157大晦日の忘年会事件02
大輔は慌てて返事をした。
「は、はい。よろしくお願いします。……あなたが桐木君のお兄さん、純架さんですよね?」
純架はまぶたを開閉した。
「あれ、僕のこと知ってるのかい?」
「桐木君のスマホの写真でお顔は拝見してました」
「ああ、なるほど」
すっかり安心しきった親父さんは、大輔の手首を掴んで引っ張った。
「ここは寒い。まあとにかく上がって上がって。今夜は楽しくやりましょう」
かくして純架家4名に、俺、俺のお袋、大輔の3名を加えた総勢7人の忘年会が始まった。ファンヒーターで暖まった室内で大き目の炬燵に入り、鍋を囲む。
「これ、おみやげです」
俺のお袋の美津子が差し出したのは、高級日本酒だった。大人3名が飲めばあっという間になくなるだろう。
「ありがとうございます、朱雀さん」
将太さんが応対する。玲奈さんは気が利いていて、料理の他にワインも用意していた。家がすぐ隣ということで、お袋は酔っ払うまで飲む気らしかった。
40インチのテレビではNHKが映っている。紅白までまだ時間があるということもあり、誰も観ていなかった。
俺は用意してもらったコーラを飲みながら、親睦を深めるべく、大輔に語りかけた。実は彼の手首に巻かれている腕時計も気になったのだ。
「それ、カシオのG-SHOCKのGスチールじゃん。高かっただろ」
人気の乱高下が激しいシリーズの中、まだ新しいそのモデルは雑誌で見たことがあった。大輔がよくぞ気がついてくれたとばかりに語り出す。
「お目が高い。安い通販でも2万円以上かかりました。誕生日に親から買ってもらって、以後大切にしています」
あまり腕時計に興味がないと公言していた純架だったが、その値段にはびっくりしたらしい。
「大切な時計に鍋の汁でもかかったら大変だ。外してどこか遠くに置いておきたまえ」
大輔が目を輝かせた。
「はい! そうします」
やがて軍装の玲奈さんが、鍋掴みを両手にはめて、大きな鍋を運んできた。楽しい食事の始まりだった。
満杯だった鶏塩ちゃんこ鍋は、あっという間にその中身を減らしていった。酒が回ってきたのか、ろれつが怪しい将太さんが豪快に笑う。
「それにしても玲奈の料理は絶品だな。さあさあ、食べなさい食べなさい。この後は年越しの締めのラーメンが控えているからね」
そばじゃないんだ。俺は鶏もも肉を頬張りながら、純架、愛、大輔とくだらない話で盛り上がった。
純架がしみじみ話す。
「そろそろ僕も楼路君も、文系か理系か進路を決断しないとね。何せ僕らは馬鹿だからね」
「そうだな。この前の期末テストでどれだけ点を取れてたかで最終決断しようかな」
大輔が目を丸くした。黒縁眼鏡は熱気で曇るため側に置いている。
「えっ、純架さんって勉強不得意なんですか?」
純架はキャベツを噛み砕く。
「残念ながらね。雑学はわりと詳しいんだけど、勉学に反映される類のものじゃないしね」
大輔は純架の顔を見つめる。無垢な瞳だ。
「素直なんですね」
愛が微笑んだ。
「大輔に見せ付けてるのよ。こうなっちゃいけないよ、ってね」
俺は同意した。
「そうそう、勉強は早く取り組むに越したことはないぞ。俺らがいい見本だ」
俺と純架はげらげら笑った。大輔はしかし、真剣な顔だ。
「アドバイス、ありがとうございます。心に留めておきます」
そこでお袋から肩を叩かれた。酒臭い息を吐きかけられる。
「ねえ楼路、お酒が切れちゃった。うちにまだ日本酒が残ってたはずよ。取りに行ってきてくれない?」
その両目は潤み、口調も態度も泥酔一歩手前だ。俺は長く息を吐いた。
「自分で行けばいいのに……」
お袋は息子の俺にからんでくる。
「あら、こんなに酔った人間を一人で行かせていいと思ってんの? そんな子に育てた覚えはないわよ、私」
お袋の酒癖の悪さは祖父母譲りだ。こうなっては断りづらい。
「はいはい、分かったよ」
結局あっさり白旗を揚げて、俺は炬燵から外に出た。鍋に投入された餅を眺めていた純架が、俺の動きに敏感に反応した。
「トイレかい?」
「違う。俺の家行って酒を探してくる」
「なら僕も行こう」
純架の親父さんが嬉々として餅を頬張る。「熱い、熱い」とのたまい、口の中で獲物を転がした。
純架のお袋さんは締めのラーメンでも取りに行ったか、キッチンへ姿を消した。
愛は大輔とイチャイチャしている。腕にまとわりつく彼女を、大輔は振り払うとも密着しようともしなかった。
俺と純架は彼らを残し、いったん玄関から外に出た。たちまち寒波が肌を切り刻んでくる。純架は身を縮めた。
「寒いね。さすがは大晦日だ」
「お前も残ってりゃ良かったのに」
俺の家の前に辿り着く。
「楼路君一人に寂しい思いをさせるわけにはいかないからね。でもまあ、とりあえず用事は手短に済ませよう」
俺は真っ暗な屋内に入ると、スイッチを入れて明かりを点けた。家は隣同士だが、中身はまるで違う。当たり前だが。
俺たちはキッチンの棚を片っ端から開いた。程なく一升瓶が二本見つかる。
「あったあった、これだこれ。よし、戻るぞ純架。締めのラーメンだラーメン」
俺たちは酒をそれぞれ一本ずつ持つと、戸締りを点検してから家を出た。しっかり施錠し、純架邸に舞い戻る。
純架がドアを開けて中に入り、大声を出した。
「取ってきましたよ、日本酒……」
だが、炬燵部屋には異常な風景が広がっていた。全員がその中を這いずり回っていたのだ。しかも、極めて真剣な表情で。
「どうしたんだい? 何か探し物?」
そうか、探し物か。ならこの光景も納得がいく。大輔が泣き出しそうな声で答えた。
「私のG-SHOCKがないんです。どこを探しても、影さえも……」
俺は息を呑んだ。
「何だって? 盗まれたっていうのか?」
大輔は両膝立ちで天井を仰ぐ。途方に暮れた、という様子だった。
「分かりません。ただ、脱いだ上着の内ポケットに入れておいたはずなのに、いつの間にかなくなっていたんです。確かにしまったのに」
純架は渋い顔をした。
「それを盗まれたっていうんだよ。間違いないんだね?」
「はい、確かに消えています」
楽しい忘年会の席で突如発生した窃盗事件。純架の両親も、俺のお袋も、いっぺんに酔いが醒めたらしく、素面の顔をしていた。
純架の両目が見る見る光輝を放ち始める。
「これは面白くなってきたね、楼路君。『探偵同好会』の血が騒ぐよ」
大輔は睫毛を叩き合わせた。
「『探偵同好会』? 何ですか、それは?」
純架は意外そうに彼へと首をめぐらした。
「あれ、愛君から聞いていないかい? 僕はこの楼路君や他のメンバー、計6名で、そういう同好会を結成しているんだ。渋山台高校でね。主に謎解きや事件解決を活動内容とする」
大輔は心底驚いているようだった。
「……知りませんでした。そうだったんですか」




