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129自販機のお釣り事件01

   (四)『自販機のお釣り』事件




 とある昼休み、俺と奈緒は学校の中庭で食事としゃれ込んでいた。今日は奈緒が俺の分も弁当を作ってくれるとのことで、朝から楽しみにしていたのだ。小春日和で、空気は暖かだった。


 緑色のプラスチックで出来た弁当箱は、ご飯とおかずの二段構えだ。俺は財宝が詰まった宝箱を開けるように、おもむろに蓋を外す。


「おお……!」


 輝くような白米と、タコさんウインナーや卵焼き、ちくわが入った内容が露わになった。奈緒が控えめに自慢する。


「早起きして準備したの。たくさん食べてもらおうと思って……。悪くない、よね?」


「そりゃあもう……」


 奈緒に惚れてから半年。まさか恋人同士になって、手作り弁当を食べられるようになるとは夢想だにしなかった。感激で目頭が熱くなったほどだ。


 両手を合わせる。


「じゃ、いただきます!」


 箸を手に、ご飯にがっつく。芳醇ほうじゅんな旨みが口の中に行き渡って――


 こない。


「ん……?」


 俺の表情の変化に気づかず、奈緒はうつむいて指先をいじっている。


「そのご飯、お菓子みたいに甘くなるように、砂糖をたくさん加えたんだ。美味しいでしょ」


 あ、あ……甘過ぎる! 不味まずい! 俺は拷問を受けているような気分で、口腔の米を苦労して噛み砕いた。全部飲み込むと、紙パックの牛乳を素早く飲んで不快感を洗い落とす。


「うん、まあ、ご飯は後にしよう。おかずを食べちゃおうかな」


「どうぞどうぞ」


 俺はタコさんウインナーをつまみ上げた。ふと、底の方が黒ずんでいるのに気がつく。目より高い位置に持ち上げてよく調べると……。


「焦げてる……」


 どうやらウインナーをタコのように立たせて焼いたらしい。足の裏が完全に炭化していた。俺はタコさんウインナーを弁当にそっと戻した。


「楼路君?」


 奈緒が怪訝な顔でこちらを見る。俺はごまかすように卵焼きを口に放り込んだ。いくらなんでも、簡単で知られる卵焼きまで下手ということは……


 あった。


「しょっぱっ!」


 俺は涙ぐみさえしながら口元を押さえた。奈緒は戸惑っている。


「あれ、塩を入れすぎちゃったかな?」


 おいおい。


「そもそも、何で卵焼きに塩を入れるんだ?」


「だってスイカを食べるとき、甘さを引き立てるために塩をかけるよね? 私のお母さんの卵焼き、いつも甘いもの。だから塩をまぶしてるんだと思って……。違った?」


 違い過ぎる。俺は苦虫を噛み潰した顔で、今度はちくわに手を伸ばした。恐る恐る口に運ぶ。


「何だこれ?」


 ちくわの空洞内部に何かが混入している。俺はバリバリと砕ける甘いそれを舌触りで判別した。


「ひょっとして、キャンディ?」


「ぴんぽーん、ご名答!」


 奈緒がはしゃいで解説した。


「ただのちくわじゃ物足りないから、甘いキャンディを砕いたものを詰め込んだの。最高でしょ?」


 俺はちくわとキャンディの悲しき融合を完食した。正直生き地獄だった。しかし奈緒は、俺が涙を流して随喜していると勘違いしたらしい。


「さあさあ、じゃんじゃん食べてよね!」


 俺のためを思って弁当を作ってきてくれた彼女を叱責する気にはなれない。かといって、こんな不味い弁当を食べ尽くすのも不可能だ。まさに進むも地獄、戻るも地獄。まさか楽しいはずの昼飯が、こんな惨劇に変貌するとは思わなかった。


