147温泉のメッセージ事件01
(一)『温泉のメッセージ』事件
白く化粧された山脈を至近に見晴るかし、俺はぬくい車内で大あくびをした。
俺たち『探偵同好会』一同は、会長の桐木純架が町内会のくじ引き大会で当てた一等――山奥の秘湯巡りツアー旅行券――のおかげで、今こうして最初の温泉に向かっている途中なのだ。何でも初めは『茹蛸温泉』という名の旅館で、創業100年の老舗宿らしい。
「ちょっと揺れますからご注意くださいね」
バスガイドのちょっと年のいった女性が、マイク越しに笑顔で注意を喚起する。そのボディバランスは職業柄か卓越していて、上下左右の振動にも微動だにしない。
「楼路君、飴玉いる?」
隣の席に座る美少女、飯田奈緒が、『はにかみキャンディー』なるどういう意味だか分からない飴を勧めてきた。少年のような短い黒髪で、兎のそれのような大きくて茶色の瞳が元気いっぱい輝いている。小さめの鼻、心奪われる艶のある唇が端麗だ。耳が丸まっているのも隠れていないチャームポイント。何を隠そう、いや隠すものか。俺――朱雀楼路の紛れもない彼女なのだ。
「ありがとう。いただくよ」
俺が手の平を差し出すと、彼女は小さな包みを載せてくる。そしてにっこりと笑った。俺はその微笑みを両目に映し、幸福感に捉われた。二人きりでないのは残念だが、こうして恋人と旅行に出かけることができるなんて、俺はなんて幸せ者なんだ。
「あ、私にもくださいよ、飯田さん」
後ろの席から身を乗り出してきたのは、俺たちとはクラスが違うが同じ学年の――というか、『探偵同好会』は全員一年生だが――辰野日向だ。黒縁眼鏡にショートカットで、スレンダーな体にいつも紅色のデジタルカメラをぶら下げている。品行方正、根はくそ真面目。同学年にも敬語を使い、実は新聞部との掛け持ちである彼女は、常に大人しく、同好会の良心と化している。
「はい、それじゃどうぞ、日向ちゃん。ついでに三宮君と結城ちゃんにも渡してあげて」
三宮君とは、三宮英二であり、結城ちゃんとは菅野結城である。二人も『探偵同好会』会員で、今回は自費で参加している。
しばらくして、二つ後ろの席から英二の抗議の声が上がった。やや大声だったのは彼の性格によるものと、現在車内で敢行されているカラオケの大音量に対抗するためだ。
「おい、俺はグレープ味が苦手なんだ。他の味はないのか」
英二はその小さい背丈――最近ちょっと伸びてきたが――と相まって、格好いいというより可愛いともてはやされる美少年だ。癖っ毛の茶色の髪は手入れが大変らしい。瞳は純朴だが対する人物によってぎらつきが変わり、その鼻は生意気そうに尖っていて幼い。
「私はオレンジ味です。私と交換しましょう」
英二をなだめるように、こっちは聞き取りづらい小声でさとすのは結城だ。英二専属メイド兼クラスメイトの彼女は、非常にクールな性格で、いつも沈着冷静だ。スーツは皺一つなく、銀縁眼鏡の奥のグレーの瞳は底知れない。知的な見た目と中身を擁しており、鋭利な刃物のような印象を見る者に与える。
「それじゃお前に迷惑がかかるだろう」
「私は迷惑だなんて思いません。グレープ味も好きですから」
「何だ、大人ぶって……」
「ふふ、そんなことはないです」
結城は英二の彼女となってから、最近とみに笑顔を見せるようになった。二人の長い付き合いは当人同士にしか分からないが、その果ての付き合いはやっぱり万感の思いがひた寄せるのだろう。
「……ちょっと待ちたまえ、飯田さん。僕にも飴玉をくれたっていいじゃないか」
俺の真後ろの席で苦情の声を飛ばしてきたのは、誰あろう、俺たち『探偵同好会』会長の桐木純架だ。俺の背もたれの上に上半身をひょいと預ける。その途端、顔に載っていた『漫画ゴラク』が俺の頭に降ってきた。
高校生の癖に渋い趣味してるな。
奈緒が飴玉の入っていたビニール袋を逆さに振った。その出入り口はかすれた擦過音が鳴るだけで、肝心の中身は落ちてこない。
「もうないわよ。第一桐木君、寝てたじゃない。今更遅いわよ」
純架が歯軋りでベートーベンの『運命』を奏でる。
器用だな。
「ちぇっ、しょうがない。『ゴラク』で我慢するか」
彼は俺の手から『漫画ゴラク』を取り戻すと、それを犬のように舐め始めた。「味がしないね」とかぬかしながら……
純架はこの通り、奇行を愛する奇人変人である。これには渋山台高校1年3組のみならず、およそ彼の周りの人間全てが非常に辟易している。だが純架が奇行をやめることは未来永劫ないであろう。彼にとって、それは呼吸しているのと同じことなのだから。
純架といえば、『探偵同行会』会長、奇行癖の持ち主の他に、もう一つ特徴がある。それは極度の美貌の持ち主であるということだ。
眉目秀麗、容姿端麗。世界の画商の探し求める美の傑作は、まさに生きている彼自身ということになりそうだった。白磁の肌は珠のようで、長い睫毛と湖水のような双眸は女のそれのようだ。これに中世ヨーロッパの貴族のような、額と耳が隠れる豊かな髪――後ろはさほど長くもない――によって、彼の容姿は完成する。
俺としては正直、羨ましかったりそうでなかったりだ。純架はその女神のような外見から、写真撮影を求めてくる女子の先輩や同級生、果ては見知らぬ他人などが後を絶たない。実際このバスに乗車する際も、年配のご婦人方との記念撮影に何度か応じなければならなかったほどだ。
色々大変そうだなあ、と思う。俺は剣山のように逆立つ黒髪で、「挑みかかる狼のような」と評されるギラギラした瞳の持ち主だ。細くて短い眉、常に不平を抱えているかのような唇は、同学年からしてあまり良い見た目とはいえない。しかしそのおかげで煩雑な目に遭わずに済んでいるのだから、どっちがいいのか分からないといえた。
後ろを見てみると、純架はまた雑誌を顔に載せていびきを掻いている。まあ、これでしばらくはまた平穏が保たれるというものだ。
「あっ、見てみて、楼路君。鹿だよ、鹿!」
奈緒が窓の外を指差す。走行し続ける満席の大型バスの中で、俺はまったりとしたひとときを過ごした。
『茹蛸温泉』は巨大だが古びた建物が山麓に寝かしつけてある印象だった。乗客たちが荷物を抱えてバスから続々と降りていく。俺たち『探偵同好会』6名も、雪でぬかるんだ足元に気をつけながら大地を踏み締めた。白い天然の装飾とくすんだ枯れ木、立ち込める温泉の匂いとそこかしこから立ち上る湯気。
「いらっしゃいませ」
地味で質素な着物姿の従業員たちが、列をなして歓迎してくれた。純架の顔に見とれる人もちらほら。お客さんを次々と手際よく部屋に案内していく。
俺たちは男3人と女3人で別れ、それぞれの中部屋に誘導された。そこは広々とした室内で、大きな窓からは冠雪の山脈を眺望できた。純架と俺、それから英二の三人は、重い荷物を床に下ろすと、凝った肩をほぐしながらツアーのパンフレットで食事の時間を確かめた。




