関できっちりぬぐったよ」
だから少し手間取っていたのか。
「さあジャッキー、斉藤君の腕を嗅ぐんだ」
俺は首を傾げた。
「ジャッキー?」
「僕がたった今名付けた、この犬の名前だよ」
勝手に名付けるな。
大輔は恐る恐る手を差し出した。
「手首でいいんですか?」
「うん。犬の嗅覚は人間の5000倍もあるからね、すぐ覚えて探し出す」