「はあ……」


 進退窮まった俺は中庭に目線を向ける。と、そこで見知った顔に出会った。


「辰野さん」


 俺の声で日向はこちらに気づいたらしい。笑みを浮かべてやってきた。


「朱雀さん、飯田さん、今日は二人で昼食ですか? うらやましいです」


 奈緒が自分の頬を両手で挟んだ。少し赤くなっている。


「日向ちゃんはどうしたの? お昼、食べないの?」


「今取材を終えたところなんです。間近に迫った体育祭で、優勝候補の先輩方に色々話をうかがったんですよ」


 そう、日向は『探偵同好会』と『新聞部』の掛け持ちなのだ。今は後者の活動をすませたということなのだろう。奈緒が気を利かせた。


「ねえ、お腹空いてない? 私謹製のお弁当を試食してみる?」


 日向の顔から血の気が引いた。


「い、いえ、私は満腹ですから。それじゃ」


 日向は逃げるように立ち去っていった。どうやらかつて奈緒の弁当を味わったことがあるらしい。そうでなければ説明のつかない及び腰だった。


 奈緒はそれほど気にしていない。


「どうしたんだろ、日向ちゃん。ま、楼路君のために作ってきたものだしね。別にいっか」


 奈緒が自分の箸でおかずを挟む。


「前から一度はやってみたかったんだ。はい、楼路君。あーんして」


 俺は脂汗を浮かべながら、一人ずらかった日向を呪った。無理矢理口を開ける。


「あーん……」




 午後の授業が終わり、ホームルームも滞りなく締められた。後は『探偵同好会』の活動が待っている。もっとも事件がない日は出席しなくてもいいし、顔を見せてもだべるだけなのが常だった。幽霊のまどかが寂しがるので、最近は足繁く通っているが。


「先に行ってるぞ」


 英二と結城、奈緒が教室を出て行く。純架は他教室の女子の写真撮影依頼に応じ、俺は何とはなしにその光景を眺めていた。


 意外に時間がかかった。全てが終わった頃、教室に残っているのは俺たちだけとなった。


「よっしゃ、行くか、純架」


 純架はいきなり服を次々と脱ぎだし、ついにはふんどし一丁となった。


「楼路君、行司は君だから」


 意味不明の言葉に俺は面食らい、ただ黙って純架の発作を眺めるしか出来なかった。彼は教室真ん中の机と椅子を脇へと押しやり、即席の土俵空間を現出させた。


「いくぞ、白鵬!」


 どうやら純架は彼にしか見えない白鵬と相撲を取る気らしい。しこを踏み、両手を地べたにつく。そして立ち合い、エアー力士とがっぷり四つに組んだ。


「負けるか!」


 俺の白けた視線を浴びながら、純架は互角の攻防を行なう。何だか本当に相手が存在しているような気になるほど、その演技は迫真的だった。純架は土俵際に何度も追い詰められながら、その度に足を残し、ぎりぎりで闘い続けた。


 だが疲労困憊の純架は、立て続けの攻め(繰り返すが、彼にしか見えない白鵬の、である)を耐え切れず、とうとう派手に押し倒された。寄り倒しだ。相手の勝ちである。


 純架はたいと共に自尊心や羞恥心も飛んでいた。


「いい勝負だったよ」


 純架は満足したのか、胡坐をかいた状態で妄想力士と握手した。


 何だこれ。


 と、そのときだった。


「おう、お前が桐木だな」


 がっしりした体格でもみ上げの長い、無骨な侍風の生徒が、教室に入ってきていた。肌が異様に浅黒い。俺は尋ねた。


「どなたですか」


 男は真っ白い歯を剥き出しにした。


「俺は2年の五代健治ごだい・けんじだ。新聞部の部長をやってる」


 渋山台高校新聞部といえば、日向が掛け持ちで所属する、校内最大の――吹奏楽部を除いて、だが――部活動だ。そのトップが、このたくましい生徒らしい。


「俺たちに何か用ですか?」


「ああ、ちょっと時間もらえるかな。何、本当はお前らの『探偵同好会』の部室を訪問すれば良かったんだが、ちょっと辰野には伏せておきたくてな」


 純架はふんどし姿のまま応対した。


 馬鹿みたいである。


「分かりました。ではどうぞ、僕らに出来ることなら何なりと」


「実はお願いがあるんだ」


 俺たちは向き合うように椅子に座った。


「1年1組の辰野日向が、お前らの同好会にお世話になっている。いつも悪いな」


「はあ」


「話というのは簡単だ。彼女を掛け持ちでなくしたい。つまり、辰野を『探偵同好会』から脱退させたいんだ」


 純架は半裸のため寒さに打ち震えている。

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