130自販機のお釣り事件02
「なぜです?」
「俺はね、桐木」
五代先輩の言葉には隠し切れない熱があった。
「辰野の取材力や記事執筆能力を非常に高く買っているんだ。それこそ、新聞部全部員の中でもトップクラスだと思っている。あいつは報道のために生まれてきたような女だ」
へえ。そんな凄いんだ。俺は日向に昼間会ったことを思い返した。あのときも取材帰りとか言っていたっけ。
五代先輩の熱弁は続く。
「特にこの前の白鷺祭レポートは、質といい裏取りといい完璧だった。俺は非常に満足したよ。あいつが2年なら部長を任せていたほどだ」
純架は肌を粟立たせている。
「そんなに優秀なんですか、辰野さん」
「ああ。その通りだ」
五代先輩は両膝に拳を乗せると、巨躯を折り曲げて懇請してきた。
「頼む。俺は辰野を新聞部の活動に専念させてやりたいんだ。そのためには何としても『探偵同好会』をやめさせたい。どうか聞き入れてくれ」
俺は当たり前の疑問を口にした。
「いや、そう思うなら何で辰野さんに直接言わないんですか? 何で純架を間に挟むんです?」
「辰野を増長させないためだ」
五代先輩は面を上げた。厳粛な顔つきである。
「辰野のいいところは一歩身を引く謙虚さだ。それなのに『お前は天才だ』などと話したら、せっかくの長所が台無しになってしまう。俺はそれが気がかりなんだ。だから新聞部と無関係な桐木に、事をまとめてもらおうと思ったんだ」
最後に五代先輩はもう一度頭を下げた。
「全ては辰野のためだ。どうか聞き入れてくれ。よろしく頼む」
俺は純架が服を着て、教室を直している間、今しがた去った新聞部部長の話を議論した。
「どうするんだ、純架」
話は重大だ。純架は机を元の位置に運びながら、吹っ切ったように答えた。
「これは仕方ないね。辰野さんは除籍させるしかないな」
意外な言葉に俺の声はかすれた。
「何言ってんだ純架。断固拒否とかじゃないのか?」
「うん」
俺は記憶を呼び覚ました。
「お前、前に『同好会脱退』事件で奈緒がやめるって言い出したとき、『「探偵同好会」から離脱者を出したくない』って言ってたじゃないか。あのときは引き止めて、今回は送り出すのかよ。何でそうなるんだ?」
純架は室内を片付け終えて、鞄を肩に提げた。
「あのときはこんな深い話じゃなかったし、飯田さんもよそとの掛け持ちじゃなかった。かたや所詮同好会に過ぎない僕らと、かたや渋山台高校部活動を代表する大所帯・新聞部。将来の内申書も考えて、どちらを優先すべきかはおのずと明らかじゃないか。辰野さんのためにも、ね」
俺はじれったくなった。
「おい、お前はそれでいいのかよ」
「というと?」
「お前は辰野さんと別れていいのかって聞いてるんだよ」
純架の相貌に一瞬だけ苦味が走った気がした。
「……いいんだよ。彼女はこれで幸せなんだ」
俺は呆れて口を閉ざした。たっぷり数瞬経ってから言い放つ。
「俺からは言わないぜ。純架、お前が辰野さんに切り出すんだ。それぐらいはしろ」
純架は一瞬硬直してからつぶやいた。
「うん、分かった」
「ずいぶん遅かったじゃないか」
英二が不審げに俺たちを見た。ここは旧校舎1年5組、『探偵同好会』部室だ。結局ホームルーム解散から30分ほどもかかってしまった。
「何かあったのか」
純架は首肯した。
「白鵬に負けたんだよ」
英二は何か言いたげに純架を睨んだが、何も言葉に乗せなかった。いつもの奇行か、ぐらいに考えたのだろう。
「何や、ハクホウって」
まどかが目をしばたたく。
日向が俺たちをねぎらった。
「コーヒー飲みますか、二人とも」
椅子から立ち上がり、片隅のポットへと歩き出す。俺はいたたまれなくて床を凝視した。純架が声をかける。
