014変わった客事件03
色々悩んだあげく、俺は休憩時間に純架に電話した。むかつくが、奴の方が俺より頭の回転が速い。きっと最良の対処を教えてくれるだろう。
「老人はストーカーじゃないよ」
純架はあほくさそうに一刀両断した。
「だって、老人がゴールデンウィークの休日部分だけ来店するのはおかしいじゃないか。花屋の店員に懸想しているなら、5月1日と2日も来るはずさ、別に昼じゃなくてもね。それにやっぱり入店時間と退店時間の奇妙な厳守の説明はつかない。だって花屋の店員はその後も仕事しているんだろう? もし老人がストーカーなら、『シャポー』の絶好な立地と条件を奇妙な時間に手放すわけもないし」
俺は眉間を指でもんだ。数分前の自分を恥じる思いだった。
「じゃああの老人は何者で、何でこんなわけ分からんことを繰り返しているのか、説明してくれよ!」
純架はいたって冷静だった。
「だ・か・ら、本人に聞けばいいじゃないか。前にも言ったけど。それで万事解決するだろうに」
「うるせえな、ここまで来てやめられるかよ。俺は絶対老人の正体を暴いてやる。見てろよ」
「付き合いきれないよ。勝手にしたまえ」
老人はその日も午後2時で帰っていった。
5月5日。バイトも終盤戦に差し掛かった。嬉しい来客があったのは午後0時だ。
「また来ちゃった」
奈緒の女神のような微笑みに、俺はそれまでの疲れも吹き飛んだ。老人は今日も来ていて、相変わらず冷えたカフェラテを前に窓の向こうへ双眸を光らせている。そういえばあの客がドリップコーヒーを頼んだのを見たことがない。
「あのさ、朱雀君。私、考えたんだけど……」
「あの人ならダイエット中じゃないぜ」
奈緒は噴き出した。声を細める。
「うん、その説じゃなくてね。考えたんだけど、あの人、実は刑事さんなんじゃないかなって」
「刑事?」
俺は灰色の陽光が斜めに差し込む店内で、老人のいつもと変わらぬ横顔を見つめた。今は昼時だが雨天のせいで客足はいまいちだった。
奈緒が自分のアイデアを浮かれたように披瀝する。
「あの花屋か、それとも隣の店かは分からないけど、多分あのお年寄りは刑事さんで、目的の店舗を張り込みしてるんじゃないかな。そう思えばあのただならぬ風格にも説明が付くし」
「時間を限定して来店するのは?」
「その時間、犯人が向こうの店のどれかに落ち着くからじゃない? お年寄りの人が時間を決めているんじゃなくて、その犯人が店に出入りするのが午前11時から午後2時までだから、必然、お年寄りがその時間に合わせているんだよ」
なるほど。
「そうか、それならコーヒー一杯で帰るのもうなずけるな。犯人が張り込み時間内なのに急に店を出たら、後を追わなきゃならない。そうなるとおちおち食べ物を喉に通してなんかいられないもんな。……こりゃ間違いない。でかした、飯田さん」
「えへへ」
「お礼に一杯おごるよ。何がいい?」
「嬉しい。そうね、じゃあカフェオレ一つ」
俺と奈緒がなごんで話していたときだった。
「泥棒!」
外で甲高い悲鳴が上がった。店内の人間全てが金縛りにあったかのように一瞬静まり返る。その直後。
「すぐ戻る!」
あの老人が席を立ち、怒鳴りながらドアに駆け寄ると、思い切り押し開いて飛び出していった。俺は一瞬ちゅうちょしたが、マスターに目配せすると、老人の後に続いて戸外へ走り出た。
そのときにはもう、泥棒――引ったくり――に、老人が掴みかかっていた。しかし力の差はいかんともしがたく、老人の手はもぎ離される。尻餅をつくその脇をすり抜け、俺はラグビー選手のように引ったくりへ躍りかかった。両腕が泥棒の腰に上手いこと引っかかったので、俺は歯を食いしばって死に物狂いでしがみついた。引ったくりは30代前後で白いジャージ姿のうえ体格が良く、手に掴んだ女性用手提げ鞄――ブランド物だ――を鷲掴みにし、組み付いた俺を猛獣のように引きはがそうとする。だが俺はテレビの格闘技番組で得た知識を生かし、男を持ち上げ、足を払って地面に横転させた。
