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133白石まどか事件01

   (五)『白石まどか』事件




「てめえ、桐木、ふざけるなよ!」


 化学教師・清水京太郎しみず・きょうたろうの鋭利な怒鳴り声が、教室中に響き渡った。11月の肌寒い、とある一日。クラスメイトたちはきっと俺と同じことを思っただろう。「またか」と。


 週二回ある化学基礎の授業。その担当である清水先生は、とかく生徒たちから不人気だった。51歳で3年1組担任、この渋山台高校に25年近く勤めるベテラン中のベテラン、清水先生。だが彼は病的に神経質で、ちょっとしたことですぐ大げさにキレてみせるのだ。


「何だ桐木。先生が教えているのにあくびとは何事だ! 眠いのか!」


 ほらね、と俺は内心肩をすくめる。普通あくび程度でここまで怒るか?


 純架は従順に答えた。


「すみません。昨夜は妹と対戦して、寝不足でしたので、つい……」


 清水先生は痩せっぽちだが身なりは良い。ぎらついた瞳が角ばった顔の中で異彩を放っている。やや出っ歯で犬歯が鋭い。それが不機嫌そうに上下にこすれた。


「テレビゲームか?」


 俺は心の中で首を振った。またいつもの兄妹組み手だろう。純架の部屋にはゲーム機どころかテレビすらないし。


 清水先生は激した自分を無理矢理ねじ伏せたようだ。苛立ちの瘴気を口から吐いた。


「もういい、座れ。もっと俺の授業に集中しろ。いいな」


「はい……」


 最悪の空気の中、中断した授業が再開された。




 放課後、俺たち『探偵同好会』は部室に集まり、事件依頼のない無為なひとときを喋ることで潰していた。奈緒、日向、結城、まどかの四人がガールズトークに華を咲かせている一方、俺と英二と純架は適当にくっちゃべる。


 純架が俺に不平をぶつけてきた。


「今日は楼路君のせいで清水先生に怒られたよ」


「なんで俺のせいなんだよ?」


 言いがかりもはなはだしい。純架は指を振った。


「聞いたところじゃ、君はこの前の学園祭のとき、あい君をふったそうじゃないか」


 愛とは桐木愛、すなわち純架の妹だ。渋山台中学2年D組の14歳で、なかなか可愛らしい。


「別にふったというか……。俺が、彼女ができて付き合うことになった、って言ったら、泣いて飛び出していったんだ」


 純架は容赦ない。


「まさにそのせいだよ。愛君にとっては初の片思い、初の失恋だ。あれから彼女は、僕への襲撃を激化させるようになったんだ。多分胸のむかむかを抑え切れないんだろう。おかげで僕はくたくたで、最近寝不足気味なんだよ」


 英二はまぶたを開閉した。


「襲撃? 何だそりゃ」


「ああ、英二君は知らなかったっけ。愛君は独自格闘技『戦塵拳』のマスターで、僕と同じぐらい強いんだよ。で、腕試しに僕へ襲い掛かってくるんだ。最近はますます腕を上げて、僕が一本取られることも増えてきたよ」


「奇特なのは兄妹揃ってか」


 英二は呆れている。


「何や、この前の美少女の話か」


 幽霊のまどかがこちらの話に割り込んできた。英二が首を傾げる。


「この前の……?」


「そや。学園祭で『肩叩きリラクゼーション・スペース』を催したやろ? あれで楼路の肩叩きの番になったとき、その子が来たんや。『楼路さんの馬鹿ぁ!』って、泣いて帰っていってな、まあ気の毒やったで」


 そうだった。あれから俺は愛ちゃんと会ってない。そうか、純架相手に荒れているのか……悪いことをしたな。俺は罪悪感に打ちひしがれた。


 純架が話を変えた。


「それにしても白石さんは何でここ――旧校舎3階の元1年5組に縛り付けられているんだろう? まあ同好会員が増えて良かったけどね」


「何でやろな。一応あたしの所属したクラスなんやけどな。だからかな」


「え、そうなのかい?」


 まどかはにやりと笑った。


「そや。でも安心せい、別にこの部屋で死んだわけやないからな」


 俺は適当なことを言った。


「何で成仏できないんだろう? 何で地縛霊なんかになったんだろう? 白石さん、この世に何か未練があるとか?」


 まどかは腕を組み、真剣に熟考している。やがてつぶやいた。


「さあ。この状態で長く居過ぎて、それも不分明や」


 それはひどく演技くさかった。


 まどかは自分のことを喋らない。特にどうして死んだかとか、生前の家族や住所はどうだとかになると、貝のようにぴったり口を閉ざすか、別の話題に車線変更する。話したくないことを無理に話させることもためらわれ、結局まどかの事情については誰も追及しなくなっていた。


 英二がコーヒーをすする。結城手製だ。


「それにしても、白石には最初こそびっくりしたが、慣れてみると怖くもなんともないな。幽霊らしくないというか、明るすぎて生きている人間と何ら変わりない」


 まどかは腹を抱えて大笑いした。


「まあそんなもんやろ。人間、何にでも慣れるもんや」


 俺たちは暇を持て余していた。純架のエネルギー源である『謎解き』がないと、だいたいこんな感じで無駄なやり取りに興じることになる。


 まあ、それも俺たちらしくていいか。


 そんなことを考えていたときだった。ドアがきしんで開き、一人の男子生徒を登場させたのは。


 まどかを含めた『探偵同好会』全員の視線が、その人物の顔に集中する。彼は控えめに質問してきた。


「ここが『探偵同好会』の部室って聞いたんだけど……」


 純架が喜色満面、勢いよく立ち上がる。朗らかに答えた。


「はい、そうです。事件の依頼ですか?」


「そんなところ」


 純架は心底嬉しそうに両手を擦り合わせた。


「どうぞこちらへ。お座りください。……楼路君、茶を用意して。ああ、お名前をうかがってもよろしいですか?」


「2年1組の弓削慎太郎ゆげ・しんたろうだ」


「弓削先輩ですね。どうぞどうぞ」


 俺は新しくコーヒーを注ぎながら、会長である純架の豹変ぶりに呆れていた。全くげんきんな奴だ。


 俺たちは弓削先輩を囲むように布陣した。まどかは今更姿を消すわけにもいかず、遠巻きに目立たぬよう立っている。


 同好会会長が上級生に正対して座った。


「それで……」


 2年生の客は、まず大きく息を吐いた。深々と座りなおし、気を落ち着けるように両手を組み合わせる。


「実は、困ったことが起きたんだ」


「といいますと?」


「俺には妹がいてな。名を弓削沙織ゆげ・さおりという。この渋山台高校の1年2組に属している。その沙織が最近、年上の男と密会しているという事実が判明したんだ」


 確かに困ったことだった。


「どのようにして判明したんですか?」


「先週の日曜日のことだ。俺の女友達が数名、夕方の町を歩いていたとき、たまたま沙織たちに出くわしたんだ。それで慌てて物陰に潜んでね、スマホで隠し撮りをした。シャッター音を消して、こっそりと、見つからないように。それがこの写真だ」


 現像された写真を同好会員が覗き込む。外套をまといサングラスをかけ、帽子を深々と被った男と、ポニーテールの大人びた少女とが並んで写っていた。男の方はぼやけも手伝って誰だか分明でない。ただ長身で、その顎に皺が寄っているのははっきりした。周囲にはスクーターや電柱、電線、喫茶店やレストランの看板などが写り、黄昏のどこかの街角を印象付けている。

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