「待った、辰野さん。ちょっと大事な話がある」
「はい?」
「ちょっと座って」
日向は元に戻って椅子に収まった。それと向き合うように純架も座る。
「実は……」
俺はよそを眺めながらも耳をそばだてていた。英二や結城、奈緒やまどかも、別のことをしながら聞き耳を立てているようだ。
「……将来の内申書を考えるに、君は『探偵同好会』を辞めたほうがいい……」
ああ、ついに言ったか。
「……いっそ新聞部に注力してエースを目指すべきだ……」
五代先輩の注文は果たしている。
「……だから、今日限りで除籍としたい……」
話は終わった。純架は身振り手振りの動作を停止させ、腕を組む。
日向が口を開いた。震え声だ。
「……桐木さん。それ、本当に、本心なんですか?」
「というと?」
恐る恐る、という感じで聞き出す。
「私を脱退させる、という意思です」
純架は容赦なかった。
「うん、そうだよ。辰野さん、これからは新聞部で、五代部長の元、記事制作に全力を尽くしてほしい。これは『探偵同好会』会長として、もう決めたことなんだ」
日向の目にみるみる涙が溢れる。俺は見ていて辛かった。静寂の中、彼女の声だけが実像を伴う。
「桐木さんがそんなこと言うなんて……。私、私……」
きつく目をつむると、澄明な雫が床を点々と打った。弾かれたように立ち上がる。
「失礼しますっ!」
日向は逃げるように駆け出し、部室から飛び出していった。
その背中を見送り、純架が動揺している。
「辰野さんっ?」
奈緒が拳を打ち振るった。かんかんに怒っている。
「馬鹿、何してんのよ、追いかけなさいよ桐木君!」
純架は状況を把握しきれていないようで、「う、うん、分かった」と答えると、日向の消えた空間に自らの体を躍らせた。
英二が肩をすくめた。
「馬鹿なのか、純架は。それともこれも奇行か?」
まどかがうきうきとしている。
「おもろいことになったなあ。なあ楼路、あんたもついていったらどうや?」
「えっ、俺が?」
「そや。あの二人が出会ってどんな会話かわすか、聞き役が必要やろ?」
奈緒が同調した。
「そうよ楼路君。君もついていってあげて」
「けどなあ……」
結城が腰を浮かせる。
「では私が参りましょうか?」
そういうわけにもいかんだろ。
「ああ、分かったよ畜生。見てくりゃいいんだろ」
俺は奈緒の声援を背に受けて、日向と純架の後を追って疾走を開始した。
二人の行方は杳として掴めなかった。俺は彼らの姿を求めて校内を走り回ったが、影すらどこにも見当たらない。
息が切れて、俺は立ち止まった。額に汗が噴き出している。旧校舎は捜し終えたから、今度は新校舎の方だ。俺は疲労で休息を欲する体を鞭打ち、渡り廊下を歩いていった。
出て行った日向も、追いかけていった純架も発見できない。全く俺は、何をやってんだか……。
と思っていたら、一階廊下脇のベンチに座っている日向を視界に捉えた。力なくうなだれて、ハンカチで涙を拭っている。こう表現するのは妥当か不謹慎か分からないが、品のいい泣き方だった。
俺は純架より先に出会ったことに、何となく後ろめたさを覚えた。針山の上を歩くように慎重に歩を進めていく。こわごわ声をかけた。
「辰野さん……」
日向は真っ赤な目で床を見つめた。
「……私、いらないんでしょうか」
嗚咽を噛み殺す。
「私、『探偵同好会』にいらないんでしょうか。いても迷惑な存在なんでしょうか」
そう口にするのが心底辛そうに、彼女はぎゅっとまぶたを閉じて、新たな水滴の円を地面に描いた。
俺はなんとか励ました。
「そんなことないよ。辰野さんは必要だよ」
あまり気の利いた台詞じゃなかった。俺は間を持たせるように、早口で親友をかばう。
「純架も悪気があって言ったんじゃないんだ。それは分かるよね?」