倒してしまえば制圧はたやすい。俺は老人に手伝ってもらい、まだ手足をばたつかせて抵抗を試みる引ったくりをうつ伏せに寝かせて、その上に腰を下ろした。
俺と老人、泥棒の三者が汗みどろで粗い呼吸をする。冷たい小雨が気持ちよかった。やがて50代らしき年配の婦人が傘も差さずにこちらへ走り寄ってきた。
「ああ、私のバッグ……!」
「奥さんのものでしたか」
老人がにこやかに笑った。婦人は息を切らしながら、俺と老人にこめつきバッタのように何度も頭を下げる。
「ありがとうございました、ありがとうございました」
老人は婦人をうながした。
「さ、警察に電話を。110番です」
俺は耳を疑った。思わず聞いてしまう。
「えっ、あなたは警察ではないんですか?」
「は?」
老人は目をしばたたいた。ややあって答える。
「昔は県警刑事部捜査第一課で働いてましたがね。6年前に定年退職して今は悠々自適に暮らしてます。何だと思ったので?」
俺はさぞかし間抜けだったろう。
「いや、その、現職の刑事さんで、いつもうちの店で張り込みをしているものだと……」
「ははは」
老人は莞爾とした。
「現役時代の昔ならともかく、今は張り込みの協力なんかしちゃいませんよ。あなたは『シャポー』の店員でしょう? ずっとそう思い込んでいたのですか?」
俺は耳朶が熱くて仕方がなかった。老人は気遣った。
「私は光井欣也。今は盆栽いじりが趣味のしがない一老人ですよ。私のおかしな来店がお気になったのでしょう? あれには訳があるんですが……」
言いよどむ。
「いえ、それは私の秘密としておきましょう。そうさせてください。極めて個人的なことですから」
そこでおまわりさんが駆けつけた。
俺は傘を差しながら警察の現場検証に立ち会い、何が起きたかを事細かに話した。光井さんも婦人も同様だった。引ったくりは手錠をはめられ、パトカーに乗せられて署の方へ去っていった。一件落着。
「大捕り物だったね」
喫茶店に戻ると奈緒が興奮して問いかけてきた。目の前で引ったくり未遂事件が発生し、さぞや店内は客足ガラガラだろうな……と思っていたが、案に相違してすっかり埋まっていた。
桜さんが俺の肩を叩く。
「いい見世物だったよ。おかげで特等席で見ようと客が殺到したんだ。よくやったな、坊や」
俺は謙遜した。
「別に、大したことじゃないですよ。光井さんは?」
「光井?」
「あのカフェラテ老人ですよ。さっき引ったくりを取り押さえた際、名前を聞いたんです」
「ああ、光井さんっていうのか。あの人ならさっき戻ってほら、いつもの場所だよ」
俺より早く聴取が終わった光井さんは、先に戻って、またいつもの特等席で雨の世界を眺めていた。時間が過ぎて午後2時になると、判で押したように帰っていった。
いったい、この人は何がやりたいんだろう?
「というわけで未だ分からずじまいさ。張り込みでもないとすると、一体何が目的なんだ? さっぱり分からん」
俺は純架と電話で話していた。バイトも残り二日。このまま事件は迷宮入りの様相を呈してきた。
純架はうなった。
「ふうん、聞いても教えてくれなかったんだ」
「ああ。もうお手上げだよ。お前は何の力にもなりゃしないし、これはあきらめるしかないかな」
「いいや」
純架が居住まいを正したような雰囲気があった。
「光井さんが質問に答えてくれないなら、これは僕の出番かな」




