156大晦日の忘年会事件01
(三)『大晦日の忘年会』事件
年末も押し迫り、俺にしては珍しく、冬休みの宿題を早々と終わらせた。年の瀬はテレビで豪華絢爛なスペシャル番組が放送されているが、その誘惑を断ち切っての快挙だ。最後の一問を解いたときには、解放感でそのまま冬眠してしまいそうだった。
このところ続いていた暴風が止み、久しぶりの静かな朝。俺は買い物にでも出かけようかと、薄っぺらい財布と睨めっこしていた。そんなときだった。純架から電話が掛かってきたのは。
「楼路君、いるかい?」
いるから電話に出ている。間抜けにも程がある問いかけだった。
「実は大晦日、楼路君と君のお母さんを招いて忘年会を開こうと思ってるんだ、我が家でね。どうだい? もしかして、もうスケジュールは決まってしまったかね?」
特に予定はない。あるとすれば、カップ麺のそばを二人ですする程度だ。
「いや、ないぜ。それにしてもありがたい招待だな。お前の発案か?」
「ううん、父さんのアイデアさ。僕が前に楼路君家の離婚話を伝えたら、たいそう心配していてね。賑やかに年越しといこうじゃないかって、ついさっき提案してきたんだ」
そうか、気にかけちまったか。確か純架の親父さんは桐木将太さんとかいって、サンダル収集癖が物凄い人だったっけ。前に一度会ったことがある。ふうん、優しい一面もあるんだな。
「そうか。一応お袋にも相談しておくよ。ただ、99パーセント参加するって伝えておいてくれ。お袋も仕事休みだからさ、問題ないと思う」
「じゃあそうするよ。楽しみにしてるよ、楼路君の隠し芸・全裸盆踊りをね」
んなもんやったことねえよ。
かくして師走の末日の夕方、俺とお袋はみやげを持って隣宅・桐木邸を訪問した。
「ごめんください」
インターホンのチャイムにドアを開けて出てきたのは、ゴーグルに迷彩服姿の金髪の女。純架の母、齢34歳の桐木玲奈だ。相変わらずスタイル抜群で、ガラスの奥にはダイヤのような瞳が見え隠れしている。黒光りする寒々しい小銃(偽物)を肩から提げていた。
お袋は初めて会うわけでもないが、やはりどうにも慣れないらしい。若干気後れしていた。
「お久しぶりです。今夜はお招きいただきありがとうございます」
「…………」
純架の母は身振り手振りで上がるよう指示してきた。俺は今までこの人が喋るところを見た事がない。
俺たちはサンダルだらけの玄関にお邪魔した。そこへちょうどこの家の当主・桐木将太さんと純架がやってきた。親父さんは達磨のような顔と体格で、太鼓腹に短足。派手な銀色の作務衣を着て、羽根付きのサンダルを見せびらかすように履いていた。くわえ煙草から紫煙をくゆらせている。歳は40歳ぐらいだ。
「ああ、これはこれは、ようこそお越しくださいました。こら玲奈、またハンドサインだけで応対して……。すみませんね、二人とも」
親父さんは妻の玲奈さんの頭をチョップした。純架は紫のカーディガンに茶色のズボンという格好だ。
「いらっしゃい、お二方。今宵は存分に楽しんでいってくれたまえ」
お袋が微笑む。
「いつもどおり、綺麗な顔ね、純架君」
「ありがとうございます」
純架の親父さんはしきりと恐縮している。
「ちょっと私の妻は変わり者でしてね。でも料理の腕は絶品ですよ。さあさあ、上がって上がって。ただし……」
その目が用心深げに細くなる。
「サンダルを踏んづけたら承知しませんからね」
そこへ最後の桐木家住人・桐木愛がやってきた。兄とよく似た美少女で、丸い瞳、お茶目な鼻、ませた唇にまだあどけなさが残る。髪は黒いセミロング。手足は細く、胸もない。渋山台中学2年生の14歳だ。俺に振られたことを根に持っている風だったが……
「おば様、こんばんは」
「愛ちゃんも純架君に似て可愛いわよ。これ、二人にちょっと早いけどお年玉」
愛の顔がぱっと花咲いた。
「わあ、ありがとうございます!」
純架も袋を受け取ってご満悦だ。
「恩に切ります!」
俺はお袋の肘をつついた。
「おいおい、二人を甘やかすなよ」
お袋は微苦笑した。
「いいじゃない、いつもあんたがお世話になってる相手でしょ」
俺は溜め息をついた。
「まあそうだけど……」
愛がやや嫌みったらしくつぶやいた。
「楼路さんは小生のこと嫌いだもんね」
「そんなことないよ。何だ、まだ引きずってんのか?」
愛は攻撃的な態度を崩さない。
「その後、飯田奈緒さんとはどうなってるの?」
俺は自然と自分の頬を撫でていた。誇らしくなって胸を張る。
「順調だけど」
愛はどういうわけだかせせら笑った。
「ふふん、私だって順調だもんね」
一同の視線が愛に向けられた。純架が刹那の沈黙を破る。
「愛君、交際相手がいるのかい?」
愛は自信ありげに回答した。
「うん、そういうこと」
これに激高したのは彼女の父・将太さんだ。カンカンになって怒っている。
「いかん! いかんぞ、愛! まだ中学2年生で、男と交際だなんてわしは許さんぞ!」
愛の肩を掴もうとしたが、『戦塵拳』の達人である愛は、するりとその手をかわした。
「実は彼氏、今夜の忘年会に呼んであるんだ。もうじき来る頃よ。ふふ、いい人なんだから」
純架は困ったように俺を見た。俺は首を振った。何にせよ、失恋から立ち直って新たな恋を見つけ出したのは歓迎すべきことだ。親父さんは激怒しているが、ことは彼女の問題である。自由意志に任せるしかないのが道理というものだった。
そこでチャイムが鳴った。
「来おったな。どれ、どんな奴かわしがこの目で確かめてやる」
「大丈夫、まともな人だから」
俺たちはドアを開け、ぞろぞろと外に出た。空は紫と黒の中間色で塗りたくられている。気がめいってくる寒さの中、インターホンの前に立っていたのは、一人の少年だった。黄土色のコートをまとい、黒縁眼鏡の奥に睫毛の長い黒い瞳を持っている。鼻は筋が通っていて、小さな口まで直線を辿っていた。頬はこけて痩せている。総じて純朴そうだった。
彼は俺たちを見るや、勢いよく頭を下げた。
「渋山台中学2年C組の斉藤大輔です。皆さん、初めまして」
礼儀正しい一面を披露され、純架の親父さんは振り上げた拳の行き場を失っていた。何だ、良さそうな子じゃないか。俺は心の中で、愛の選別眼を高く評価した。まあ、それは彼女が最初俺を選んでいたということを賞賛する、エゴのようなものも混じっていたけれど。
愛がどうだと言わんばかり、生みの親を一瞥した。大輔に歩み寄る。
「ね、大輔君。小生と交際してるのよね」
大輔はしかし、両手で彼女の威勢を押しとどめた。
「いや、桐木君、前にも言ったろ? まずは友達からだって」
親父さんは安堵して相好を崩し、愛は途端に仏頂面を作った。
「何よ、交際には違いないじゃない」
純架は可笑しそうに笑った。
「やれやれ、愛君が一方的に迫ってるだけかい。でも忘年会に来るぐらいだから、それなりに好意は持っているんだろう。よろしく、斉藤君」




